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同僚のアメリカ人にブチ切れられた話|大手子供英会話スクール講師の裏事情

"Hey, I kind of understood what you said to the mothers. That pissed me off!" 

同僚のアメリカ人、アシュリーのレッスンの参観日。新しく入った子ばかりの幼児クラスで、初めての外国人の先生のレッスンのため、日本人講師としてサポートに入った。レッスン後、お母さん方に、「次回のアシュリー先生のレッスンから、私はサポートに入りませんので、よろしくお願いします」と説明し解散した直後、いきなりアシュリーがキレた。そして冒頭の言葉だ。「さっきあなたが保護者に言った言葉、うっすらわかったわ!マジでムカついたわ!」

いきなりキレられ、ポカンと口を開けて意味がわからないという表情を作る私にアシュリーが続ける。
「あなた、開講直後の幼児クラスは2週続けてサポートに入ってくれるって言ってたじゃない!なのに『もう次回からはサポートに入りません』って保護者に説明するなんて・・どういうこと?話が違うじゃない!」

たしかに、保護者にそう説明した。普段は日本語は話せないが、もう10年日本で英語講師をしているアシュリー、さすがに聴き取れたらしい。そしてそうだ、私の勘違いだ。アシュリーとは事前の相談で、2週続けて私がサポートに入ることに決まっていた。それなのに1週目が終わって「もうサポートに来ません」と説明してしまうなんて、完全に私のミスだ。

「ごめんごめん。勘違いしてたわ、アシュリーの言う通りよ。あなたが正しいわ、私は来週もサポートに入ることになっていたわよね。保護者にはあらためて私から説明しておくわ」

これで終わると思った。というか、これでよくないか?しかしアシュリーはさらにキレ続けるのだ。
「言うことをコロコロ変えないでよ、紛らわしい」と言いながら、次のレッスンの準備に入った。使うテキスト類をテーブルの上にバン!バン!と投げつけながら。謎だった。普段は温厚で優しいアシュリー。私の勘違いの保護者説明だけで、こんなにキレる人物ではない。何かある。

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その謎が解けるまでに時間はかからなかった。年度末に近づいていた当時、次年度からの時間割を決める上で担任の私が本社に提出した時間割案が、全くアシュリーの思いに沿っていなかったことが原因だった。私にとっても不本意ではあったが、本社や保護者との相談の結果、1日に5コマ連続で教えなければならない曜日ができてしまったのだ。

当時、私とアシュリーで日々のレッスンのレポートや引き継ぎ事項を書き合っていたノートに、ビッシリと彼女の思いが英語で書かれていた。中でも心に一番刺さった一言は「この10年、いろいろな日本人講師と一緒に仕事をしてきたけど、あなたみたいな自分の都合しか考えない最低な講師は初めてだわ」。さらに、「レッスンをできるだけ1つの曜日に押しやって、空いた曜日を使って他の教室に出張するっていう魂胆は見え見えよ。自分が稼ぎたいからって勝手すぎるわ!1日に5コマ連続で教えるなんて無理に決まってるじゃない!」

私たち講師の給料は歩合制に近く、教えたレッスン数、受け持った生徒数に応じて上がったり下がったりする。アシュリーは私が自分の我欲にために、受け持つレッスンを増やすことを念頭に次年度の時間割を編成したと思っているらしかった。そんなはずないのに。誰よりも生徒や保護者のことを1番に思っているのは、担任の私だ。

子供英会話講師になってから、私は子供達や保護者さんたちと真摯に向き合ってきた。英語を教えるのが大好きだったし、少しずつ語数が増えて行く子供達を見るのが嬉しかった。楽しそうな子供達を見て幸せそうな眼差しを向ける保護者さんたちと接するのも、講師として最高の瞬間だったし、子供達とその保護者さんの幸せそうな顔を見るのが、子供英会話講師の醍醐味だと思っていた。

どんな些細な変化も保護者さんに報告したし、子供が落ち着かない時はギュッと抱きしめながらレッスンをしたりもした。子供達のことを1番に考えたかった。だからこそ、学年が変わる次の年度からの時間割編成には真剣に時間をかけて取り組んだ。子供の能力を鑑み、仲良しの友達と離れてしまわないよう配慮し、保護者さんと相談して送り迎えの都合や他の習い事との兼ね合いを考慮する。一生懸命練って本社に提出しているのに、会社の都合と合っていなくて突き返される、ということを繰り返していた。保護者にはまさか「本社の都合で・・・」なんて言えないので、どうにか説得して曜日や時間を移動してもらう交渉をする。もちろん「なんで?」「意味がわからない」「無理です」と不満を口にする保護者もいるので、その都度頭を下げて交渉。本社は好き勝手言うが、矢面に立たされるの担任だ。顧客のことを考えず自社の都合を優先する本社に心からウンザリしていた。正直、自分やアシュリーの都合なんて二の次だ。必死だった。

もちろん、作成段階でアシュリーには逐一相談するべきだった。しかし、すでに保護者サイドと本社サイドの板挟みになり疲弊しきっていた私に、彼女のことを考える余裕なんて到底なかった。しかしついに板挟みが、アシュリーを加えた三方向からの雁字搦めに変わったのだった。「私の都合も考えろ!1日に5コマなんて、疲れ切ってレッスンのクオリティが下がるに決まってる!」とアシュリー。子供達には常にベストな自分を見せたい。それができなくなる。これが彼女の言い分だった。終いには「あなたと違って私は子供達のことを1番に考えてるからこそ言ってるのよ!」と言われる始末。

彼女には、この状況をどれだけ説明してもわかってもらえず、「自分の都合を最優先している最低最悪な講師」というレッテルを貼られた。

子供達やレッスンのことを何よりも考えて、精一杯レッスンをしてきた。天職だった。レッスンを楽しんでいる子供達。そんな子供達を見て嬉しそうにする保護者さんたち。そんな光景を見るのが大好きだった。

しかし、どんな仕事でもそうであるように、楽しい嬉しいばかりではない。ネイティブ講師にはこなすことができない保護者とのやりとり、コツコツと進めなければならない事務仕事。時には、机上の空論という理不尽を本社から投げつけられる。そして、アメリカ人同僚との不和だ。当時、夫は長期出張中で家に帰っても泣きつけず、ストレスで胃をやられて、人生初の胃カメラを飲んだ。ストレス性胃炎だった。これがいつも笑顔でニコニコレッスンをしている英語の先生の裏事情。

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私が担任中、「もうレッスンに行きたくて行きたくてウズウズしてるんですよ」「いちこ先生が大好きだって」「楽しくてしょうがないみたい」と家での子供達の様子を報告してくれる保護者さん達。家で習ったばかりの字を使ってお手紙を書いてきてくれる子供達。本当に嬉しかった。退職時にはたくさんのお母さん達が「お世話になりました」と花やお菓子、メッセージなどをくださった。

天職だった。子供に英語を教えることが大好きだ。英語だけでなく、その先にある広い世界を見せてあげたい。でも、もう大手はいいかな。大手は努力しなくても顧客は集まるし、給料も良い。でも、しがらみが多くて自由はない。マニュアル通りに教えなければならない。もう何にもしばられたくない。

夫の駐在が終わって帰国したら、自分の教室を開く。これが当面の目標だ。


Ichiko




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