痛みの記憶

何が一番痛かったですか?

芥川賞受賞作の『貝に続く場所にて』を読んだ。コロナ、震災、歴史、持ち物(アトリビュート)、などいくつかキーワードはあるのだが、読み進めていくうちに、過去の痛みの記憶について色々と考えるキッカケとなった。

痛みは、身体の知覚センサーにある受容体が刺激を受け取り、それが電気信号となって神経系を伝って脳に到達し、痛みとして認識すると言われている。痛みを認識したあとに、主観によってその痛みを解釈し、さらに痛みが増幅することもあれば、痛みを忘れてしまうということもある。痛みの大きさは、電気信号の大きさとして計測できるのかもしれない。ただ、主観による解釈の部分で大きな影響を受けるから、体感する痛みというものは結局数値化は難しく、その時々の精神状態にも作用されて、増幅されるのだろう。だから、最も痛かった時にどれくらい痛かったと言われてもなかなか表現が難しい。ただ、それでも確かに、忘れらない痛みの記憶というものは誰にでもあるようには思う。

自身の最も記憶に残る痛みは、小学生四年生になる前の春休みに肺炎と髄膜炎を発症して、1日以上意識不明となり、気付いてからも1週間程度動けなくなった時のこと。上体を起こすこともできず、身体は複数の点滴に繋がれ、トイレに行けないどころか自力での排尿もできず、身体中に点滴や検査装置や管が巻き付けられていた。朦朧とする意識のなか、割れるような頭痛がたまに起こり、薬の量を増やして入眠するという1週間が続いた。自分の身体に繋がれたコードを見ると、このまま死ぬのかもと思うこともあったし、点滴が漏れて腫れ上がる皮膚を見て絶望を感じたりもした。それでも幸いにも回復してきて、ある程度動けるようになってから、髄液の検査ということで背骨に注射をして採取されたのだが、一回目は全く痛みを感じなかった。ただ、そこから1~2週間程度リハビリなどをして身体も動くようになり、再度髄液検査をする時に注射された時に、この世の終わりかと思うくらいの痛みを感じた。後から親や看護師に聞いたら、処置室の外にも泣き声が響き渡っていたようだ。痛みを正常に感じたということは良いことだと後から言われたりもしたが、小学生にそれを言っても通じる訳もなく、その日は一日中ふさぎ込んでいたような気がする。

こうやって書いていても思うことだが、ただ純粋に痛みという記憶はなくて、その時の感情と紐づいて記憶されているし、それが何故か物語風に記憶されているものだから客観性も乏しく、きわめて主観的な文章になってしまう。本当に自分は痛みを感じたのかどうかも曖昧になってくる。ただ、あの頃の自身の思考や感情、さらには両親や親戚達の言葉や態度、医者や看護師の献身、お見舞いの時に新学期の様子を語る同級生への嫉み、などなど様々なことが混ざり合って大きな物語になっているのかもしれない。だから、その物語の一つである注射の痛みも、ことさら大きく思い出しているのかもしれない。

痛みの記憶があるからこそ、今の健康な身体に感謝できるし、人の痛みを知るキッカケにもなる。苦しい体験こそ、その人の自己基盤を形成するリソースとなるのかもしれない。しかし、自分の息子がこんな経験をしたらと考えると、かなり耐え難い苦痛になるような気がする。両親や親戚には色々と心配をかけたんだろうなと改めて思うと共に、今更ながら感じる小さな痛みも成長の糧にして、人生を歩んでいければと思う。


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