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かの隣国を中国と呼ぶか、支那と呼ぶか? この問題を全日本人に考えていただきたい。 理解した上で、さあ、どっちを呼ぶか【中山市朗ブログ】

中山市朗です。

オフィスイチロウ公式YouTubeチャンネル『日本について語ろう』。
「シナか中国か?」というテーマで5回お送りしました。

私たちは、お隣の国を、中華人民共和国、中国と呼んでいます。
でも、オリンピックや海外でのマスコミ表記、中国の企業名など、国際表記ではChinaとあります。
そして世界のスタンダードは、Chinaなのですよ。
中華人民共和国は、people's Republic of China、と表記されますしね。



実は戦前まで日本ではかの国を支那(シナ)と呼んでいました。
Chinaはシナ、チン、が語源で、秦始皇帝が創った大陸統一国、秦(チン、シン)から来ました。
天下統一した政は、世界最初の皇帝と名乗りました。
以後、かの国は漢、晋、隋、唐、宋、元、明、清など皇帝の系統が変わるたびに易姓革命といって、国号が変わることを繰り返しました。そして皇帝がいる場所が中華なのでした。
皇帝が鎮座し、その国号がころころ変わもかの国を通史的、あるいは普遍的な呼称として、各国はいわゆるチャイナとかシン、チン、シナ、シーヌ、シーナなどと呼んでいて、日本では支那とよんでいたのです。
日本は日清戦争を経験し、日本が勝って「下関条約」を結びました。この時はかの国は清国であり、日本は支那と呼んでいました。清国は満州族が支配する国だったので漢民族の人たちは、あえて自分たちのことを支那人と呼んだようです。

やがて清国は滅び、溥儀が皇帝から退位して皇帝の支配する2000年以上の歴史が途絶えました。
そして中華民国が成立しました。
1912年のことです。
国際表記としてはRepublic of Chinaと自ら呼びました。そこで日本政府はこれを直訳して、支那共和国と呼びました。
ところが、蒋介石は日本に対して中華民国、あるいは中華、中国と呼べと要請してきたんです。
日本側はこれを受け付けませんでした。支那にこだわったわけです。
その理由は、動画で詳しく語っておりますが、要は中華、中国という呼称を認めてしまうと対等な関係にならないということを戦前までの日本政府、知識人、国民は知っていたんです。


言うときますけど、中国人は「中国4000年とか、5000年」と言います。けどね、皇帝が廃止された新しい国が中国で、それまでの歴史とは関係のない国、といったのは蒋介石です。
中国を受け入れよ、と言うのならその歴史は100年とちょっと。
中国でなく、支那を受け入れると少なくとも秦始皇帝まで遡る歴史を含むことになる。
蒋介石がそういうとるわけです。

支那か中国か。どっちやねん!!

かの大国と対等な外交、交流をするための礎を作ったのは、なんと1400年前、聖徳太子でした。
"日出る処の天子、この書を日没する処の天子に致す"
聖徳太子が、当時の隋の皇帝、煬帝に送った国書であると、向こうの書『隋書倭国伝』に記載されます。中華とは皇帝(天子)が天下王道を治め、皇帝を戴く漢民族こそが世界の中心にあり、そこから離れるほどに夷となり、蛮族、未開人となるという思想です。日本は東夷といって、野蛮で未開の地とされました。
この中華とは、漢民族による一つの思想、考え方です。この思想は実に差別的なものでした。
未だに韓国が、反日をやり、日本にあるものをウリジナル、韓国発祥と言ってくるのはこの中華思想から来るわけです。中国が主人。朝鮮は小中華でその次に偉い。日本はその外にあるから我らの弟である。夷の地位にある未開な国が発想したというものは、我が国発祥に違いない、発祥であるべきだ、というのがその考えの根本にあるわけで、チベット、ウイグルの問題、南沙諸島の問題、台湾の問題も中華思想から来るわけです。

聖徳太子は、この中華思想を受け入れないための知恵を巡らせ、実行しました。
それが日本にも天子がいる。あなた方と同じですね。対等ですね、というのが先ほどの国書のメッセージでした。つまり中華には天子がおられるが、私どもにも天子はいる。
この天子とは、天皇です。
煬帝はこれは無礼だと怒りながらも裴世清という役人を大和朝廷に遣わし、以後朝貢を免除されました。朝貢とは周辺国の王が皇帝に貢物をするという制度でした。でも我が国は王ではなく天皇だから、朝貢はしないよ、という聖徳太子の意思表示でした。そして日本は中華皇帝に対して朝貢などしない、対等な関係を築きました。
それ以後、日本とかの大国との付かず離れずの絶妙な距離での外交を続けてきたのです。中華思想の拒否です。

ところが戦後になって、敗戦国の日本としては戦勝国の中華民国に対して強気になれず、またGHQの要請もあって、中華、中国の呼称を外務省が受け入れて、以後教科書からもマスコミからも支那という呼称も表記も消えてしまいました。
それでも亡き石原慎太郎都知事は「支那」と呼び続け、マスコミ等から批判を受けておりました。

でもね、日本や韓国などを別にすれば、世界のほとんどの国々は、Chinaをもとにした呼称で表記し、そう呼んでいるのです。China Chine Ĉinio Chaina Κίνα Tscheina Kina Cina Cino Činaなどなど。
いわば日本だけが、中国と呼ぶことを強制され、従っているということです。
なんで?
ここに疑問を持った方、おられるんじゃないですか?

もう一つ、疑問を言うと、中華人民共和国が国連の常任理事国となっていますが、日本が降伏したのは中華民国です。終戦となった1945年の時点では中華人民共和国は建国していません。かの国の建国は1949年です。
なんか、世の中、国連にして欺瞞だらけですな。

ですから、中国という存在自体に、歴史的、政治的、思想的なからくり、意図があるのです。
そこを読み取らな。
日本はまんまとこの罠にはまって、今はもう媚中の議員、官僚ばかり。日本の企業もこぞって中国贔屓となりました。外務省なんて、もう中国にヘコヘコしております。

言霊です。
日本が支那とかの国を呼んでいたころは、対等、もしくは有利な外交、交流をしていた。
中国と呼びだして、まあ20世紀までの中国は経済的にも途上国でしたが、今や中国が日本を家来扱いにしています。
たとえば、日本の議員30人が台湾新総統の就任式に出席すると、中国大使の呉江浩は「日本が中国分裂を企てる戦車に縛られてしまえば、日本の民衆が火の中に連れ込まれることになる」と発言しました。完全に日本を見下しています。いわば日本の国民を容赦なく殺すぞ、言うてるんですよ。
これに対して外務省は形ばかりの抗議をしたと言います。
そんなことでいいのでしょうか?

こうなったのも、かの国を中国、中華の国と認知したからです。
そして脅威なのは、彼らは中華思想にプラスして共産主義の国となってしまった。これは厄介です。
その恐ろしさを、日本の国家運営と日本の国民に知らしめながらも、対等で平和的外交をせねばならないのが、日本のリーダーであるべきです。
岸田はダメ。その岸田に代わる新たな日本のリーダーが秋に決まるようですが、今のままかの国に媚びた人がリーダーとなると、今は政治家は美味い汁が飲めても、やがて崩壊していく中国の煽りを食うことになるでしょうな。迷惑するのは我々国民です。

かの国を中国と呼ぶか支那(China)と呼ぶか。
実は、日中関係を考え、両国の歴史を遡る重要な、きわめて重要な問題です。
日中の真の平等かつ平和の実現は、まず歴史と思想をお互いに理解する。
これです。
今の一部の日本人は、歴史も理解せず思想も知ろうともしない。表面だけの平和を唱える。
こういうのを"頭、お花畑"と言います。
ほんとに戦争反対、平和維持を叫ぶなら、何度も言う。
現近代史を学べ!!
当時の状況を知り、今の価値観で測るな!!

日本人よ、しっかりせい!!!



中山市朗公式YouTubeチャンネル

『シナカ中国か』
第一弾。

まず、中国は日本の中国地方のことを言う。
これは平安時代にそう呼ばれた。
中国というかの国は、1912年に建国されたわけでして。



第二弾!!
支那はChinaと同意語。その支那の語源は仏典から来る!!



第三弾!!
日本は支那、Chinaと呼ぶな!!!
かの国はそう言っている。
その言葉を擁護する日本共産党。
ふざけるなよ!!


第四弾!!

中国とは中華の国という意味。
中華民国。中華人民共和国。
支那が侮蔑的な言葉だというのなら、中華という言葉こそ!!


最終弾!!

中国という呼称は戦後に生まれた。
そして現在の日中の関係は??







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