結局「小1の壁」とは何だったのか。小2母が思う「壁」の正体
育児界隈で「恐怖の大魔王」や「ラスボス」のように噂されている「小1の壁」。
小2も終わりに差し掛かってきた頃、ふと思う。結局、「壁」ってなんだったのでしょうか。そもそも「壁」はあったのでしょうか。
息子が小1のときの記憶がまだ残っている今、あらためて考えてみました。
「小1」の壁とは
そもそも「小1」の壁とはなんなのか。
ネット上で見られる、一般的な解説は以下のとおりです。
・共働き家庭において、子どもを保育園から小学校に上げる際、直面する社 会的な問題を、「小1の壁」といいます。
・公的な学童保育では18時で終わってしまうところも多く、保育園よりも預かり時間が短くなってしまいます。
・小学生になると、時短勤務制がなくなる企業も多いため、子どもの小学校入学を機に働き方の変更を迫られることがあります。
・結果として、子どもを保育園に預けていたころと比べて、仕事と家事・育児との両立が難しくなることを指します。
なるほど。
では、実際はどうだったのか
我が家の場合です。
〇「公的な学童保育は18時で終了」問題
→ 我が家は、小学校に併設している学童保育にお世話になっている。
→ 学童保育、以前はたしかに18時終了だったが、数年前から19時までに延長になった。
→ 保育園も19時までだったので、預かり時間は変わらず。
→ 保育園よりも小学校の方が職場に近いので、残業のデッドラインはむしろ保育園のときよりも延びた。
→ 19時まで預かってくれるし、小学生の知的好奇心を満足させるような書籍をたくさん置いてくれてあるし、ほんと、学童様様です。
〇「小学生になると時短勤務制がなくなる」問題
→ うちの職場は、小3まで時短勤務が可能。
→ さらに、コロナ禍になってから、小3までの子を養育している場合は、週4日までの在宅勤務が可能 となった。
→ そもそも私フルタイム勤務だから、時短勤務使ってない。
〇「仕事と家事・育児との両立が難しくなる」問題
→ そもそも両立は目指してません。
→ だって無理じゃないスか?「仕事と家事・育児を両立」なんて。仕事・家事・育児、どれを取っても際限なく業務が発生するタスクなので、「両立」という概念自体が幻ではないかと。
→ 「両立」はできませんので、世の中にあふれる子育て世帯向けのサービスを活用してなんとか乗り切っています。
というわけで、巷でよく言われている、母の勤務が制限されるという意味での「小1の壁」は、我が家には当てはまらないことがわかりました。
我が家にとって「壁」とは
とはいえ、小学校に上がったことで、「壁」の存在を意識せざるを得ないこともあります。
それは
① 学校内の様子が見えにくくなる
② 宿題がある
ということ。
①については、保育園時代は、幸いにしてうちの園はとても面倒見のよい園で、
・乳児のうちは、連絡帳は毎日こまめに書いてくれる
・迎えに行くと、その場にいる先生たちがその日の様子を教えてくれて、息子の人間関係もそこで分かる(〇〇くんと電車の話で盛り上がったなど)
・必要に応じて丁寧な面談をしてくれる
などの配慮をしてくれていたため、息子が保育園でどのように過ごしているかは、あらかた把握ができました。
ところが、一般論として保育園よりも小学校のほうが、「連絡」の頻度やボリュームは減ります。
息子が、クラスの誰と仲がよくて、その友達はどんなことが好きなのか等、息子からの丹念なヒアリングを繰り返すしかありません。
しかも学校と家庭をつなぐ唯一の手段である「連絡帳」は、
小1男子ごときが、毎日丁寧に書いてくるわけがない。(※ 人によります。)
結果として、
・今、学校の授業では、どんなことをやっているのか。
・息子は学校で、どんなふうに過ごしているのか。
・明日、体操服は必要なのか。
などの情報が、日々、闇に葬られていきます。
そこに加えて、②の「宿題」の存在。
これも「連絡帳」に記載がないと、
・今日の宿題は何なのか。
という、家庭学習において最も肝心なことがわからない。
かといって毎日ママ友に聞くわけにもいかず、
息子の
「えーと、今日の宿題は、さんすうドリルの25。いや、26かな?」
という、非常に心もとない自己申告を受け
「だったら25も26もやってしまえ」と、「数打ちゃあたる」方式でこなすしかないのですが、
果たして息子の自己申告の「打率」は何割ぐらいなのか、いまだにわかりません。本当は「さんすうドリル」じゃなくて「かんじドリル」の25だったかもしれない訳で。
「壁」と向き合う
結論。我が家では、
「母の働き方」という意味の壁を感じたことはないものの、
①学校内の様子 ②宿題 という2点においては、日々「壁」を感じています。
地元の公立小学校に上がってしまった以上、「宿題」からは逃れられない。これから、宿題の質も量も、どんどん増えてくることでしょう。
そして、息子が私に「ママー!」とあれこれ話をしてくれるのも、おそらくあと数年であろうから、息子の人間関係はこれからはますます見えづらくなってくるはず。
つまり、これらの意味での「壁」はこれからもずっと続く、ということ。
なので「乗り越える」のではなく、「共存」するのが得策なんだろうということ。
・・・ベストな共存方法はわかりませんが。
息子がしっかりと連絡帳を書いてくるようになるか、または、連絡帳は書いてこなくても、連絡帳に書くべき内容を完璧に暗記してくるか・・・
どちらかの未来を待ち望みながら、今日も母は息子に「明日ー!!体育、あるの?!」と問いかけています。がんばります。
※ ヘッダーの写真は北京の故宮博物院の壁@2011年2月13日、積雪の日。これぐらい美しい壁だったら佳いのにな。
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