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出来ないことを認めたら、今の幸せに気づける

久々にエディタに向き合い、なんだか少し緊張している。

先週、9日間お休みをしていた息子が無事登園したものの、その夜私が40度の発熱。夫も37度代で発熱。
4日目になんとか私が解熱するも、その夜夫の熱が40度まで上昇。
2日経ち、現在も夫は寝込んでおり、私も日常生活に支障が出る程度の風邪症状と戦っている。

そんな状態なもんだから、私の心のエネルギーは完全に枯渇し、特に夫が40度の熱を出した日はピークで。
些細なことで苛立ち息子に激怒。
何度も泣き叫ぶ息子を抱きしめてあげることもできず、寝る前にごめんねと言って泣いて。

翌日の息子は、それはそれはもう「いい子」で。
でも、ちょっと悲しそうで。

そんな「無理してる息子」を目の当たりにして、悲しくて申し訳なくて、猛反省した。


いつもニコニコしていて。
子どもとテンション高めに向き合い。
やりたいとチャレンジしている時は仏の心で見守る。

そんな育児本に書かれている理想の母親像に、少しでも近づきたいと思っていた。
そして、出来ない自分を責めた。

けれど、今回このどうにもままならない現実を体験し、自分の心の乱れを抑止することがいかに困難であるかを実感した。


元来私は、自分の気持ちを押し殺して人と向き合うなんて無理な人間だった。
それは、怒りだけでなく、喜びや悲しみも。

自分にも相手にも嘘がつけない自分の価値観がそうさせている。

だから、

いつもニコニコしていて。
子どもとテンション高めに向き合い。
やりたいとチャレンジしている時は仏の心で見守る。

自分の気持ちを押し殺しながら、この理想の母親の仮面を被り続けるのは出来ないんだ。

どこかで、努力すれば変われると思っていたし、変われば自分の描いている幸せな未来がやってくると思っていた。
現実の幸せにも目を向けた方がいいことは分かっていたけれど、心の中では諦められずにいた。

だけど、今回の件で、私は私の出来ないことを認めざるを得なくなった。


それは、諦めとは違って「手放す」感覚だった。
自分の中にある「こうあるべき」という姿を手放した瞬間だった。

子育てに関わらずなんでも、「ベスト=目指すべき理想の姿」を追い求めてきたけれど。
「ベスト=今できる精一杯」なんだと思えた。

そうすると、なんだか少し心が楽になった。

出来ないことを認めたら、今出来る、今私が持っていることにもそっと目を向けられた気がした。
良い状態(理想)に向けてがんばることは必要だと思うけど、今持っているものを大切にしながら無理をしないでいることもとても大切なことなんだと心の底から納得できた。


もちろん、できるだけ笑顔の母親でいたいし、息子のやりたい気持ちも応援したい。

でも、心も体も追いつかないときは何度もあって。
そんな時、感情が乱れて家族に当たってしまうこともある。

だけど、ちゃんと謝る。
絶対にそこだけは守っている。
そして、「ありがとう」って言い続ける。

その自分の絶対譲れないものだけを守りながら、感情に振り回される人間らしさを息子に見せるのもダメではないのかもしれない。
そうやってもがいている様を見せるのも悪くはないのかもしれない。

何が正解か間違いか、そんなことは分からないけど。
自分の気持ちに正直に。
そして、大好きな家族を大切にできる「在り方」をこれからも見つめていきたいと思う。


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