誰かを嫌いになるには人生は短すぎる
「人生80年。80年は誰かを嫌いになるには短すぎる。」
これは僕がよく聞いているネットラジオのパーソナリティがおっしゃっていた事です。
いや、ほんとにそうだなあと思います。
僕自身、本当に嫌いな人というのがいません。
なんでかなあと考えてみると、色々思い当たる理由はあるのです。
人を嫌いになるとかならないとか、今日はそういうお話。
誰かを理解するのは難しい
冒頭で書いた通り、僕は嫌いな人がいません。
どんな知り合いも、どれだけ意見が合わなくても、嫌いになったことはないです。
とはいえ僕も、どれだけ時間を過ごしてもその人の考え方が理解できないことくらいはあります。
そんな時僕は自然と
「この人を嫌いになるには時間が足りなさすぎる」
と思っているのです。
その人は何十年という時を生きて、僕とは違うものを見てきています。
対して僕はその人と知り合ってせいぜい数日から数年程度です。
そんな短い時間では嫌いになれるほどその人のことを知り得ないです。
それよりも、その人の理解できない部分じゃなく、魅力的な部分や面白いと思える部分に目を向けた方がよっぽど得だと思うのです。
「僕は誰のことも完全に理解できているとは思えないけど、みんなのことが大好きだ!」
と思ったまま死んでいきたいのです。
理解と共感
もうひとついうと、「考え方は理解できるけど、その考え方嫌い!」っていうような時はこうも考えます。
「理解はできるけど共感はできないな」
って。
ただ「共感できるかできないか」というだけなので、「好きか嫌いか」の話ではありません。
そうするとそこに感情を持ち込まないで済む。
変に感情を持ち込むとそれがバイアスになってしまって、歪んだ捉え方をしてしまいがちです。
それが嫌なのです。
負の感情を動かすのは疲れちゃいますからね。
素晴らしき哉人生
人生80年。
たった80年しかないんです。
人によっては長すぎると思う人もいるんでしょうが、僕にとっては短すぎます。
たった80年では
地球の中心がどんな様子なのかも、
深海の奥底には何があるのかも
宇宙がどうやってできたのかも
何も知ることができずに死んでいってしまいます。
そんな1回きりの、ほんの一瞬とも言える時間をどう生きていくか。
正解など無いのでしょう。
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