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~第21回~ 「氷川丸と東京五輪」

第5回「八雲紋の話」でも紹介した氷川丸。
実は日本のオリンピックの歴史に関わる船でもあります。

現在は横浜の山下公園に係留される「日本郵船 氷川丸(以下氷川丸)」は、その名の通り武蔵一宮氷川神社から名付けられた船です。
船内の神棚には氷川神社の御祭神が祀られ、船内装飾には神紋である「八雲」が用いられています。

この氷川丸が誕生したのは昭和5年(1930)、横浜船渠株式会社(現 三菱重工業株式会社横浜製作所)で竣工しました。
戦前、11年の間に太平洋を146回横断、約1万人が乗船し、大勢の著名な方々も乗船されました。

その中に、講道館柔道の創始者である嘉納治五郎がおります。
嘉納は1938(昭和13)年3月、東京五輪の開催に向け、エジプト・カイロで開かれたICO総会(オリンピック会議)に出席し、4月22日にバンクーバーから氷川丸に乗船しました。
その帰国途上の5月4日(横浜到着の2日前)、氷川丸の船内で肺炎により死去。
遺体は氷詰にして持ち帰られ、横浜港では棺にオリンピック旗をかけられて船から降ろされました。

当時、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙には「日本のオリンピック代表 嘉納博士逝去す」との見出しとともに写真入りで嘉納の訃報が掲載されたそうです(2018年4月3日付産経新聞より)。

「オリンピックの開催は政治的な状況などの影響を受けるべきではない」と訴えた嘉納の夢であった当時の東京五輪は戦争の影響を受け実現しませんでしたが、今また東京で2度目の五輪が行われる準備が始まっております。
嘉納の情熱を看取った氷川丸ですから、現在の東京五輪も見守っているかもしれません。

氷川丸船内には、そんな嘉納の最後の言葉が紹介されております。
「5月4日、『オリンピックはどうなった』という言葉を残して永眠しました。」…と。

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〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕


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