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独居の独り言 西條八十に学ぶ

  詩人、作詞家西条八十は喧噪な兜町から生まれたという。文人はもっと金銭に恬淡としている人間かとおもっていたがそれはある種の運命にもよると言うことか・・・。ただ一つの家庭環境が人の生き方を決めてしまうことかとも思う。彼は無一文の大学生だったようだ。株で一儲けをしようと、家族のため証券取引所通い詰め、第一次世界大戦終了までは戦争景気で日本経済は天井知らずに成長したようだが、大戦終結後景気、株価は暴落し株資産価値は露と消えた。彼は再び無一文になり、そこから自己変革に乗り出した。自らの人生の流転の経験を糧に童謡や流行歌を生み出したという。しかし、それもまた、誰もができるものではなかった、漱石の門下生・鈴木三重吉が雑誌への執筆を西條に依頼し「赤い鳥(1918年7月刊行された子供のための雑誌)」の童謡「かなりあ」は全国で歌われたが、それで彼は生活のめどが立った。
彼はそれなりの素質が素晴らしかったことは言わずと知れたことだが、彼の稼得収入は追い詰められた必需性からの出発であったにして、第一次世界大戦末までの、日本の好景気に乗じすぎて崩壊したのも必然性であったと思う。しかし一転して文学の世界で名を為すほど、素質は豊かとは言え、大変な危機を強靭な努力があったには違いないが、見事に再起する凄さは素晴らしい。
それと比べるの烏滸がましいいけれど、菲才、凡庸な己には遥かに遠い話だな・・・。


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