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『国のために死ぬのはすばらしい?』ダニー・ネフセタイ、高文研、2016(第3刷2023年11月)

 今から8年前に書かれた本だが、2023年11月に改めて増し刷りされたのは、10月のガザでのジェノサイドの始まりと無関係ではないはずだ。

 イスラエル生まれ、イスラエル育ちの著者が語る平和論。前半は著者がイスラエルで育ち、日本にやってきた経緯と、その半生の中で感じたこと、考えたことが綴られている。
 後半は、軍需産業と原発産業という、ごく少数の人の利権のために、膨大な数の人間の命が失われてしまう暴力において、イスラエルと日本の共通点と、それらへの異議申し立てが述べられている。
 
 筆者が特に関心を持ったのは、この本が、教育とマスコミが与える効果について何度も触れているところだ。
 イスラエルにいた時、著者は、イスラエルこそ世界で最も重要な国であり、この土地は神が与えたもので、周囲のアラブ人は自分たちよりも劣っており、戦争によってしか自分の国を守ることはできないという意識に洗脳されていた。
 「国のために死ぬのはすばらしい」と若者たちに信じさせているのは、国家権力に支配された教育である。教育とマスコミが、国民の意識に差別意識と戦争賛美を刷り込んでゆく。

 日本における軍事費の高騰と原発安全神話も、根っこには同じような問題がある。教育界もマスコミも、政府のプロパガンダに対して疑問を持たないように、国民を洗脳している。
 「我々は悪くない。周りのアラブ人たちが我々に戦いを仕掛けている」と言っているイスラエル人と、「北朝鮮が、中国が攻めてくる」と恐怖を煽る日本人が重なって見えてくる。
 何も考えないでいると、政府に洗脳され、利用されるがままになってしまう。
 だから、著者は社会や政治についてもっと人びとが日常的に考えるべきだとして、いくつもの平和運動や講演活動をしているのだ。

 教育現場では、「平和」について語ろうとするだけで「政治的だ」と言われ、声を上げること自体がタブーであるかのような無言の圧力が、先生や生徒を縛っている。「平和」について考えることを呼びかけたい者が、自己抑制せざるを得ないような雰囲気が学校を覆っている。
 その一方で、隣国が攻めてくるという恐怖を煽るプロパガンダ、日本以外の国、民族に対する差別意識は、大手を振って闊歩している。
 このような現実に対して、本書は素朴ながらも鋭い疑問を投げかけている。もっと国を疑ってもよいのではないか、と。
 筆者の勤めている学校でも、「国のために役立つ仕事をしたい」と書いてくる生徒さんがいるが、「政府のために役立ちたいのか、国民のために役立ちたいのか」とははっきり分けて考えないといけないよ」と勧めている。

 著者がこの本を書いた2016年の時点で、既にイスラエルが数千人を殺していることについて、著者は驚くべき犠牲者の数と言っており、その数が5万人に増えるかもしれない、と警告を発しているが、今まさにガザでのジェノサイドによって犠牲者の数がその数字に近づいていることに、震撼とする。
 そして日本も、兵器の購入、兵器の開発、基地の拡大にますます力を入れている今日、それが国民の血税が利用されて、一部の利権者のために人の命を奪うために投入されている結果になっていることを、私たちも認識しなくてはいけない。
 
 著者はそれらの問題を考え、反戦、反差別、反原発を訴えるため、草の根の運動を展開している。
 デモや集会もいいが、日常の生活の中で、もっと社会や政治の話をするべきだと言う。
 これは日本人の正確的に、それはとても難しいことだ。しかし、著者は特別な方法をとっているわけではない。地道に、わかるところから、一歩ずつできることを、少人数の協力者と共にやっている。
 センセーショナルな主張や、衝撃的な提言があるわけでもない、平易な言葉でわかりやすく、「国に騙されないで自分の頭で論理的に考えなさいよ」と勧めてくるこの本が、ジェノサイドの真っ只中にあるこの時期に、多くの人に読まれることを望む。
 
 私たちの願いは、「戦争と差別にはいい加減うんざりだ、もういらない! 平和の希望を持てる国、人権を認めあう国、誇りの持てる国を私たちの子孫に残そう」(p.195)という叫び。これに尽きると思う。

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