いちまる

オランダ、デンマーク留学、塾講師、サッカーコーチ、家庭教師、中学校教師と務め、現在は慶…

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オランダ、デンマーク留学、塾講師、サッカーコーチ、家庭教師、中学校教師と務め、現在は慶應義塾大学大学院に在学しつつ、放課後児童支援員として学童で働いています。 だめだめ生徒だった自分を振り返りながら、当時の僕でも学習に向き合える教育、居場所作りを試行錯誤しています。

最近の記事

なぜ差別発言をした本人がそれを差別だと気がつかないのか①差別の定義

こんにちは、いちです。 先日は国際女性デーもあり、森前五輪組織委員長のこともあり、当時から考えていたことを少し書きたいと思います。 大きなテーマは、 「なぜ差別が起きてしまうのか」 「なぜ差別発言をしてしまった本人がそれを差別だと気がつかないのか」 「教育にはなにができるの」という三つのことです。 今回はこちらの論文を主に参考にしながら書いています。 "藤田武志. (1996). 反差別の授業の構築に向けて:「青い目茶色い目」 の授業の社会学的考察をとおして. 教育方法学

    • 「教育の学習化」という指摘(ガート・ビースタ)

      こんにちは。本日は「教育の学習化」という指摘について紹介したいと思います。この指摘はアメリカの教育学者のガート・ビースタの著書「よい教育とはなにか」という本の中に登場します。 (原題:Good education in an age of measurement Ethics, Politics, Democracy) まずは、「教育の学習化」がどのような現象なのか説明したいと思います。 一言でいうと、「教育が学習という言葉に置き換えられて語られている」という現象です。

      • 個別最適化学習が万能薬ではない理由

        個別最適化学習と呼ばれるものが教育改革の標語の一つになりつつある。ICTを使って、それぞれに合った最適な進度で学習を進めることで、一斉講義の課題を解決できる良さがある。 しかし、個別最適化学習には思わぬ課題もあるだろう。 以下に二つあげたい。 一つは、学習の目的が「測定可能な学力の向上」と暗黙に決定されていることだ。 そもそも個別最適化学習は測定によって、その基盤が成り立っている。つまり測定・評価・調整といった流れで学習カリキュラムを最適化していくわけだ。したがって、測定

        • 【公立校ICT活用の遅さは意識の低さだったのか】

          こんにちは、いちまるです。 先日5/11に文科省によって行われた情報環境整備に関する説明会で、公立学校のICT活用の取り組みの遅さが痛烈に指摘されました。 文科省は「使えるものはなんでも使って」といった今後の指針を示すとともに、対応の遅かった管理職の危機感のなさや、取り組もうとしない姿勢を強く批判しました。 しかし文科省が述べたように公立学校の取り組みの遅さは各学校の姿勢の問題だったのでしょうか。 そのような疑問から本記事では、なぜ公立学校のICT活用は遅かったのか、と

        なぜ差別発言をした本人がそれを差別だと気がつかないのか①差別の定義

          なぜ人は山に登るとき挨拶をするのか

          山を登るときには、すれ違うときによく挨拶をします。 昔はなぜ山に登るとき人は挨拶をするのかと不思議に思っていました。 最近、他の人から話を聞いて、その内容がよく筋の通ったものだったので紹介します。 同時に会社や学校で挨拶をさせることにどんな意味があるのか、ということをもう一度考える機会になればと思います。 まず結論から言うと、生き延びるためです。 山に登るというのは過酷なことです。そこでは遭難する可能性もあります。 体調不良や怪我で助けが必要なときもあります。 そのような

          なぜ人は山に登るとき挨拶をするのか

          学ぶとはどういうこと(記憶すれば学習?)

          学ぶとは一体どのような行為を指すのでしょうか。 学習とは一体なにをもって成立するのでしょうか。 教育学では長年この課題に向き合ってきています。 今回はその学習観の変遷と、昨今主流の構築主義的学習観についてお話したいと思います。 世界史でも日本史でも近代教育成立以前では(日本では1872年に発布された学制以前)、学習とは各々が必要だと思ったことを学ぶのが主でした。(日本での江戸時代はわりとそうでないが) しかし近代国家の成立にともない近代教育が組織されるようになると、 誰が

          学ぶとはどういうこと(記憶すれば学習?)

          教育は方法論でなく、子供ありきで

          さて、本記事では私が考える方法論が孕む三つのあやうさについて述べます。最近私は〇〇メソッド、××プラン、△△すれば絶対学級はうまくいく!なんてキャッチフレーズに嫌気がさしています。 特にビジネスが絡むと宣伝文句がすごくて、、、なんでそんな根拠もないことが言えるのか。そんな教育方法あれば教育学なんていらないじゃん。と思います。 この記事で伝えたいことは、常に目の前の子供にとってなにが一番良いのかという視点で方法を考えて欲しいということです。 私はどこでも通用するベストな教育

          教育は方法論でなく、子供ありきで

          学歴社会と固定されたラベル

          この記事で言いたいこと(結論)は。 『学歴によって貼られた価値が、その人の挑戦と可能性を奪っている』ことがある (信頼の欠如→投資の欠如→自信の欠如→挑戦の欠如) このテーマに興味を感じてくれたひと、学歴社会に疑問を感じているひと、受験に失敗したひと、学歴にコンプレックスを感じているひと、お母さんの方々、そんな方々に読んでほしいと思います。 私は普通の公立中学校から偏差値53ぐらいの高校に進学し、その後国立の体育大学に進学した、上にも上がらず下にも下がらず、いたって普通に

          学歴社会と固定されたラベル

          日本の教育がこう変わる、3つのポイント。

          現在、日本の教育は改革期真っ只中です。 探求学習の追加、プログラミング学習、特色ある民間教育の台頭など様々な取り組みが行われています。なぜ今日本中で教育の改革が進められているのか、そのポイントを三つにまとめてみました。 1 求められる力が変わる(社会の変化)一つ目のポイントは社会で求められる力が変わるという点です。 私たちが従来求められてきたのは、正しい回答を早く出すという情報処理力(認知能力)でした。 しかしどうやらこれからの未来、情報処理の部分は人間よりもコンピュター

          日本の教育がこう変わる、3つのポイント。

          日本の教育の一体なにが問題なのか。

          日本の教育に対して問題意識をもつ人が増えている。 一体日本の教育、特に学校教育のなにが問題なのか。 4年に一度行われるOECD経済協力開発機構の調査であるPISAテスト。単に知識だけでなく、実際にその知識を用いて解く問題が多く、世界と比較した日本の学力を測るデータとしてしばしば用いられる。 このPISAテストによると、日本の小学生中学生の読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシーは世界トップレベルにある。( 2015年 : 国立教育政策研究所) 一言でいうならば、日本の

          日本の教育の一体なにが問題なのか。

          人の可能性をひらく。

          「大丈夫、大丈夫、落ち着いて。」自分の体中から汗が吹きだしているのがわかる。心臓はばくばく。汗はだらだら。そんなに汗が出ると余計恥ずかしい。ただカラオケで一曲歌うだけなのに。。。 自分はすごく人前で自分を表現するのが苦手。 特に、歌とダンスはまじでだめ。脇汗がやばい。 これを書いてる今だってじんわり。。。おっと(笑) だからやりたいこと、考えていることがあってもなかなか言えない。仲のいい人、フィーリングの合う人にだけ。 これを内向的な人間だからしょうがないと言ってしまえば

          人の可能性をひらく。