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次の時代と世代

資本主義の次はどうなるのか?

12月にUS出張が決まった。年越しも現地になりそうなスケジュールだ。資本主義大国を一度はこの目で見たいという思いもあったので、よい経験になればと思う。さて、その資本主義の次の時代ということで、廣田尚久氏著書『ポスト資本主義としての共存主義』という本を読んだ。現在の資本主義が成り立たなくなっている大きな要因の一つを「先取り」に掲げ、共存して生きていくためにはどういう思想で社会を構築すべきなのかが示されている。

資本主義の構成を考える上で、これまで考えたことがない切り口もあり、勉強になる一冊だった。資本主義の悪い部分だけではなく、良い部分をしっかり捉えた上での提案であり、公平性も感じる内容だった。一方で、著者の提案を実現するにあたり、その理想に進むための時間軸が見えにくかったり、初めの第一歩を設定することが難しい提案が多いとも感じた。読みながら、資本主義の是正というのは、どの世代がどの世代のために行っていくことなのか、具体的な行動や責任を誰が取っていくのか、そこも改めて難しい問題だと感じた。

個人的には、自分が生きている間に調和のとれた社会は実現しないと思っている。人間がこれほどまでに増えてしまい、グローバル化で複雑な関係性を構築し、そこにテクノロジーまでもが絡んで様々なブラックボックスを作ってしまった。そこが紐解かれるのは、漸進的な人口減少か、戦争や大災害による資本/人間の物理的破壊くらいではなかろうか。前者が解になる場合は自分の寿命は尽きているだろうし、そもそも既に手遅れで解にならないかもしれない。後者が解になった場合は、調和とは程遠い世界になるだろうし、巻き添えで死ぬ可能性も大いにありうる。また、生き残っても、復興途中で寿命が尽きることになるだろう。

こう書くと明るい要素が見当たらないが、別に悲観的になっている訳ではない。単に自分が生きている間に良くなることを諦めただけであり、生きるだけなら今の社会でも問題ない。結局のところ、自分が出来ることは、次の世代、さらにその次の世代のために、環境破壊を最小限にとどめつつ、小さな種を蒔くことくらいだろう。それが手遅れだったり、効果がないこともあるだろうけれど、やってみないと分からないこともあるから、とにかく行動してみる。そして、行動して得られた新たな気付きを実感することが出来れば、それなりに幸せな人生を過ごせるような気はしている。

では何の種を蒔けば良いのだろうか。その問いも、少し前までは難しく考えすぎていたけれど、人間が社会性や関係性の中で生きている以上、お互いがよい関係だと思える回数が増えることが、小さな種を蒔いたことになるのではないだろうか。日頃の挨拶や対話、仕事への感謝、相手へのちょっとした配慮、不誠実な嘘をつかない、そういうものの積み重ねを当面は続けていこうとは思う。US出張でも、新しい関係性はたくさん出てくるだろう。飛行機に乗って環境破壊してしまう分くらいには、小さな種を蒔いて来れたらと思う。

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