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個別最適化学習が万能薬ではない理由

個別最適化学習と呼ばれるものが教育改革の標語の一つになりつつある。ICTを使って、それぞれに合った最適な進度で学習を進めることで一斉講義の課題を解決できる良さがある。

しかし、個別最適化学習には思わぬ課題もあるだろう。
以下に二つあげたい。

一つは、学習の目的が「測定可能な学力の向上」と暗黙に決定されていることだ。
そもそも個別最適化学習は測定によって、その基盤が成り立っている。つまり測定・評価・調整といった流れで学習カリキュラムを最適化していくわけだ。したがって、測定できないものは学習の目的にはなり得ない、というジレンマがある。
つまり、特定のスキルや知識の習得については非常に有効である一方で、対話活動が内包するような、数字で測定できない学びは対象にできないのだ。

もう一つの課題は、個別最適化の「最適」が「効率性」という観点のみで語られてしまう点だ。最適な学習方法は学習計画の最も効率的な達成方法だと言い換えることができるが、それは学習を単なる思考活動へと矮小化してしまう危険性を孕んでいる。学習のベースにあるのは経験であり、私たちは思考活動だけでなく、身体活動と情意活動(あたま・こころ・からだ)の総合的な活動を通して学びと呼んできた。そのような「経験の豊かさ」を人間的な視点で取捨選択してきたこれまでに代わり、効率性だけを唯一絶対の基準にしてしまうのは一種の恐ろしさがあるだろう。

たがって、ICTを活用した個別最適化学習を行う「最適な学習領域」を見定め、
「効率性」とともに「人間的な視点」で学習活動を組織する必要性を述べたい。


これらの主張は決して個別最適化学習の導入を否定するものではない。むしろ歓迎する立場に立ちたいと思っている。
しかし、個別最適化学習はあくまで手段であって目的ではない。その導入を推進する自身の主張がどのような論拠に立っているのか、常に振り返りながら進めたい。

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