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独居の独り言:そぞろつらい断捨離

亡き妻(ひと)の断捨離
 独居暮らしの移住のため50年の歳月は顔を合わせて45日には結婚をした情熱で、50年の歳月を過ごしてきた今、第三の人生を独居で過ごす「愛」の拘束感?なく自らの命ある限り忘れられない思いを秘めて、智恵子亡き後、花巻温泉の山小屋(中学生の時紫波町の叔父に連れられてよく訪れた、岩手は第二の故郷である)雪の外に出て「智恵子、ちえこ」と叫んでいた高村光太郎に深いロマンを感じ、疑似的とはいえ独居生活を決めこんだのである。これは終の棲家があるのと、青春時代から夢見た伊豆地方にたいして「わがイマジネーション」を最愛の妻(ひと)にかさねて、「私が亡くなったら伊豆に住みなさい」とも言われていたことでもあったのでそこへ移住し、八十路を越えて社会的つながりは暫時少なくなりつつあるが、隠棲的な過ごし方を望んでいるからである。ただし、所詮、中途半端な隠棲的生活になることも想像している。それでも、柵(しがらみ)が幾重にも増加してきた環境からかなり脱出できると想像している。

このため、本来、娘(3人)等や息子(1人)と共に50年の歳月で積み込んできた諸物や諸事項の断捨離を手伝ってはくれるが、とても断捨離完成を、彼女、彼たちは補完的には手伝ってくれるものゝ、やはり、独居生活フリーランスの自分の義務であり責任であることを十二分に理解している。

断捨離でもっとも迷うのは、50年間の家族写真、メモ魔の妻の記録書、余りにも多いアクセサリー(やはり命がこもっていると思うだけに)、彼女の愛読書、数多くのクルスなどの処理方である。捨てると言う辛さが、どうしても思い重なってくるからである。
断捨離とはすべてを捨てるのであればもっとも簡単だけれど、この最中の自分にはどうしてどうして厄介で頭痛いな~とこれも独居の独言か・・・・

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