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テレビは本当につまらなくなったのか? 世界からテレビがなくなる日

  2007年1月アップル社が『iPhone』を発表した。これを皮切りにスマートフォンは急速に人類に広まっていき、2020年現在『ガラケー』を使用している人はほとんど見かけない。スマホの普及により私たちの生活は大きく変わった。

変化する動画コンテンツ

 中でも最も大きな変化を遂げたのは、動画コンテンツである。それまでテレビ一択だった動画サービスが、YouTubeという場所を獲得したことにより個人がチャンネルを開設できるようになった。テレビでは12個しかなかった選択肢(チャンネル)も、今や無限大にある。YouTubeの設立は2005年。実はスマホよりも早く世間に登場しているが、一般層まで浸透したのはここ5年くらいというのが体感である。そして実はYouTubeが開設されるのと同時にテレビ局各社もこぞって「動画配信サービス」を始めている。しかしこれらの動画配信サービスも浸透してきたのもやはりここ数年の話である。所謂『見逃し配信』だ。テレビで放送された番組がインターネットで配信され、YouTubeでバズった動画がテレビで紹介される。もはやそこに境界はほとんどない。力関係はほぼ互角まで追い付いた。

視聴者の変化

 視聴者は大まかに年代ごとに分かれている。若年層であればあるほど、YouTubeが身近であり生活に溶け込んでいる。高齢者はいまだにテレビ一択という人が少なくないだろう。中間にいる『さとり世代(1983~1994年)生まれ』及び『ポスト団塊ジュニア世代(1975〜1981年生まれ)』に関しては、テレビとインターネットの半々という人が多い印象である。それぞれの良い部分を吸収し、自分に合ったものを選択している世代である。
 ちょうどさとり世代に値する私の主観ではあるが、僭越ながらテレビとインターネットについて批評させてほしい。

テレビは本当につまらなくなったのか

 「テレビはつまらなくなった」というような声を聞いたことはないだろうか? これらは主に演者側、テレビ出演者の意見である。おそらく「昔のように自由な放送ができなくなった」ということなのだろう。確かに過去の番組などを思い返すと「今じゃ到底できないような差別主義が根底にある」放送が多い。他者を晒し笑う、いじめのようなものも多かった。当時は私もそのことについて大きな疑問は抱かなかった。それどころか楽しんでみていた。「テレビはそういうものだ」と思っていたからだ。しかし今になって思い返すと、顔をしかめたくなる。あの時確かに面白かったのに、価値観がアップデートされた今何も面白くないのだ。テレビにおいて、視聴者と価値観がズレてしまうのは絶対によくない。ニーズを獲得できないからである。大多数の人たちが私と同じような感覚を持っていると感じる。
 その上で現在のテレビについて、私は「面白い」と感じている。価値観に沿った中で面白いものを届けることができていると思うのだ。その理由としてテレビは長年「組織」が作っている。多額の費用と能力のある人間が複数人集まって、それぞれが得意な部分を担当して制作しているのだ。それに加えて、技術のある芸能人が出演する。面白いに決まっている。さらにTwitterでのトレンドはかなりの割合でテレビの内容があがってくる。まだまだ影響力は強いといえる。
 制作費用については昔に比べてみれば確かに下がったのかもしれない。しかしそれはテレビ業界に限ったことではない。全体が「貧乏」になりつつある我が国だ。お金がないなりの工夫をこらしていくしかない(政治について語りたいところだが、それはまた別の機会に)。やはりYouTubeでは得られない楽しみというのがテレビには確かにあると思う。

若者はなぜYouTubeを見るのか

 ではなぜ若年層はYouTubeばかり見るのか。ひとつは楽だからである。テレビというのは決まった時間に放送されるので、見たい番組があれば時間を拘束される。録画予約という機能を使ったとしても、ハードディスクの容量との戦いがある。容量がなくなってしまう前に視聴しては削除を繰り返す必要があるのだ。これは若年層にとって非常に面倒くさいことなのだと思う。私は長年ドラマオタクだが、毎日ハードディスクの容量を確認している。1日でも忘れてしまうと、あっという間にパンクしてしまうからだ。そんなこと、昔からの習慣でなければ絶対にしない。
 その点YouTubeは、アプリにアクセスさえすればいつだって自分の好きなチャンネルを選択できる。手数は指一本だ。Wi-Fiが繋がっていれば自分の好きな時間に好きなだけ動画を楽しむことができる。それぞれの生活に寄り添ってくれるサービスといえる。また、YouTubeはチャンネル登録をしていなくとも、AIにより自分の好みの動画が勝手に流れてくる。「選択する労力」さえ私たちに与えない。

 次に、シンプルに面白いチャンネルが本当に多いことを挙げる。昔こそ『HIKAKIN』しかいなかったYouTuberの数も、増え続けて今やどのくらいいるのかわからない。過去にテレビで活躍していた芸能人がYouTubeに移動したものなど、テレビと遜色ないくらいの面白いトークを見られる。ただし、テレビのように面白い部分の発言だけを切り取るというより、より演者の生の言葉、本音を聞ける場所という印象である。「作られたテレビ」とは、面白さの質が違うのである。「テレビはつまらなくなった」と感じる演者は、YouTubeに移っていくのかもしれない。

「選択する労力」が不要なものが流行る

 先述した「選択する労力」が必要なものは、実は年々減少している。近年は本屋が少なくなり、電子書籍が主流となってきているがそれも同様である。電子が手軽であるという点以外にも、読んだ本の傾向から合いそうなものをAIがピックアップしてくれるだろう。
 動画配信アプリAbemaTVでは、そのような国民の性質を利用して24時間番組を流しっぱなしだという。アプリ上に番組表を作って延々を放送しているのだ。これまた「選択する労力」が不要ということで若者から支持を得ている。

世界からテレビがなくなる日

 ここで「めちゃくちゃ面白い」と絶賛したテレビに話を戻したい。もちろん面白くない番組、価値観が古い番組もいまだにある。しかしその中で最も苦言を呈したいのは報道番組である。偏った情報ばかりを流し、都合のいいものだけを選択し放送していると感じるのだ。感じるというか、実際にそうである。テレビ局の上層部はいわゆる上級国民だ。報道番組では彼らに都合のいいことしか放送されないようにできている。考える力を失った国民が今の日本を形成している。「報道」と銘打っておきながら、そのような忖度が堂々となされているのは納得がいかない。私は抗議の意味を込めて報道番組は見ないと決めている。
 では、そのような忖度のなされるテレビがなくなるのはいつか。現在もうすでに終わりへと向かっているとは思うが完全になくなってしまうのはスポンサーである世代(現在の50~60代)がピークアウトした頃、さとり世代が実権を握る頃である。およそ20年後であると予想する。
 けれど『テレビ局』はなくならない。形を変えて残っていくだろう。テレビがなくなった時が正念場である。既存のYouTuberと同じくフィールドをインターネットのみにして渡り歩いていくには圧倒的な「クオリティ」が必要だからだ。そこに起死回生を見出すとすれば、「忖度のない最新の報道」なのではないかと思うのである。

テレビ局はNetflixと並走する

 現在日本でシェア率No1の動画配信サービスはNetflixである。(YouTubeは動画共有サービスなので毛色が違う)。Netflixは独自のドラマやバラエティーを配信し、それが高い評価を得ている。つまり結局は「いいものを作っている者」が勝つのである。
 将来的に、テレビ局はNetflixと並んで戦っていくのだろう。もちろん海外からのサービスもどんどん入ってくると予想する。選択肢および競合はまだまだ増え続けるのだ。
 
 YouTubeがそろそろ怪しいという動きもあるが、それはまた今度。

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