弱さ

弱さを見せたのはいつですか?

30代中頃までは、弱さを見せること自体が良くないことだと感じていた。会社内の目に見えにくい成果を競う競争、家族とはこうあるべきだという固定観念、その中で人間関係やチームワークとはこういうものだと自身が描いた理想像。こういったものを抱えながら、前に進み続けなければと思い、全力疾走を続けていたように思う。こういう状態から抜け出られたのは、仕事仲間に恵まれた時期に、コーチングを受講することで自己理解が深まったり。そこで出会った新たな仲間との対話を通して自己開示の仕方も覚え、自身の弱さを認めることができたからだったと感じる。

走り続けている時は、頑張れば何とかなるという、万能感と強迫観念の入り混じった思いに駆られていたように感じる。動き続けなければ不安になるから、思考よりも行動が増えてしまい、アウトプットが出にくい状態になっているにも関わらず、その状態がなかなか気付かないことが難しい。また、周囲も動いている人ほど働いているように錯覚してしまうから、止めてくれる人もなかなかいない。結果として、全員が動き回ってしまう組織が出来上がってしまうこともある。

自分の場合は、バーンアウトする前に自身の弱さを認める術を身に着けたので、それ以降は等身大の自分を理解して、手に余る仕事の場合は人に頼ることにしたし、他の人の方がうまく出来る場合はお願いすることも出来るようになった。一方で自身が得意なことも理解し、集中できるパターンも身に着けたから、それ程あくせく働かなくてもある程度はアウトプットを出せるようになってきた。だから、継続的にnoteを書く時間も産み出せている。

弱さを見せ合うには信頼関係が必要だから、日々の対話や1 on 1の面談で、困っていることは必ず聞くようにしている。最初の頃は「大丈夫です」という返答も多いのだが、こちらが必ず聞いたことを認めて、時には対策可能なことは実施するという態度を示していたら、自然と困りごとや悩み事も話してくれるようにはなる。人によってその時間軸は異なるけれど、2~3カ月で打ち解ける人もいれば、1年くらいはかかる人もいる。ただ、気長にやっていれば8~9割程度の人とは、そのようなことも話が出来る関係になれることは、経験上分かってきた。

ただ、少し難しく思うのは、自分がそのような関係を築けたとしても、相手が異動などにより異なる環境に身を置いた時に、その先でも同じような行動ができるかどうかはコントロールできないということだ。信頼関係があるからこそ弱さをさらけ出せたとしても、物理的にその関係性が無くなってしまった時に、自分の弱さを新しい環境で新しい人間関係の中で見せるには相当の勇気が必要だろう。それが出来ず、また走りださざるを得なくなった時、どれだけの人が止めてあげることができるのだろうか。同じチームにいた時ほど成果を出せなかったり、元気がなくなった社員を見ることも時にはあって、そのようなケースに遭遇すると、結構心が痛む。その経験も成長に繋がるかもしれないと信じるしかないけれど、やっぱり人が苦しんでいる姿というのは耐え難いものでもある。

こういった姿を見て、色々考えること自体が自身の成長にもつながるのだろうと思いつつも、もう少し違ったやり方で成長や本当の強さを促すことができないのだろうかということを思い悩む。人は一人一人が違うから、最適という方法はないのかもしれないけれど、もっと上手に出来ればよいかなと改めて感じたこの数日であった。こうやって書き綴ることも自身の弱さを認める行為の一つになり、癒しにはなっているのかな。

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