高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!19~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して

妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ「ガーターベルトの女」の
映画化芝居化・・・その他いろいろ作品化できればなんでも
なんて途方もない夢を観ています
夢を観ている今が幸せなのでしょう

「ガーターベルトの女」の作品化のために~続き~『夢をかたちに』のブログから

2017/7/18(火) 午前 9:08 日記
朝食を済ませ、
ゴミ出しもして、
やっと一服。
そこで、昨日から書いた日記の
続きを書くことにします。

エッセイの作品化のために、
今度はどんなことをするかという課題。
さっきの日記をツイートしたのですが、
その時思ったのが英語での発信。
ツイッターは一応、英文にしているのです。

当然、Weblioの機械翻訳を利用しています。
ミスは多いと思いますが、大意は伝わると思います。
Weblioを信頼しましょう。
以前から、エッセイの英文化のために、
英語堪能な方に協力を呼びかけていました。

エッセイの英文化が出来れば
英語発信のブログも作ろうと思っていました。
エッセイの作品化の目標は、世界に向けています。
協力者が見つかるまで待ってはおれません。
見つからない可能性が高いですからね。

先ほど投稿した日記の英文を、
あとから日記を編集して付け加えました。
そうだ!この方法で、先ずは英語発信のブログを
作ってみようと思いました。
もし協力者が現れたら、それをチェックしてもらおう。

出来ないからやらないのではなく、
私にできることから、とにかく始めよう。
それは、ミスが多くてもいいじゃないか。
誰かが、日本で、何かやろうとしている。
それだけでも伝わればいい。

ということで、エッセイの翻訳と、
英語発信のブログ作成を同時進行で始めます。
海外のアダルトサイトへ、英語の投稿を続けていたことが
ヒントになりました、
「無駄なことは何もない」という教訓の一つ?

それから、問い合わせメールも
引き続きだしていきましょう。
返事が無くて当たり前。
私がやっていることは、きっと非常識なことでしょう。
金もなくコネも無い素人が、何かやろうとすること自体が非常識。

無視も非難も、有難くお受けいたします。
でもそれで、あきらめることはありません。
心が折れることもありません。
「駄目でもともと」ですから。
「0%からのスタート」ですから。

この日記の最後に、
二つのことを呼びかけます。
1 英語ブログの作成とエッセイの英語翻訳の協力者を求めます。
2 作品化のための協力スタッフを求めます。

がんばります。がんばろうね。
Mを見たいからね。
映画で。
舞台で。
アニメで、小説で。

朝食を済ませ、
ゴミ出しもして、
やっと一服。
そこで、昨日から書いた日記の
続きを書くことにします。

エッセイの作品化のために、
今度はどんなことをするかという課題。
さっきの日記をツイートしたのですが、
その時思ったのが英語での発信。
ツイッターは一応、英文にしているのです。

当然、Weblioの機械翻訳を利用しています。
ミスは多いと思いますが、大意は伝わると思います。
Weblioを信頼しましょう。
以前から、エッセイの英文化のために、
英語堪能な方に協力を呼びかけていました。

エッセイの英文化が出来れば
英語発信のブログも作ろうと思っていました。
エッセイの作品化の目標は、世界に向けています。
協力者が見つかるまで待ってはおれません。
見つからない可能性が高いですからね。

先ほど投稿した日記の英文を、
あとから日記を編集して付け加えました。
そうだ!この方法で、先ずは英語発信のブログを
作ってみようと思いました。
もし協力者が現れたら、それをチェックしてもらおう。

出来ないからやらないのではなく、
私にできることから、とにかく始めよう。
それは、ミスが多くてもいいじゃないか。
誰かが、日本で、何かやろうとしている。
それだけでも伝わればいい。

ということで、エッセイの翻訳と、
英語発信のブログ作成を同時進行で始めます。
海外のアダルトサイトへ、英語の投稿を続けていたことが
ヒントになりました、
「無駄なことは何もない」という教訓の一つ?

それから、問い合わせメールも
引き続きだしていきましょう。
返事が無くて当たり前。
私がやっていることは、きっと非常識なことでしょう。
金もなくコネも無い素人が、何かやろうとすること自体が非常識。

無視も非難も、有難くお受けいたします。
でもそれで、あきらめることはありません。
心が折れることもありません。
「駄目でもともと」ですから。
「0%からのスタート」ですから。

この日記の最後に、
二つのことを呼びかけます。
1 英語ブログの作成とエッセイの英語翻訳の協力者を求めます。
2 作品化のための協力スタッフを求めます。

がんばります。がんばろうね。
Mを見たいからね。
映画で。
舞台で。
アニメで、小説で。

(Weblio translation)

Finish breakfast,
Make the getting out garbage,
At last I have a short rest.
Therefore I decide to write the continuance of the diary which I wrote from yesterday.

A problem what kind of thing the work of the essay performs of for becoming it this time.
It is dispatch in English I tweeted, but to have thought of a diary of a little while ago then.
Twitter makes an English sentence for the time being.

Naturally I use machine translation of Weblio.
I think that there are many mistakes, but think that the gist comes.
Let's trust Weblio.
The English sentence of the essay always appealed to the one where English was proficient in for cooperation for becoming it.

I intended to make the blog of the English dispatch if I could become the English sentence of the essay.
The sign of becoming it turns the work of the essay to the world.
Wait until a cooperator is found and is not precocious.
I am not more likely to be found.

I edited a diary later and added the English sentence of the diary which I contributed some time ago.
So! In this method, I intended at first to make blog of the English dispatch.
I will have you check it if a cooperator appears.

Because we do it because I cannot do it, and it is possible for me, anyway, let's begin it.
It may have many mistakes.
I am going to do it what somebody is in Japan.
With that alone you should come.

I begin translation of the essay and blog making of the English dispatch by progress at the same time.
Is it one of the lessons, "there is no useless thing" that it became the hint to have continued contributing English to the overseas adult site?

Then the inquiry email will begin to last, too.
There is not an answer and is ordinary.
Surely it will be thoughtless of me to do it.
That the connection is going to do without money what a few amateur is is lack of commonsense.

I accept both the disregard and the criticism gratefully.
But there cannot be the thing giving it up in it.
A heart may not be broken.
"It is no use, originally."
Because "it is the start from 0%."

In the last of this diary, I call for two.
I demand making of 1 English blog and a cooperator of English translation of the essay.
2 works demand the cooperation staff for becoming it.

I do my best. Let's do our best.
I want to see M.
By a movie.
On the stage.
By an animated cartoon with a novel.

「ガーターベルトの女」の作品化のために~『夢をかたちに』のブログから

2017/7/18(火) 午前 7:00 日記
世間は3連休
今日で終わりということで
毎日が連休の私としても
「ガーターベルトの女」の作品化のために
活動というか戦闘開始

これまでのメール作戦は
無視されてしましたね
当然と言えば当然の結果でしょうか
エッセイは読むまでもないということでしょうか
それは残念でしたね

私がではなく
相手側が惜しいことをしたという意味ですよ
素晴らしい素材であり
映画や舞台の原案となるべき宝だったのに
それを読むこともしないなんてね

読んだのに
返事するにも値しない
作品化なんてとんでもない
そう判断されたのなら私からすれば論外です
あなたたちの感性はそんなもの?

逃はした魚は大きい・・・と言いませんか?
後々 きっとそう思うはずです
そう思うように
私は一段と取り組みを強めます
あきらめません勝つまでは

戦闘開始とか 勝つまではとか
戦時中のような言葉ですね
そんな表現を避けるのが昨今の風潮
確かに一理あります
今の私はそんなモードです

なにせ「可能性0%」からでしょ
ああ もう眠くなって先が書けない
まず寝ることにしよう
また目が覚めたら 戦闘開始
・・・・・・・

18日午前7時前
ちょっと手直しして
とりあえずここまでをと投稿しましょう
ほとんど意味のないことばかりだけど
私の気持ちは伝わるでしょうから

(Weblio machine translation)

The world is 3 consecutive holidays.
Mainichi calls the work of "the woman of the garter belt" activity for becoming it as me of consecutive holidays concerning the end in the present days or I fight and start

The past email operation
I was ignored and did it.
Naturally is it a proper result if I say?
Will an essay be not to need to read?
That's too bad.

It means that I am not disappointed and did that a counterpart is precious.
Though is splendid material, and was the treasure which should become the original bill of a movie and the stage, do not do that read it either; what.

I read,
I do not deserve it to answer.
Becoming it is terrible a work.
If it was judged so, according to me, it is outrageous.
Is your sensitivity such a thing?

Is the fish which I missed not called big ...?
I should surely think so in the future.
I strengthen an action remarkably so as expected.
Do not give it up; until win.

It is a dove or wartime words to be until I win with a battle start.
It is the trend of these days to avoid such an expression.
Surely true.
But present I am such a mode,

Speaking of why, it is the start from "0% of possibility".
Oh, I become sleepy and cannot write a point.
At first let's decide to sleep.
In addition, I fight if I wake up and start.
zzzzzzzzz

It is before 7:00 a.m. for 18 days.
I adjust it a little, and let's contribute here first of all.
Because though I write only an almost nonsense thing, my feeling will come.

「ガーターベルトの女」          10 11 番外編 番外編2  14  15  番外編3
「ガーターベルトの女 外伝」(フィクション編) 1

Blogger 英訳ページへ

こじつけ 「牽強付会」とな~『無名魂』管理人日記から

2013/5/18(土) 午後 6:39
私の日課の主なものは
GyaO!で無料配信の韓流ドラマを観ること
二つのメルマガを出すこと
母に五行日記の葉書を出すこと
そのメルマガのひとつに
ここのことを書いてみた
言ってみればここの宣伝だが
まったく関係ないヤマツツジの画像
こじつけにこじつけてこのブログのことを書いた
果たして読んでくれる人がどれだけいるか
読んでくれてもここに来てくれるかどうか・・・
私の人生訓?のひとつは
「期待しない」
はい・・・かなり後ろ向きです
失望しないための回避策
それでいい・・・なるようにしかならない
まぐまぐ!のページにリンクすればいいのですが
それもめんどうだと思うお方もおいででしょうから
そのままここに転載しましょう
ここまで書いて思い出しました
以前も同じことをしてたようです
そんなことも忘れるくらいですから
いよいよぼけの始まりでしょうかね
ということで前置きはこのくらいにして
本文の転載といきましょう
それでは・・・はじまりはじまり・・・

2013/5/18 ;「花を歌うかな」 ;No.2067「花ねこ日記 」 
5月16日 赤城自然園 ヤマツツジ満開

水面が鏡となって<地上の自然を映します
自分の顔や姿を見たいとき鏡に映します
でも鏡に映った自分は虚像自分であって本当の自分ではない
本当の自分の顔を見ることはできない
試しに片目を閉じると鼻がぼんやり見える
漱石の小説にそんな記述があったような気がした
検索するとそれらしい文章がすぐ出てきた
「しかし自分で自分の鼻の高さが分らないと同じように、 自己の何物かはなかなか見当がつき悪(に)くい・・・」(「吾輩は猫である」第十章の半ばから)http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html
その前の文章は
「人間にせよ、動物にせよ、己を知るのは生涯の大事である。」
そう・・・本を読むのも「己を知る」ため
いま私は無名の若い作家の作品を読むことで
昔の自分を追体験している
そして自分の性欲や物欲支配欲・・・
その他もろもろの己の本性を
彼の作品によってあばいて欲しいという奇妙な思いにとらわれている

無名魂~無明の闇の無名の魂 - 無名作家の無名小説 - http://blogs.yahoo.co.jp/mumeikon2013
  「真実なんてね。」
  http://blogs.yahoo.co.jp/mumeikon2013/8591355.html

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藤川一郎
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