Ichiro Kruso

八十路を超えてわが人生に限界線や天界に色濃く見えるようだ。独居生活も一年有半過ぎてだい…

Ichiro Kruso

八十路を超えてわが人生に限界線や天界に色濃く見えるようだ。独居生活も一年有半過ぎてだいぶ慣れた。それも拘束感が払拭しているからだ。 日日、起床(少年時代から日の出が起床)新鮮な光と気は、生の律動を感じる。 いよいよ未完の人生律動の終結へ・・「独居の独り言」を記してみようと思う。

最近の記事

金が降る 一茶24_5_1

金が降る 一茶 上総の国富津の浦にみゝつ貝といふかひ有りけり これ全く一ツのものながら、山おくにては 宝と尊み、海辺にては芥といやしむ げにげに昆山の麓には、玉をもて鳥に投げうち、 彭れいの浜には、魚をもて犬をやしなふとかや。 是を思へば、三千世界の中には 黄金の捨て場にもちあぐむ国もなどかあらざらん 金が降る 金が降るてふ 白雨を      ばらばら海へ 捨てるむら雲      ばらばら海へ 捨てるむら雲 今の千葉の富津海岸に「みみつ貝」が一茶の時代もいたのであろう。一茶の面白い目の付け所ではあるけれど、世情の価値の置き所が地域によって全く違ってしまう そして、一茶はもっと奥の奥を多感にとらえて詩っていると想う 吟じながら、ロートル独居人の「われおもう、ゆえにわれあり」と想いながら・・・

    • 独居の独り言(食の思想?)

       4月30日朝食のつぶやき 大げさと想うけれど、これまで八十数年生きたこの人生、哲学、思想など意識して熟慮、思考をほとんどしなかったのである。哲学、思想を考えるのは結局、自分のためであるけれどたいした人生観をもった者じゃなかったんだよな・・本音を吐いておく。 学問として哲学・思想を洞察、思考、探求を専門家・哲学者の為すことだと・・・・。  普通の人間にとって哲学や思想を熟考するのは自らのためである。ひいてはその哲学や思想的な自らの考え方や心に定着することにはそれぞれの思考性

      • 独居の独り言 一つの縛りを解くか? 

        世の縛りある八十路超え 独居の山家暮らしを思えば、「世捨て人」になりたいなどと想うこともあるけれども、なかなか、そうはいかないのが、いまの自分だよ、生きている縛りは、これまで自己意識や意志力のなせる業である。それが今日、八十路を超えても逃れるわけにいかない、意識になっているのだ。 ま、ゴールデンウイーク過ぎて世の中が少し静かになったら、今は両親も去って二十数年、誰もいない、あの農山村の裏山裾野で吾妻連峰がすがすがしく遠望できた家へ・・・と。ひっそりと建たずむ古家を、まさに

        • 独居の独り言 4月21日

          食い意地張った独居俗人の想うこと・・朝食のひと時に われは単純・複雑、両合わせの俗人だよな  あるいは自らは楽天的な人間だと決め込んでいる一人だとも思う  ・・でいて神経質な性質で弱音はあまり吐かないが、気の弱い人間だ。 そんなわが人間性でも、よくもここまで生きてきたものだ、過去、現在、未来を抱え、それが、まとわりついているのがわが人生なんだよ・・仕様がないね  それに加え今、独居で生きていることには、なんだね~、別な意味で厭うことだけれど自尊心あり「誇り」を胸に秘めた人間

        金が降る 一茶24_5_1

        金が降る 一茶24_5_1

          独居者の酒酔吟唱 月下独酌 李白

          夜、天城連山の山間のあばら家で、山月をながめなが独酌する、月見酒である 月夜の晩は東南に位置するので、障子を開いて、喜怒哀感に満ちた人生を振り返り、あるいは老い先短いだろうことなども思いよぎらせ、一方では、聲高に、好きな詩を吟唱する。酒のみ雰囲気を悠然と詠いこまれている「詩」好きである。 そして吟唱する。その点では李白、陶淵明、杜甫、など何かと人生の愁いの中に淡々と酒に陶然と酔う様を詠みこんでいるのが好きである。彼らの詩には彼らの深く色濃い人生を感させてくれるからである。 月下独酌     李白 花間、一壺の酒 独り酌んで、相親しむ無し 杯を挙げて、名月を迎え 影に対して三人となる 月既に、飲を解せず 影徒にわが身に従う 暫く、月と影とを伴い 行楽須らく春に及ぶべし われ歌えば、月徘徊し われ舞えば影凌乱す 醒ときは、同に交歓し 酔いて後は、各分散す 永く無情の遊びを結びて 邈(バク)たる雲漢に相期す

          独居者の酒酔吟唱 月下独酌 李白

          独居者の酒酔吟唱 月下独酌 李白

          独居の独り言(続編)

          再び「独居の独り言」を思いつくままに・・・ 毎日何か思い、考え、推定、想像する。何処かへ外出や旅行をしても独居の心はいつも隣り合わせである。一人生活は自由を満喫しているかもしれない こんな自分になったのも宿運かね~ 今日は、曜日で言えば「詩吟」教室出席日で本来、早朝6時20分棲家を出て鎌倉、逗子方面へ出発しているのだ。しかし嵐のような雨降り日(午前中)なので坂道を降りにくいので欠席したのである。今日の吟唱の予定は新体詩で若山牧水の「暮坂峠」である。独居の自由さで粗末な棲家で

          独居の独り言(続編)

          独居の独り言

          さばの炊き込みご飯・・食い意地老のある日 2024年4月3日  2024年4月3日 ふと、さかなの冷凍庫のサバを思い出した。。通常は嫌いではなく、あの匂いを知りながら擦り生ショウガを使用してこんがり焼いてごはんの友、好きなアルコールの友として食べてしまう、これが自分の並みの食べ方である。 それで満足な美味であり、飽きない食し方である。 しかし、他の魚類にたいしても、独居ゆえ勝手自由に食する権利?・・があり 自分流に美味しく食べる方法は無いかと考えていた。魚もたくさん種類が

          独居の独り言

          独居の独り言(伊豆のある棲家にて)

          今やフランスは闇の自由・平等国か フランスの教育相は中東や北アフリカで伝統的衣装となっている「アバヤ」を学校で着用することを禁止した。 その理由を「教育現場での着用は政教分離にそぐわない」と言うことらしい。 イスラム教側は「アバヤは教義とかかわりがないので人権侵害である」と主張して直ちに解除すべきであると対立しているようだ。  さらに、あだる国民教育・青少年相はテレビに出演、「教室において生徒の目に、信仰が特定できるのは不適切」と説明した。 しかしフランスでは既に2004

          独居の独り言(伊豆のある棲家にて)

          独居の独り言:より多くなる独り言

          めんどうだね断捨離なんて  まず、転居なんて八十路を越えてしたくない・・加えて断捨離なんて自分でするのはごめんだね・・・と胸に蘇る。 しかし、自ら、削るような残日を考え、これから先の日常生活の環境や条件を省みると、やはり転居が最良の策である、との結論であった。 ただし、重くのしかかってきたのは、妻亡き後の断捨離である。 自ら、手を付けたくなかった。それでも、主体は自分であり、うじうじ、トロトロと手を付け始めた。妻にかかわる、手紙、写真、着物、洋服、アクセサリー、専用の家具、

          独居の独り言:より多くなる独り言

          俳句 夏 三題 さみだれや_ながしけや_あつきひの

          俳句吟唱 さみだれや 大河を前に 家二軒            大河を前に 家二軒   蕪村 霖雨や 霖雨や 栗の花浮く 潦(にわたずみ)            栗の花浮く 潦     岳風 あつき日の あつき日の 中にも今日の あつさかな            中にも今日の あつさかな   岳風  暑熱続き日々です。声高らかに吹き飛ばしますか・・独り言           

          俳句 夏 三題 さみだれや_ながしけや_あつきひの

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          独居の独り言 西條八十に学ぶ

          詩人、作詞家西条八十は喧噪な兜町から生まれたという。文人はもっと金銭に恬淡としている人間かとおもっていたがそれはある種の運命にもよると言うことか・・・。ただ一つの家庭環境が人の生き方を決めてしまうことかとも思う。彼は無一文の大学生だったようだ。株で一儲けをしようと、家族のため証券取引所通い詰め、第一次世界大戦終了までは戦争景気で日本経済は天井知らずに成長したようだが、大戦終結後景気、株価は暴落し株資産価値は露と消えた。彼は再び無一文になり、そこから自己変革に乗り出した。自

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          夜明けのヒグラシ(鎌倉)

          今の住まいは、20年以上住んでいる. 裏の山は、孟宗竹いっぱいである。 毎夏7月10日前後に、必ず、日の出前4時ころ、一番ヒグラシの低音からの 呼び声から始まり、高い合唱へと始まる、それを20~30分ほどで終わるのです。今年は、梅雨時の関東は暑熱が続いたからだと思うが、ヒグラシの声をいつもより1週間ほど早く、鳴きだした。これだけでも暑さを感じる。 ヒグラシは東北の山村在住時代は秋を知らせる午後4時以降に鳴く蝉と思っていた。秋を知らせる蝉として、8月中過ぎのセミの声と思っていた。鎌倉のヒグラシは早い。あの頼朝、北条の時代もそうであったろうと思う。ちなみに鎌倉八幡宮への宮庭には源氏池と平家池が仲良く並んでいる。旧時代は敗者の安寧を祈っていたということかな・・・。 ヒグラシは八十路になった今、祇園精舎の鐘の音とむしろわが人生の好悪に悔いはないが、無常観の心象で聞くことも多いようだ・・・。

          夜明けのヒグラシ(鎌倉)

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          独居の独り言:そぞろつらい断捨離

          亡き妻(ひと)の断捨離  独居暮らしの移住のため50年の歳月は顔を合わせて45日には結婚をした情熱で、50年の歳月を過ごしてきた今、第三の人生を独居で過ごす「愛」の拘束感?なく自らの命ある限り忘れられない思いを秘めて、智恵子亡き後、花巻温泉の山小屋(中学生の時紫波町の叔父に連れられてよく訪れた、岩手は第二の故郷である)雪の外に出て「智恵子、ちえこ」と叫んでいた高村光太郎に深いロマンを感じ、疑似的とはいえ独居生活を決めこんだのである。これは終の棲家があるのと、青春時代から夢見た

          独居の独り言:そぞろつらい断捨離

          老木桜_一茶 の俳諧吟唱

          老木桜(一茶)の吟唱です 小生もかなり老いの身心であること知っているけれど、朽ち果てるまでどれだけ残り火があるか楽しみです。春じゃなくてもよい、秋の紅葉の頃が何時迄かな? 老木桜 一茶 或る山寺に、うつろ木の一つなん ありける 今にも枯るゝばかりなるが さすが春のしるしにや 三つ四つふたつ つぼみけるを 浅ましの、老木桜や 翌(アス)が日に     倒るゝまでも 花の咲く哉     倒るゝまでも 花の咲く哉

          老木桜_一茶 の俳諧吟唱

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          沼津の芹澤記念館を訪ねて

          孫(小学四年生)の夏休みも終わり(2021年の夏)に近づいたある日、静岡へ、孫を連れて二人で旅に出た。天候は余り良くなかったが、クレマチスの丘のヘルベール美術館、井上靖文学館、などを目指し、三島駅の定時バス乗車予定していたが、コロナウイルスの影響か臨時休止だった。仕方なく、休日の表示なしなのでタクシーにしたけれどクレマチスの丘もすべて休止であった。孫を連れてややとまどい、草臥れたけれど泊りは沼津市なので、一先ず、旧国家公務員保養所Hホテルに行くことにした。 沼津駅で

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          独居の独り言 終の棲家か?

          独居の終の棲家を修善寺温泉地区へ わが家の一つが伊豆市修善寺温泉地区から2キロほどの所の昭和時代中期の新別荘地である。 10年ほど前に山形の家(故郷:いつでも住める住宅在り)では、「冬、雪多く」距離が遠い(鎌倉から新幹線の乗車含めても約4時間、往復の鉄道運賃も高額、タクシー使用であり、免許なしの自分なので高額な交通費がかかるので、関東周辺、しかも片道1時間30分~2時間前後で、JRの普通乗車で行けるところを探索、しかも中古である。最初は小海線、丹波(青梅の奥山)、韮崎、

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