![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148376320/rectangle_large_type_2_092a02f4b21a5c5a035539b45f8ce0ca.jpeg?width=1200)
光る君へ(28)なぜ定子の死が感動的なのか考えてみた・大河ドラマで学ぶ脚本テクニック
大河ドラマ「光る君へ」が面白い。ということで、「「光る君へ」で学ぶ脚本テクニック」と題した動画を作っていくことにしました。動画といっても内容はスライドとテキストなので、noteにも載せていきます。今回は第28回の学びポイントです。
歴史の知識や「源氏物語」については一切触れませんので、予めご了承ください。
今回の学び:落日と落涙
![](https://assets.st-note.com/img/1721817376665-SW0V8W2UqX.jpg?width=1200)
第28回は、個人的に傑作回だったと思います。
中宮定子の死を、まひろの幸せと対比することによって、とてもドラマティックに描くことに成功していました。
注目ポイントは、「沈む太陽」と「まひろの涙」です。
どういうことか、詳しく説明していきます。
落日は死の暗喩
![](https://assets.st-note.com/img/1721817385312-RbSDKxTtxt.jpg?width=1200)
今回、中宮定子のシーンで2回、夕暮れの空がインサートされました。
1度目は、一条帝に呼ばれて内裏にやって来るシーン。
赤い夕日のカットがインサートされ、その後二人は、夕日が射し込む暗い部屋で愛を語らい抱き合います。
2度目は、3人目の子供を身ごもって食欲がない定子に、ききょうがお菓子をすすめるシーン。
このシーンも夕暮れを示すオレンジのライティングがなされています。
お菓子を口にして微笑む定子の次に、夕焼けの空がインサートされます。
このインサートカットは、1度目の空とよく似ていますが、もう太陽の姿はありません。
これは流れからいって、太陽が沈んだ直後の空でしょう。
そして、それに続くシーンで、定子の死が描かれます。
この一連の映像表現で、定子の死が「沈む太陽」と重ねらていることは明らかです。
定子は太陽
![](https://assets.st-note.com/img/1721817399711-7GvLOZfQkX.jpg?width=1200)
お気づきになった方も多いと思いますが、定子を太陽になぞらえるのには理由があります。
第26回で、ききょうは伊周にこう言いました。
「唐の国では、皇帝は太陽、皇后は月といわれておりますが、私にとって中宮様は太陽でございます。軽々しくお近づきになりますと、やけどされますわよ」
このセリフを受けて、中宮定子の死が落日のイメージで描かれたのでしょう。
ひょっとしたら元ネタが「枕草子」か何かにあるのかもしれませんね。ご存じの方は是非コメント欄で教えてください。
涙の意味
![](https://assets.st-note.com/img/1721817409944-LcyL46vmK6.jpg?width=1200)
さて、今回は「涙の回」と言ってもいいほど、登場人物がよく泣く回でした。中でも定子、まひろ、ききょう、一条天皇、この4人は大粒の涙を流します。
この中で、まひろの涙だけが異質です。
その場面を詳しく振り返ると、こういう編集になっています。
まひろが涙を流すのは、道長が危篤であることを宣孝から聞かされた、その次のシーンです。
まず水面に映った満月がインサートされます。
以前に2度ほど同様のショットがありましたから、これは盥の水だと分かります。まひろがひとりで道長を想うときのショットですね。
次に、涙を流すまひろのショット。オフで「逝かないで」というセリフが被ります。
その次が、盥の水面に落ちる雫のインサート。
この雫は、編集の流れからするとまひろの涙なのですが、まひろの体勢からすると、こんなふうに盥に涙の雫が落ちるのはリアルではありません。
つまりこのショットから「ファンタジー表現」に移行しているということです。ですから、しずくが水面に落ちる音も大きく強調され、エコーがかかっています。
そして、昏睡する道長のショットを挟んで、もう一度、落ちる雫のショット。すでにファンタジー空間に入っていますので、これはまひろの涙だと言っていいでしょう。
すると突然、画面は白飛びした「夢の世界」へと切り替わります。あの世へと旅立とうとしている道長。その夢枕にまひろがが現れ、「戻ってきて」と、この世に連れ戻します。
呪詛と涙
![](https://assets.st-note.com/img/1721817423391-kVsSF7VxlG.jpg?width=1200)
以上の編集が物語っているのは、“まひろの涙が道長を救った”というファンタジーです。
もちろんリアリズムから言えばそれはあり得ないのですが、映像表現から言うとそうなります。
これは、兼家が死ぬ場面に明子の呪詛をカットバックしたのと同じ手法です。
呪詛が相手を殺すファンタジーなら、今回のまひろの涙は、相手を蘇らせるファンタジーだというわけです。
死と生のコントラスト
![](https://assets.st-note.com/img/1721817440690-UvqRKtwbxD.jpg?width=1200)
このように考えると、「まひろの涙」は、「沈む太陽」とは対照的に、「生」を象徴するものと言って差し支えないと思います。
この2つはまた、定子とまひろの対照的な運命を象徴しているともいえます。
今回のラストで、定子の亡骸は暗い部屋にひとり横たえられています。
続くシーンで、まひろは娘・賢子と共に、大勢の家人に囲まれて賑やかに笑っています。
帝に寵愛されながらも、内裏の権力闘争に翻弄された末に悲運の死を遂げた定子。
道長と連れ添うことは出来なかったけれども、その子を授かり、理解ある夫にも恵まれた幸せなまひろ。
この見事なコントラストによって、定子の死はよりドラマティックになり、その悲劇性が際立つ結果となっています。とても感動的な回だったと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
背景画像:
From The New York Public Library https://digitalcollections.nypl.org/items/510d47e3-fe62-a3d9-e040-e00a18064a99
動画
この記事が参加している募集
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!