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恋人を手に入れるに適した手段を考える〜手榴弾か、パトリオットか、ゴルゴを雇うかそれはあなたのお好みで、の巻。



恋愛の話が大好物な友人がいる。



彼女と話していると、その恋愛体質ぶりに「そんなことまで恋愛に絡められるものなのか…!」と、衝撃を受ける。
シンガーでもある彼女は、恋のうたをうたってはその世界のオンナゴコロオトコゴコロのいじましさうつくしさに涙を流し、
美しい景色を見ては、デートに訪れた恋人同士の甘い感情を想像して涙を流し、
美味しそうな食べ物を見ては恋愛初期のデートを妄想し涙を流す。

恋愛以外でも実に感受性豊かで愛に溢れていて、何かとしょっちゅう感激してはとにかく、涙を流す。

人間は好きなものが得意になるというけれど。
愛を得意にするオンナって、なんかチックショー、とか思いながら、その魅力にめろめろになっているわたくし。

ちなみに私の歌を聴いて泣いてくれたのはこのオンナだけだ。


S-roomオーナーセラピスト、S子がその人である。





例によって、LINEのグループで、普遍的な恋の話を始めるS子。

「私重たい女だから」と笑っている。



ふと思う。

重たい女って、いつの世から言われるようになったんだろうなー。
私が小さい頃にはすでに存在していた概念だった。
秋元康か中谷彰宏か、昔からある恋愛指南本にも書かれていたのではないかしら。

手編みのセーターの網目ひとつひとつに、恋するオトコが肌ざわり心地好く、外気の寒さを物ともせず、そのオトコそのままのパフォーマンスを発揮できるよう、との気持ちを込めて編み上げる。
そういった心づかいを重たいとか怨念とか言って笑っていた、そんな風潮が昭和の時代にあった。


令和も2年の今だったらどうだろう。やっぱり重たいのだろうか。
たとえばお弁当を作ったり、作らずとも買いに行ったりしたときに「彼/彼女はこれが好きだったな。喜んでくれるかな」という感情を持つことはよくあることだけれど。


話が逸れた。


重たい女はあかん、という概念はいつ生まれたのか。
なぜそう言い切れるのか。
なんであかんのか。
誰がそんなん言ったのか。
誰に対してあかんのか。


好きになったオトコが「重たいオンナは嫌い」と言ったらそれはショックだ。
ヤケ酒なりヤケカラオケなり毛筆でそいつへの恨みを書き連ね、我がお師匠の提案する「お恨み帳」を作成するなりして、そのショックを昇華するべきである、ええもうそれは、禁忌である「べき」を使ってもやむなしの案件である。

そして新たなるオトコを狩りにいく気力体力をふつふつと養うのだ。


ちなみにそういう時はイチカを誘ってくれるとうきうき喜んでそいつの悪口を沢山沢山沢山沢山捏造するのでぜひぜひ同行さしてくれたまえ。


そうして、重たいオンナが大好物だ、というオトコにアンテナを張る。
罠を仕掛ける。網をかける。薬物を盛る。(比喩やで。)


重たいオンナが大好物なんて、そんなオトコいるわけないって?

では聞こう、オトコの中身ってみんな同じか〜〜〜

みんな同じタイプのオンナを好きになって、同じタイプのオンナと結婚するのんか〜〜〜?



モテるオンナとかモテるオトコってのは確かに存在するけれど、別にみんながみんながモテたいわけではないよなぁ、むしろモテたい人間って少数派なんちゃうんかな、と私などは思うのだ。


結構割と多くの人が「唯一無二のパートナーと愛し愛されたい」って思ってるんじゃないのかなぁ。


であるなら、投網を放ったり麻酔弾を打ち込んだり散弾銃を180度乱射するなどして大勢を捕獲する手段を取るより、


一撃必殺


これを狙うがストレス無し、でらくちんなんじゃないのかなあ。





「私重たい女だから」
「いきなり豪速球投げるから」

という可愛いS子に、

「なら清原みたいなバッターが来とるんやな」と伝えたことから思いついてこれを書いている。

S子のようなモーション無しの豪速球を投げるようなオンナには、それを受けて立つことこそ己が人生の最大の目的!!!!!みたいなオトコが現れるもんでな。


きっと、誰しもが打ちやすい球ってのがあるだろう。
けれど個人個人で見てみたら、得意な球はいろいろ出てくるはずだ。
そして、その日やその時期のコンディションでそれも変わってくるだろう。


イヤらしい変化球ダイスキーーーいっぱい変化させてぇーーアタシそれ打つしぃぃぃ、ってバッターもいるだろうし。
ゆるい何の変哲も無いカーブが一番好きだ、ってのもいるだろうし。
どストレートのど真中に全力の豪速球よこせ、っていうのももちろんいるだろう。






ってか、いるんだわ。










私たちは、私たちが放りたい球を放ればいいし、打ちたいと言ってくる相手の中から何人か、或いは唯一かの存在を求めたらいい。

大勢が打ち返したいであろう球を想定して、投げたくもない球を投げる必要はないのである。



今日はそんなお話。




S子に会いたい方はこちらへどうぞ。
頭からつま先まで繊細で確実にとらえるトリートメント、ほぐしの技を熟知しています。何よりゆったりくつろげてほんわり安心できる雰囲気作りがとても上手なのです。

と、S子のハードルをあげる。

もちろん女性も男性もお受けしとりまーす。

とんでもない恋愛体質で周りに引かれてしまうくらい感受性のつよい皆様の安全地帯にもぜひ。





読んでくれてありがとう。

ずっと罪悪感を抱えて、自己肯定感ひっくい人生を送ってきたんですけれど、いまは応援していただくことの修行をしています。よかったらサポートお願いします。いただいたサポートで土偶や土器の博物館に行きます。