短編コント小説:マツコ・デラックスじゃない

 十一月二十一日。日曜日の昼下がり、世田谷区。コンビニ袋を下げて、家に向かって歩いていた。いつもの休日。いつもの景色。そこでぼくは奇妙な体験をした。その時のことを思い出しても、それは夢だったような気がしてくる。あるいは本当に夢だったのかもしれない。日を追うに連れて現実味を失ってくる。そんな出来事だった。

月曜日から金曜日まで普通に働いてる会社員の僕は、日曜日は特に何もしない。次の日に仕事を控えていると思うと何もやる気が起きない。これで恋人でもいれば少し違うのかもしれないが、気配すら漂ってこない。だから、その日もテレビとYouTubeとスマホゲームとマスターベーション、そしてお腹が空いたらコンビニに行くというお決まりのルーティーンだった。
 その日も例に漏れず、お決まりのルーティーンをこなし、昼下がりにコンビニに向かった。毎週同じことを繰り返しているとコンビニに新商品が並んでいるだけでテンションが上がる。金曜日の会社帰りにコンビニに寄ったときにすでに出ていた新商品のスイーツを日曜日に買おうと決めていた。ティラミス味のミルフィーユで買う前から味の保証をされているような商品だった。そのスイーツと有名な店主が監修しているつけ麺とおにぎり2個を買って、家に向かっていた。家までは歩いて十分ぐらい。往復だと二十分だから歩きだと少し遠く感じる。その帰り道で五分ほど歩いたところ家とコンビニのちょうど半分ほどのところで声をかけられた。周りは住宅ばかりで、歩道は白線を引いただけの道路で声をかけられた。そこは途中から車は行き止まりになり歩行者や自転車だけが通れる道に変わるから、車はほとんど通らない。車が通るとしたらそこに家がある人だけだ。そこで私は声をかけられたのだ。
「マツコ・デラックスですか?」
私は耳を疑った。というよりも、確信を持って聞き間違えたと思った。なぜなら僕は身長こそ176センチでそこそこ高いものの、体重は65キロでシルエットですらマツコ・デラックスには似ていないからだ。だから反射的に「えっ?」と声が出ていた。
語尾がうまく聞き取れなかったが、その男はもう一度しっとりとした口調で
「マツコ・デラックスですか?」
と聞いてきた。
 僕の中で警報機がなった。多分この人は、やばい人だ。関わらない方がいい人だ。すぐに僕は気持ちを切り替えた。

   ”関わりたくない人、関わらない方がいい人こそ丁寧に”

これは僕が大事にしている教訓の一つだ。相手に親近感を感じさせてはいけない。相手の感情を刺激してはいけない。それを満たす適度な丁寧さ。つまり、箸にも棒にもかからない、記憶にも残らない存在。それにできる限り近づけるための言葉遣いで、僕は「違います」と答えて立ち去った。と思ったのも束の間。腕を掴まれた。強い力だった。
 なるほど、僕の中の危険信号を優に超えてくる危険人物だ。僕は意外にも冷静にそんなことを考えていた。諦めに近かったのかもしれない。なにしろ、身長は僕と同じぐらいだけど体重は100キロを優に超えるであろう大男だったのだから。うっすらと髭が生えていて、化粧こそしていないもののシルエットだけで言ったらマツコ・デラックスである。僕はこの危険な状況からどう逃げ出すか脱出方法を考える前にこう思った。なるほど、偽マツコ・デラックスだ。


 どんなに冷静になっても状況は変わらない。どんなに焦っても状況は変わらない。そう、どっちにしてもピンチである。細身の僕に対して巨漢のタレントの名前を出して本人か聞いてくる。それだけでも異常なのに聞いている本人の方が巨漢なのである。偽マツコ・デラックスが細身の人に対してマツコ・デラックスですか?と聞いている。客観的に見ても変である。主観的に見ると、偽マツコ・デラックスがマツコ・デラックスですか?と聞いてくるのである。やはり、変である。
 あまりにもこの状況が怖いので、僕は質問しながら逃げる機会を伺うことにした。
「マツコ・デラックスですか?」
「はい。」
「どの辺がマツコ・デラックスなんですか?」
「え、、、全部です。」
「全部って乱暴じゃないですか?はははっ。」
込み上げてきた苛立ちを誤魔化すために少し笑った。一部も似ていない人を引き止めておいて、全部という言葉で片付けられるなんて心外である。
「具体的に言ってもらわないと納得できないですよ。」
少し考えながら偽マツコ・デラックスはしっとりとした口調で言った。
「優しいところ・・・」
「他には?」
「叱ってくれるところ・・・」
「他には?」
「頼りがいのあるところ。」
「なんで全部内面なんだよ‼︎初対面なのになんで内面を言うんだよ。外見を言うだろ普通。」
偽マツコ・デラックスは読み取れない無表情で黙っている。
「え、ちょっと待って。どのマツコ・デラックス?俺が知ってるマツコ・デラックスは一人しかいないんだけど。」
偽マツコ・デラックスが解せない表情で黙っているので、僕はスマホを取り出してマツコ・デラックスと検索した。そしてスマホの画面を偽マツコ・デラックスに見せた。
「僕が知ってるマツコ・デラックスはこれ。」
「はい、それです。」
「えっ⁉︎これなんだ?」
「はい。」
「よくそんなにはっきりと返事できるね。でも、これで答えが出たから、もう行きます。」
行きかけたところでまた腕を掴まれた。もう僕はこのとき半べそをかいていた。
「もぉー。お前の方がマツコ・デラックスっぽいんだよぉー。力強いし大きいし。」
ついに言ってしまった。もう言うしかなかった。僕は駄々をこねる子供のような喋り方になっていた。偽マツコ・デラックスは駄々をこねる子供を前にしてか困ったような表情を浮かべていた。
「お前身長いくつだよぉー。」
もうやけくそだった。スマホに出ているマツコ・デラックスのデータと目の前にいる偽マツコ・デラックスを照らし合わせようと思った。偽マツコ・デラックスの発言のおかしさを追求してやろうと思った。偽マツコ・デラックスに動揺した様子は無く、平坦な相変わらずしっとりとした声色で質問に答えた。
「178」
「マツコ・デラックスと同じじゃねーかよぉー。体重は?」
「140」
「マツコ・デラックスと同じじゃねーかよぉ。スリーサイズは?」
「上から180、180、180。」
「マツコ・デラックスと同じじゃねーかよぉー。っていうか、お前スリーサイズ計ってんのかよぉー。」偽マツコ・デラックスは首を傾げたり、ンンッと唸ったりしている。
「お前がマツコ・デラックスに憧れてんだろ。もしかして、突っ込んで欲しかったのか。」
偽マツコ・デラックスは僕の両腕を掴んだ。身動きが取れなくなった僕の顔に偽マツコ・デラックスの顔がゆっくりと近づいてきた。抵抗できないとわかると恐怖心も反発心もなくなり、これから起こることを見守るしか無くなる。そして、偽マツコ・デラックスと僕の唇が重なった。
 僕は男色ではない。だから、男性とキスすることは受け入れ難い事実なのだが、そのとき感じたことは嫌悪感とか拒絶心などではなかった。違うものが脳の髄に訴えかけてきた。目が覚めるような感覚だった。その時感じたことがそのまま言葉で出た。
「マツコ・デラックス本人ですか?」
「はい。」
マツコ・デラックスは安堵した表情で静かに答えた。
「すいません。全然気づかなかったです。化粧してないとわからないもんですね。」
「そうですよね。でも、まだお疑いでしょう?」
散々、無礼を働いた僕に丁寧な言葉遣いでいるなんて、懐の深いお方だ。
「そんなことないですよ。ほら、キスするときに人間性が出るって言うじゃないですか。」
マツコ・デラックスは一枚のカードを取り出して、僕に差し出した。それは運転免許証であった。
「えと、あの、免許証を見せられても、マツコ・デラックス本人の証明にはならないですよ。免許証も化粧してないし、本名も知らないし。」
「あら、そうですわね。」
「大丈夫ですよ。本人だと思ってます。信じてますよ。唇は嘘つきませんから。」
もうこれ以上、僕に言えることはなかったので立ち去ることにした。
「それではこれで失礼します。」
「あの・・・」
また引き止められた。まだ何かあるのか。
「大変申し上げにくいんですが、」
「なんですか?」
「トイレを貸してくださいませんか?」
「え、あ、いいですよ。五分ほど歩きますけど。」
「構いません。」
僕の家に二人で向かった。
途中でマツコ・デラックスは「少しスピードを早めていただけませんか?」と言った。僕は自分のことを鈍い男だなと思った。それからマツコ・デラックスはトイレを借りると速やかに帰っていった。

 あれから僕は、テレビでマツコ・デラックスを見るたびに思い出してしまう。夢のような出来事を。あの時のマツコ・デラックスは「マツコ・デラックスですか?」と聞いたのではなく、「マツコ・デラックスですが」とトイレを借りるために身分を明かしていたのだろう。しかし、人の話を聞けぞにパニックになっている僕の口を塞いだのだ。それともトイレに行きたくて限界に近づいているマツコ・デラックスも言葉で説明できないほどにパニックになっていたのか。多分両方だろう。その時の出来事は記憶の中で色褪せることはないが、現実味がどんどん薄れていっている。寝ているときに見た夢をはっきりと鮮明に覚えているだけなのではないかと思えてくる。そして段々とテレビでマツコ・デラックスを見ても思い出すことさえなくなっていった。

ピーンポーン

日曜日の昼下がり。人の訪問を告げる、家のチャイムが鳴った。誰が来たのか直感的にわかった。唇を重ねたときに感じた、脳の髄に訴えかけるあの感覚に近かった。僕は外に繋がっているモニターの前に行った。モニターに映っているのは、間違いなくあの時の男だった。通話ボタンを押して、マイクに向かって「はい」と簡単に声を発した。

「あのときに助けてもらったマツコ・デラックスですが。」

思わず吹き出してしまった。あのときだろうとなんだろうと、僕の知っているマツコ・デラックスは一人しかいない。





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