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金が降る 一茶24_5_1
金が降る 一茶 上総の国富津の浦にみゝつ貝といふかひ有りけり これ全く一ツのものながら、山おくにては 宝と尊み、海辺にては芥といやしむ げにげに昆山の麓には、玉をもて鳥に投げうち、 彭れいの浜には、魚をもて犬をやしなふとかや。 是を思へば、三千世界の中には 黄金の捨て場にもちあぐむ国もなどかあらざらん 金が降る 金が降るてふ 白雨を ばらばら海へ 捨てるむら雲 ばらばら海へ 捨てるむら雲 今の千葉の富津海岸に「みみつ貝」が一茶の時代もいたのであろう。一茶の面白い目の付け所ではあるけれど、世情の価値の置き所が地域によって全く違ってしまう そして、一茶はもっと奥の奥を多感にとらえて詩っていると想う 吟じながら、ロートル独居人の「われおもう、ゆえにわれあり」と想いながら・・・
独居者の酒酔吟唱 月下独酌 李白
夜、天城連山の山間のあばら家で、山月をながめなが独酌する、月見酒である 月夜の晩は東南に位置するので、障子を開いて、喜怒哀感に満ちた人生を振り返り、あるいは老い先短いだろうことなども思いよぎらせ、一方では、聲高に、好きな詩を吟唱する。酒のみ雰囲気を悠然と詠いこまれている「詩」好きである。 そして吟唱する。その点では李白、陶淵明、杜甫、など何かと人生の愁いの中に淡々と酒に陶然と酔う様を詠みこんでいるのが好きである。彼らの詩には彼らの深く色濃い人生を感させてくれるからである。 月下独酌 李白 花間、一壺の酒 独り酌んで、相親しむ無し 杯を挙げて、名月を迎え 影に対して三人となる 月既に、飲を解せず 影徒にわが身に従う 暫く、月と影とを伴い 行楽須らく春に及ぶべし われ歌えば、月徘徊し われ舞えば影凌乱す 醒ときは、同に交歓し 酔いて後は、各分散す 永く無情の遊びを結びて 邈(バク)たる雲漢に相期す
夜明けのヒグラシ(鎌倉)
今の住まいは、20年以上住んでいる. 裏の山は、孟宗竹いっぱいである。 毎夏7月10日前後に、必ず、日の出前4時ころ、一番ヒグラシの低音からの 呼び声から始まり、高い合唱へと始まる、それを20~30分ほどで終わるのです。今年は、梅雨時の関東は暑熱が続いたからだと思うが、ヒグラシの声をいつもより1週間ほど早く、鳴きだした。これだけでも暑さを感じる。 ヒグラシは東北の山村在住時代は秋を知らせる午後4時以降に鳴く蝉と思っていた。秋を知らせる蝉として、8月中過ぎのセミの声と思っていた。鎌倉のヒグラシは早い。あの頼朝、北条の時代もそうであったろうと思う。ちなみに鎌倉八幡宮への宮庭には源氏池と平家池が仲良く並んでいる。旧時代は敗者の安寧を祈っていたということかな・・・。 ヒグラシは八十路になった今、祇園精舎の鐘の音とむしろわが人生の好悪に悔いはないが、無常観の心象で聞くことも多いようだ・・・。