言葉と私
稲佐山に行ってきた。
今日は九州最後の休日だった。昨日荷造りもほぼ終わり、あとは今週末の引越しを待つだけだ。でも、何をするか昨日は決められなかった。だから、起きた時の気分に任せた。
朝目覚めると、強烈に稲佐山という単語が頭に響いた。理由など説明できないが、抗えない何かが自分の中で大きくなり、急遽アプリを開いて長崎行のチケットを買った。普段はまだ寝ている早朝の時間だった。
まだ少し薄暗さの残る朝の公園を抜けて、佐賀駅から長崎駅に向かった。稲佐山のロープウェイの運転開始まで少し時間があったので、平和記念公園に寄った。ここで何故か涙腺が緩み、九州の思い出が頭の中に浮かび出した。時折沸き立つ泣きたい衝動をこらえながら、稲佐山に向かった。
稲佐山の頂上で景色を見て、頭を殴られたように思い出した。
「長崎は九州に来て始めた泣いた場所だった」
正確に言うと、初日に稲佐山の景色を見て感激したが、その時は泣かなかった。次の日に原爆記念館に行って泣いたのだ。この美しい景色が焼け野原から復興したという人間の生命力、その一方でこの街を灰にした人間の愚かさ。そのようなことを思い浮かべて、原爆記念館で涙した。
私の九州の旅は、長崎の涙で始まり、長崎の涙で終わった。
(余談だが、正月の地震でも涙したが、それは名古屋だった)
そこから、九州での数々の記憶が鮮明に思い出された。数々の出会い、一人一人と会話したこと、その中で浴びた言葉達。涙が溢れる中で思ったこと、それは出会い支えてくれた人達の言葉に、私自身が強く感化されていたということだ。自分が使う言葉が変化したと感じてはいたが、それは浴びる言葉が変わったからだと、ようやく自覚して腹落ちした。
私は、自分を形作る言葉は自分のものだと思っていた。しかし実際は、これまで出会った人や本の言葉から得たものだった。私は生かされていた。そう考えると、より一層感謝の念が湧き上がって、涙が止まらなくなった。
言葉とはよくよく考えると不思議だ。歴史上、人類は言語を産み出したし、今も流行語大賞など新しい言葉は産み出されている。しかし、普通に生きている限りは、言葉は誰か/何かから得るものであり、自分で産み出すことはほぼ無い。自分なりの文章を作ることはあっても、それはこれまで浴びた言葉を、繋ぎ合わせているに過ぎない。
さて、冒頭の話に戻そう。私は未だに、何故、自分の頭に稲佐山という単語が響いたのか言葉にできない。これは、私がそれを表現する言葉にまだ出会っていないのか、言葉の意味を理解出来ていないのか、言葉はあるけど文章に出来ていないだけなのか。
分からない。けれど、確かなことは、言葉に出来ない体験をすることで、最後の休日が充実したということ。
ノートは文字でびっしり埋まっていると圧迫感がある。何らかの余白の存在は大切だ。それは、頭の中や心の中でも一緒なのかもしれない。
私は今日の言語化できない体験を、余白として自分の中に留めておこうと思う。ひょっとしたら、今後新たな出会いがあり、そこで得た文章や言葉がその余白を埋めて、説明できるようになるかもしれない。そんなことを少しだけ期待しながら、余白を抱えた状態を楽しんでいきたい。
何かと考えすぎて、答えを欲してしまう私に、余白の状態を楽しめるだろうか。それはまだ分からないけれど、九州生活を通して、言葉も行動も変化した自分なら、案外出来るかもしれない。いや、きっとできる。
少しだけ成長した気がした、九州最後の休日だった。
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