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野鳥好きが高じて英語学習を再開したら3カ月たっていた話


これまで英語学習には、気まぐれに何度も手を出しては挫折してきた。


英語日記は三日坊主に終わり、洋書はいちいち単語を調べるのが面倒くさくて読み切れず、英語学習サイトを眺めては学習した気持ちになっただけで終わる。

大学時代に英語を専攻しており、社会人になってからは少しでも当時の英語力を維持しようと試みてはフェードアウト。新たな学習方法を始めたときや、新たな教材を購入した時がモチベーションのピークで、そのあとは間違いなく下降トレンドに入る。仕事でもプライベートでも特段英語を使う必要に迫られることもなかったので、当然だったかもしれない。


でも今では、気付けば毎日1時間ほどの英語学習を3カ月続けている。それも嫌々ではなく、食後に歯を磨くのと同じように当たり前のこととして。やらないと気持ち悪いくらいになっていて、自分でも結構驚いている。大学時代の英語力も取り戻し始めている。


英語学習が習慣化しつつある理由、それは「好きなこと=野鳥観察のため」という確固たるモチベーションの源があるからだ。


そもそもなぜ野鳥観察に英語が必要なのか。

世界には約10,000種の野鳥がいるといわれている。日本で見られるのは約650種。仮に日本の650種を見られたとして、暑さも寒さも空腹も忘れるほど野鳥が好きな私にとって、残りの9,350種を全く見ないままあの世へ行くわけにはいかない。

海外(特に今はアメリカ)に野鳥観察に行きたい。現地の野鳥に詳しいのは、当然現地に住んでいる人だ。日本人ガイドに依頼する方法もあるだろうが、行きたいエリアに必ずしもいるとは限らないし、観察の選択肢が狭まってしまう可能性がある。時間とお金をかけてはるばる海外に行くなら、英語が分からないせいで楽しみが妨げられるなんてことは極力減らしたい。

また海外の野鳥を知る方法として、各国の野鳥図鑑や動画などもあるが、日本語に翻訳されているものは一部に限られ、多くが英語。野鳥観察をより充実したものにし、野鳥の理解を深めるには、英語は避けては通れないのだ。


3カ月間、英語学習がめんどくさいなと思った日もある。人間だもの。でも、そんなとき頭に浮かんだイメージがある。

私がアメリカでバードウォッチングツアーに参加していて、そこはだだっ広い草原。隣にはヒゲをたくわえた現地のベテランガイドがおり、今見えている野鳥について解説してくれている(もちろん英語で)。私は初めて見る野鳥をじっくり観察しながらガイドの言葉に耳を傾け「あれが●●か~。英語やっといてよかった~」と思っている。

この光景を思うと、思わずニヤついてしまうほど結構リアル。現に今も書きながらニヤついている。こんな風に目的を達成している自分をくっきりイメージできると、やる気と行動力を取り戻しやすい。


3カ月たって分かったことは、英語学習が続かなかった以前の私と今の違いが、英語学習の「目的」にあることだ。以前は「大学時代の英語力を多少なりとも維持すること」、つまり英語学習そのものが目的になっていて、その先の理由がなかった。今は「野鳥観察のために」英語を学んでいる。よく言われる「英語は目的ではなく手段」ということに、実感を持って改めて気が付いたのだ。


同時に、英語学習を続ける、あるいは上達するコツとして「海外(英語圏)に恋人を作ること」とよく言うが、これも今なら分かる気がする。(仕方なく)やらなければならないことで英語が必要に迫られる場合よりも、自分が好きなこと(人)において必要に迫られる方が、モチベーションも続く。


何かを本気で好きになることは、やはり無敵である。



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