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子どもたちに見せたい『何者でもない私』

少し前に、フォローさせていただいているひいろさんの文章を読んで、すごく心に残った言葉がある。

『何者でもない私』


私はずっと、何者かになりたいと思っていた。

素晴らしいクリエイティブに触れる度に、
私もこんな心に残るものを生み出せる人間になれたらと願っていた。

その真意を辿っていくと、
私の存在を誰かに認めてもらいたかったのだと思う。

それを、
『何者かになる』ことで叶えたいと思っていたんだと思う。


以前、
「親としてどんな背中を見せていきたいか」
と言う話を知人から聞くことがあった。

その時からずっと考えている。
私は親としてどんな姿を見せたいのだろう。

でも、ずっと分からずにいた。


ひいろさんの文章を読んで、
今の私が思う
その答えが見つかったような気がした。


『何者でもない私でいること』

何者でもない私が、
一人の私が、

この小さな田舎町で生きている、
世の中のほとんどの人が私の存在を知らない、
そんなちっぽけな私が、

ただ生きている。

手の届く範囲の大事な人たちを大事にしながら。
その何者でもない私を愛しながら。

そんな、
ありのままの私を
精一杯生きているということ。

その姿を
子どもたちに見せたいのかもしれない。

何者かにならなくていい。
そのままでいい。

そのままのあなたで、
優しいあなたで。

迷いながら、
精一杯生きてね。

そう伝えたいのかもしれない。


何者かにならなければ、
そうなるよう努力をしなければ、
愛されないと思っていたけど。

ううん、違う。

私が、
私自身が、
愛してなかっただけ。

何者かでない私を認めてなかったのも、
許せてなかったのも、
愛せてなかったのも、

私。


だから、

そんな風に自分を殺して生きないで欲しいと、
ありのままで生き生きと歩んで欲しいと、
我が子にはそうあって欲しいと心から願っている。

そしてそれは、

私自身が
望む姿で生きている様を見せることで
伝えられるのだと。

そう知った。


『何者でもない私』

ひいろさんの文章を読んで、
はっとしたんだ。

これが私が子どもたちに見せたい姿で、
ゆるやかな呼吸で生きられる
今の私が望む私自身だと。


ひいろさん、
素敵な文章をありがとうございます。

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