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光る君へ(9)ファーストシーンとラストシーン・大河ドラマで学ぶ脚本テクニック

大河ドラマ「光る君へ」が面白い。ということで、「「光る君へ」で学ぶ脚本テクニック」と題した動画を作っていくことにしました。動画といっても内容はスライドとテキストなので、noteにも載せていきます。今回は第9回の学びポイントです。

今回はちょっとだけ歴史に触れます。

今回の学び

第九回は、捕らえられた直秀が殺されてしまうという、衝撃の内容でした。

学びポイントとしては、ファーストシーンとラストシーンに注目してみたいと思います。

ファーストシーンとラストシーン

ドラマや映画のファーストシーンとラストシーンは、何らかのつながりを持っていることが多いですよね。

今回のファーストシーンでは、道長が、ふと自分の影を見つめます。

ラストシーンでは、まひろがこう言います。

「男であったなら、勉学にすこぶる励んで、内裏にあがり、世を正します

ファーストシーンで道長がなぜ自分の影を見つめるかというと、第六回で道兼に言われたセリフを思い出したからですね。

道兼は道長にこう言いました。

「おまえは自分だけきれいなところにいると思うているやもしれんが、足元を見てみろ…俺たちの影は、みな同じ方を向いている…一族の闇だ」

この道兼のセリフは、道長が背負った暗い宿命を表しています。

一方、まひろのセリフは、「道長なら世を正せる」ということをほのめかしています。なぜなら今回、まひろと道長は、直秀の理不尽な死に対して、共に涙を流しているからです。

世を正すという使命を果たすには、権力を持たねばなりません。それは道長にとって 積極的に宿命を背負うことでもあります。

ファーストシーンとラストシーンを呼応させて考えると
これから道長がたどる運命を示唆しているように思います。

今回のエピソードは、老獪な父親と、未熟な息子の対比が見事でした。

兼家は権力を掴むために一族すら欺きます。

一方で、政治的にうまく立ち回ったつもりの道長は、それが裏目に出て、身分を超えた友人・直秀を死に追いやってしまいます。

しかし御存知の通り、歴史的には、道長は父・兼家を超える権力を手に入れます。

脚本的は、それを単なる幸運と片付けることはできません。そこには視聴者が納得する「理由」や「動機」が必要です。

ですから今後も「やさしい三郎が、なぜ藤原道長になったのか?」を表現するエピソードが積み重ねられていくと思います。

それにまひろがどう絡んでいくのかも楽しみですね。


最後までお読みいただきありがとうございました。
今後も、こんな感じで学びポイントを取り上げていくつもりです。

背景画像:
From The New York Public Library https://digitalcollections.nypl.org/items/510d47e3-fe62-a3d9-e040-e00a18064a99

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