Ichiro Kruso

八十路を超えてわが人生に限界線や天界に色濃く見えるようだ。独居生活も一年有半過ぎてだい…

Ichiro Kruso

八十路を超えてわが人生に限界線や天界に色濃く見えるようだ。独居生活も一年有半過ぎてだいぶ慣れた。それも拘束感が払拭しているからだ。 日日、起床(少年時代から日の出が起床)新鮮な光と気は、生の律動を感じる。 いよいよ未完の人生律動の終結へ・・「独居の独り言」を記してみようと思う。

最近の記事

独居の独り言 政治不信

今現在、自民党が岸田総裁から新総裁の党内選挙を予定している。自民党はある意味、根本的に自由主義を標榜して結党したはずである。国民社会に於いて自由主義の思想は民主主義と一帯なって政治・経済社会の根底を為すものである。 ここに、「自由」と言う世界を何ら法治絶対の世界であるとの認識を忘れたように本来、政治家は人格者として倫理・道義的思想を矜持を国民から期待されているにもかかわらずこの重要な認識はうすくその結果、法的規制がありながら客観的、主観的に考えたとしても、その欠路、曖昧性を

    • 独居の独り言(孤老の嘆息)

       闇的政治資金に塗れる政治家 今,現在、自民党が自民党が岸田総裁から新総裁の党内選挙を予定している。自民党はある意味、根本的に自由主義を標榜して結党したはずである。国民社会に於いて自由主義の思想は民主主義と一帯なって政治・経済社会の根底を為すものである。 ここに、「自由」と言う世界を何ら法治絶対の世界であるとの認識を忘れたように本来、政治家は人格者として倫理・道義的思想の矜持を国民から期待されているにもかかわらずこの重要な認識はうすくその結果、法的規制がありながら客観的、主

      • 独居の独り言(花火大会と孤老の残照)

          打ち上げ花火と隠棲孤老  花火大会の日が多い夏もほぼ終わり。 しかし平野部は強烈では全身に陽が差し込む超極暑が続いた夏日が続き今でも、ヒグラシの朝の声は遅くなったけれど、この熱暑日はそれほど変わっていない。    独居人、隠棲したような日々を送る自分にとって、体調を崩したくないので、寂涼に山家に閉じ籠もり日がほとんどであった。今の独居生活は、よく言えば書斎に詰め込んでいる孤老のわび住まい日々である。   しかしこうして住んでいても自分ではそれほど育んできたとは思わない

        • 独居の独り言(八月十五日を想う)

          1945年8月15日と生きている今、現在  自分は数え6歳であった。 とにかく昭和20年3月10日の米空軍の10000メートル上空から東京大空襲があり日本は苦も無く攻撃されていたと言ってよい。 6歳の小児と言え空襲のサイレンと敵機来襲のラジオの警報・サイレンが鳴り、急遽電球に黒いカバーをして、母の側に寄り添い、妹は抱きしめられながらじっと耐える。しかし、B29の空襲が実際に侵入し、爆弾(焼夷弾)を投下し始めると警防団員の避難呼びかけに応じて、大人たちは外に出て、襲撃の様相を眺

        独居の独り言 政治不信

          独居の独り言(ショウ化したオリンピック?)

           オリンピック祭典は世界的ショウ化?ギネス化か?  現在パリオリンピックも後半、, 日本のメダルの獲得数や切磋琢磨のゆるぎない自身をぶつけたその決戦は実にすがすがしいと思う。終了に近い大会になってきたけれど、スポーツと見なされる認定された競技数も昭和の東京オリンピック(1964年競技数20、163種目)と比較したら競技・種類(32競技、329種目)があまりにも多いのに驚かされる。  ギネスブックの何でも世界一の、認定と比較しようがないと思うが、ギネス的オリンピックだねー・・大

          独居の独り言(ショウ化したオリンピック?)

          独居の独り言(わが人生感と父母)

          晩稲、半端な、わが人生感 人の生も死も好悪を自ら選んで為されるわけではない、普通の人であればその意識は変わらないと想う。中には自ら命を絶つ者もいるが・・・。 しかし、一度、生を受ければ周囲からヒントを与えられて応用行動を展開するかしないかである。始まりは、見よう、見まねで始まるのだ。やがて、生活の年輪を重ねながら、自ら熟慮するかしないか、人生の歩き行く方向性や生き方をとらえて、命の紡ぎを進めているのであり自らの体質的、精神的構造や構築はその生活行程の中で変動や変質も、自らを取

          独居の独り言(わが人生感と父母)

          独居の独り言(長年のコンプレックス)

          手書きの手紙に困惑と吾がへたな字 「Kさんお元気でしょうか」と普通の書き出しであったけれど、実際にペンで認めてあった。出し主のことを想うに、いつごろからであったかおぼろげになってしまったが、その人からの手紙はいつもペン書きであり、あの年齢〈50歳〉では珍しいと思ってしまうのである 今は、パソコンで打ち込んで、プリンターで印刷した手紙、メール、mobileを使って、Line、ショートメール、メールで送信するのが一般化されているからである。  郵便切手を使って自筆の封書、はがきで

          独居の独り言(長年のコンプレックス)

          独居の独り言(豊かな人生路)

           豊かな人生は周囲の人々のお陰 自分の人生を振り返ってみることは、八十路を超えた一人生活だからであろう。だが、年を重ねてきた生き様を思い出しながら、今日の「自分自身の人生この方」の折々を思い起こすとき「いろいろあったにしても豊かな人生路」と言う感覚と「自らを取り巻く人々に命の息吹や気概、情熱を引き出す意思力」の自己形成を暗黙の中にヒント、あるいは示唆を与えられてもらい現実の社会を今日まで生き抜いてきたとの憶である。八十路を超えたからこそますます、其の想いである。  とにかく

          独居の独り言(豊かな人生路)

          独居の独り言(鴨長明の無常観と・・)

          無常観に似せて  この国は大陸の果て、どん詰まりの地理的位置づけにあると言われたのも昔々の話と憶うようになった。 しかし、依然として極東(本来、欧米人からの言い方)の島国であることは変わらないのである。歴史的にも、日本にはこ縄文前期頃より他地域から何らかの事情で日本迄移動してきた人々はここからさらなるイーストは地球最大の海洋太平洋であり、さらにイーストの地へ移動することは極めて困難でここ以外に往くことが出来そうもないとあきらめて住み着いた民族かもしれない。このこと,この気性

          独居の独り言(鴨長明の無常観と・・)

          独居の独り言:難病と書道のこと

            書道を好む女性軍団は元気です  いまから20年以上も前のこと、中学時代に書道を始めたことを思い出し、書道の先生が可能なほど演習することにして、ある書道の協会に入会、「師範科」の2年間の通信教育を受講して、「某協会」の「師範」を取得した。当時は文部大臣認可の書道教育協会であった。 それが第四次資格認定試験の3か月のほど前、脳血栓暑症を受けて右腕がマヒ状態から平衡感覚と書筆の操作が直線を書けなくなり、また条書などでは皆、右寄りに書してしまうのである。まっすぐ書いたつもりが

          独居の独り言:難病と書道のこと

          独居の独り言(引っ越し魔?)

          引っ越し魔と独り暮らし  この人生、転居が多すぎたような気がする・・その様相を他人に話したりすると、「へーすごいね、どうしてそんなに転居したのかね?」と言う人、中には「話を聞いてみると、環境のいいところ、住みやすい所でうらやましい。移転したくとも拠無い諸事情によって移転などしたいけれどできなかったよ」またある人は、今住む家を全く移転などしたくないね。私は保守的で安穏、ひとところに住んでいたいし、今のところを離れたくないね」、転勤ばかりで一所に3年といついた程度、定年まで、転居

          独居の独り言(引っ越し魔?)

          独居の独り言

          6月20日 日記 久しぶりの来訪者  久しぶりに、長女、次女がわが山家に訪ねて来た。 駅まで定着時刻に迎えに出た。自分の所要も駅周辺で片付けたいことがあって好都合だった。数か月ぶりの娘二人との対面である。一人生活になって3年ほどになろうとしている。ゆっくり談笑できることに独居老境の心浮き立ちまた、娘と言っても中年ではあるが、妻亡き後老境にとってにぎやかで華やかな二人とであるなー・・と、うれしい限りであった。ちょうど昼食時での駅到着だったので、しいたけ弁当や鯛寿司弁当、かまぼ

          独居の独り言

          独居の独り言(神田川の記)

           わがロマンは「南こうせつさんの神田川時代の始まる前に」 しかし、僕の神田川時代は懐かしい、あの青春期を思い出す  生まれは、向島:スカイツリーの周辺に昭和20年3月10日の米国の大空襲を受けるまで住んでいた。3日後には急遽、溝の口の高射砲大隊から駆けつけてき父の手続きで山形へ疎開した。 父は、東京の下町、両国、亀戸、錦糸町、浅草、向島方面はほとんど全滅と言われて、急遽、行ってくるように言われたらしい。 そして、山形の奥羽山脈地の一角、江戸時代には宿場町、天領と言われた地へ

          独居の独り言(神田川の記)

          独居の独り言・さびしい人

          さびしい人へ・・われも寂しい人間の一人です  孤独感で寂しさに忍んでいる人は多いようだ。新聞やウエブでそのような悲鳴を知ることが多いのである。 その実態は様々かもしれないが、 そう言う、自分も寂しさや孤独感は常にある。 老い先も短い性かそれも、当然自然なことと受けている。妻に先立たれてほぼ3年である。孤独感など言うことは本質的にだれもが胸の奥底にあるものと割り切ってはいる。その受け取る感性度が多様であり、その状況に違いはあることも間違いないと想う。 ある一人の公務員が某新聞

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          台風を楽しんだ時代?”不謹慎”

             台風の季節がやってきた、台風第1号が発生、郷土直撃ではないが、現代社会はいろいろな面で自然、人工的危険がいっぱいとなっている。 そのため、気象庁の予報も精度が高くなって、予報も極めて安全性の側面から慎重で確率高く細分化さされた各地域、市町村、地名の果てまで予報が解かる時代になってきている。非常に至便な情報で大いに利用、応用が実践できるので助かる。古い時代から台風は野分とも言った。自分にとって小学生時代が懐かしい。台風が来ることになると家じゅうで予報や、警防団(地区の青年

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          吟唱 芭蕉_奥の細道最上川

          芭蕉の俳諧紀行文、奥の細道の俳諧句は江戸から奥羽から越後、北陸、美濃大垣、伊勢などへの13ヶ国にわたり、全行程600里に渡るのであり、極めて難 な行程であった。山形は山寺から最上川沿い、出羽三山周辺領域、秋田への象潟へ往路、復路などあり、現在でもこれらの行程は芭蕉の色濃いで観光路程として訪れるものが多い。最上川はいまでも、芭蕉の面影を彷彿とさせてくれる。この詩は吟じると最上川の激流地、酒田へ近づくにつれて滔々とした流れを想わせられるのだ。

          吟唱 芭蕉_奥の細道最上川

          吟唱 芭蕉_奥の細道最上川