僕編7章

生活の編集へ/僕たちは編集しながら生きている 7

※このマガジンは、後藤繁雄が1996年から続けている「スーパースクール」のスクーリングの内容をもとに、2004年に初版出版された「僕たちは編集しながら生きている」の文章を加筆修正し、2010年に出版した「僕たちは編集しながら生きている・増補新版」の文章をそのまま掲載しています。年代やプロジェクト、事例はその当時のままとなり、現在は行われていないものもあります。


※別ページでの解説、「注釈欄」はこのマガジンでは省略します


※このマガジンに使われているスクーリングの内容をアップデイトした形で、現在も「スーパースクール」は、DMMオンラインサロンを利用した東京スクーリングと、浜松スクーリングを開催しています。詳細は、後藤繁雄のHPをご覧ください。


01 「場の編集」と「ギャザリング」イベント


 さて、早くも最終回になってしまいました。編集のリセットと、新たな編集の可能性を検討するのは、骨の折れる作業でしたね。

普通だったら、一講分だけの話で一冊くらいの本がつくれるところを、ギューっと圧縮した感じですね。編集のことを話し出すとおもしろくて、たくさんしゃべってしまいますが、別に「編集論」を構築したり、学んでもらうことが、スーパースクールの目的ではありません。


「編集力」を使い、「今・ここ」をどうやっておもしろく生きるのか、「生活そのものを再編集できるか」の方が、一番大切だってことを忘れちゃいけません。


 4講でも、「ウェブ+フリーペーパー+イベント」をセットにして、編集の力を機能させることをしゃべりました。


「アートビート」というアートイベントでの試みや、スーパースクールがやっている「トーキョー・ギャザリング」。その中でも、南風食堂と企画してやっている「ワンプレート・ギャザリング」などの紹介をしましたね 。


 思い出してください。最初に、どうすれば 「遠くても流行る店」にできるのか、それが「編集力」に関わることだと言いました。そしてそのことは、雑誌においても、ウェブにおいても同じだという話をしました。

では、どのようにすれば、この「トーキョー・ギャザリング」なり、その展開例としての 「ワンプレート・ギャザリング」が「最小」の力と経済で盛り上がり、どんどん活性化してゆくようにできるのか。そのことをスーパースクールで一緒に考えたりもします。


 僕は、「店」も「イベント」も、こスーパースクールみたいな「教室」も、すべて編集の力が作用していると思っています。

そして、それは「生活の編集」につながってゆくことだと思っています。アウトプットのカタチが何であれ、ある「場」を活性化させるには、どのような編集術が必要なのか。


「場の編集」ということについて考えたいと思うんです。「場」は、あるときの、ある場所に現れるものです。

「場」は、固定したものではなくて、時間と空間が合致して出現します。ただのカラッポの部屋であっても、ある企画のもとにパーティーをやれば、とても活性化した「場」がそこに立ち現れたりもする。

ひとりの魅力的な人間がいてくれるだけで、「場」がもったりするでしょう。

スペースに人とモノが入って、何か 「化学反応」みたいなことが起きる。そして、楽しいとかためになるとか、様々な「価値」が生まれる。考えてみると、とても不思議ですよね。そこで何が起こっているんでしょう。


 店は、人にモノを売り、買う人はお金を払い、それを手に入れる。学校は、知識やノウハウを売って、授業料というお金を手に人れる。

コンサートは、音楽の気持ちよさの体験を売って、入場料を取る。

場合によっては、「ブランド」みたいな「価値」を増幅させる戦略もあって、それらに「イメージ」が付加されて、人はより高いものを、お金を出して買ったりもする。


 それらは、どれも何か「メインとなるモノ」が「場」を成立させているんです。

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