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神様のいない世界のはしっこで


迂遠な自傷行為をやめた。
端的に言うと、救いのない物語を書くことをやめた。


物心ついた時から、物語を作ることが好きだった。
最初はチラシの裏。そして100均で買ったノート。脳内に思い浮かんだ光景を、出来事を、徒然なるままに書きなぐっていった。そうすることが、私の救いだった。私以外誰も知らない世界が、人間が、人生が、私にとって唯一無二の救済だった。

神様を信じていなかった。今でこそ、神様を信じる人のためには神様がいてほしいと願っているけれど、それでもやっぱり、私の世界には神様はいないと思っている。そのくせおなかが痛いときには神様に祈るけれど。あれは多分人類の様式美だ。

とにかく、私の世界に、私を救ってくれる神様はいなかった。だから自分で救うしかなかった。そのために物語を綴った。


私にとって救いとは、光の形をしていなかった。

あらゆる人間から称賛される英雄ではなく、ひっそりと咲く野端の花みたいな人物が。誰もが幸せになれるハッピーエンドではなく、血を吐き地を這うような苦しみに満ちた物語が。希望よりも絶望が。私にとっての救いだった。

頭上に輝くまぶしいものはいらなかった。そんなものよりも、私のいる場所で、光の遠い底で隣に座ってくれるものが、同じ場所まで落ちてきてくれるものがほしかった。ひとりは嫌だった。それが原動力だった。だから、救いのない物語をたくさん書いた。想像した。そこには私の同志たちがいた。同じ痛みを知る人々が。


それを、やめた。

物心ついた時から十数年間続けてきたことから自然と遠ざかり始めたのは、ここ数年のことだ。理由はわからない。でも、希望を書きたくなった。この世界にありふれている絶望を、希望でくるめるものこそが想像であり物語だと思うようになった。

きっと私は、誰も幸せにならない物語を書くことで私自身を慰めていた。登場人物の心情を思い、自分も心がひきつるような痛みを感じることでホッとしていた。あれは自傷行為だった。今ならわかる。私は傷つくことで、安心していた。

大学進学を機に地元を離れ、就職してたくさんの失敗をして、ためたお給料で一人旅をして、私の世界は子供のころより少しだけ広がった。たくさんバカみたいな失敗をしたけれど、それでも私は生きていた。日々は続いていくものだと知った。嵐も過ぎ去ってしまえばどうにかなることを、自分一人の力など微々たるものであることを、自分が好きなものを同じように好きな人と語らう楽しさを知った。

たくさんの底を見た。数えきれない不幸を、不平等を、不条理を描いた。だからこそその対極があることを、私は身に染みて理解していた。それらもまた愛すべきものであることを、ようやく理解できるようになった。

この世界は絶望だらけだ。それでも、私は希望を書けるひとでありたいと思う。

かつての私が愛したあの暗闇を、否定はしない。ひなたの世界へ、私は暗闇を連れていく。

この古傷だらけの腕だからこそ綴れる希望があると、私は信じていたい。

神様のいない、この小さな世界で。



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