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現代アートとしての手塚治虫の「ヴィジョン」について考える/一日一微発見229

手塚治虫が『鉄腕アトム』を書き出したのは昭和26、7年の事らしいが、僕はちょうど月刊誌『少年』から週刊少年漫画誌への移行期を過ごしたので、ずっぽりと「アトム世代」だった(ゴジラ世代でもあるが)。

『鉄腕アトム』はロボットの戦いの物語だったし、僕が1番愛読していたのは『白いパイロット』で、ここでは書かないが、そこにはともに「悲しみ」があって、その「悲しみ」の記憶は、半世紀経った今でも消えずに心に刻まれている。

今、手塚治虫の『火の鳥』全巻や、エッセイを集めた『ガラスの地球を救え』を読み返したりしている。こんなふうに「再会」するとは2年前には全く予想していなかったのだ。

僕はGOTOラボと言う社会人向けの通信大学院を、京都芸大の修士コースとして開講している。
「コンテンポラリーアート」をテーマとする人材を育成するのが目的なのだが、受講生として入ってくる人には多様性がある。

僕は元来が編集者だから、普通の研究者より、守備範囲が広い。しかし、いくら広くても、子供の頃から手塚治虫の仕事場に出入りしていて、現在はデザイナーとして活躍する川口くんと出会わなければ、「現代美術としての手塚治虫」を考え直す機会はなかったろう。
川口くんは、2028年に手塚治生誕100周年にあたるので、それを構想するために現代美術とキュレーションを学びにGOTOラボに入ってきたのである。

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