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兵士たちへの民間支援すら許さない、『支配狂』なロシアの論理【スレッド要約】

今回の要約はまた、カミルさんによるスレッドです。数か月前に翻訳してシェアしていたものになります。

カミルさんはこのスレッドを、ロシアが国内の産業を『特別軍事作戦』に協力させるための法案を出したタイミングで投稿しました。そのような法案を出したということは、ロシアは戦争に必要な物資が足りなくなってきていたということです。

しかし、ロシアは同時に、『民間から戦場の兵士たちへの直接の物資送付』を難しくしてしまうルールも出していたのです。

物資が少なくなれば自軍の兵士たちは困ります。そこに無償で必要なものを自軍に提供してもらえるのは、軍にとってはありがたいはずです。にもかかわらず、兵士たちを助けたい国民からの支援は妨害したのです。なぜなのでしょうか?

カミルさんは、この一件もまた、欧米などの民主国家には理解しがたいロシア政権の理論をよく表していると、説明してくれたのです。

↓↓↓こちらが私が要約して投稿したスレッドです。(ちょっとこの最初のツイートの説明は不十分でした。すみません。)

  • 見出しは瀬道が追加

  • ()内はもともとあった説明か翻訳上の補足

  • 【】内は瀬道の追記

となります。以下要約です。


ロシアとドンバスの新法

ロシアが新しい法案(生産業の協力要請)を出したのと同じ日に、ドネツク人民共和国(自称)(ロシアの傀儡国)の代表は新しい法律(第338項)に署名した。

これは、「ロシアからの人道支援・物資の自由入国を禁止する」と言うものだった。(実際は、今までの多くの支援は人道的なものではなく軍事的なものだが)

今までは、ロシア国民はロシアで買えるものはなんであれ「人道支援物資」としてDPR(ドネツク人民共和国)に送ることができた。それが、個人がウクライナでの軍事作戦を合法的に支援する方法だったのだ。

それが今となってはDPRは認定を義務付けたため、何を送るのも難しくなってしまった。おまけに第338項は、親露派軍隊へ以下の『人道支援』物資の輸入を完全に禁止している。

  1.  銃と弾薬

  2. 現代的なラジオセット類

  3. ドローン類

なぜわざわざこんなことをするのだろうか?

これは、西洋人的には直感に反するであろうロシア国家の論理を完璧に描いている。

ロシア政府は完全な『支配狂』で、徹底的に『あらゆる』機関や活動を根絶しようとするのだ。

それがたとえロシア政府に賛同したものであっても、だ。

支配を確実にするための策略

ドンバスでの紛争が始まってすぐの頃は、多くの親露派軍隊はロシア中枢に完全に支配されてはいなかった。 親露派の将軍たちは純粋な信仰者だったり、冒険者だったり、その両方だったりした。

例えばそのうちの1人はロシアでは洗車場で働いていたが、ドンバスに行って将軍に成りあがった。冒険者だろうが純粋なロシア愛国者だろうが、その殆どは成り上がりで、ロシアの政策にもともと関わっていたわけではなかったのである。

ロシア中枢は彼らを利用した。しかし決して彼らを容認することはしなかった

たった1人を除いて、ドンバスの将軍は全員、ドンバスやロシア国内で暗殺されているのだ。

たった1人生き残った初期のドンバスの将軍だけは、生きているだけでなくその権力をも保っている。コダコフスキーだ。

なぜクレムリン(ロシア中枢)は彼を他の将軍のように『洗浄』しなかったのか?

彼は他の将軍とは違ったからだ。

彼は洗車場ではなく、ウクライナの国家保安機関(SBU)で働いていたのである。

親露派のドンバス将軍は全て、ロシアやドンバスで不可思議な状況下で亡くなった。クレムリンは彼らを『洗浄』したのだ。たった1人生き残り権力を持ったのは、元ウクライナ諜報部員だけ。なぜか?

これは、ロシアの論理では全く理にかなっている

まず、彼は腐敗している。彼は裏切り者で、誰もがそれを知っている。だから彼を支配するのはとても簡単なのだ。恐らくクレムリンは彼の評判を完全に破壊できる弱みを握っているのだろう。彼はそれを理解していて、どんな状況であれクレムリンを騙したり抵抗しようとはしないのだ。

しかしもっと重要なのが、彼が『2014年以前』のSUB出身だという事実だ。

はっきり言おう。

ウクライナがソビエトの伝統と政治形態から劇的に袂を分かったのは2014年だ。

2014年以前、ウクライナはロシアのようで、SBUはFSB(ロシア連邦保安庁)のようだった。 それらは多くの人が推測するほど、違ってはいなかったのだ。

『尊厳の革命』が絶ったソビエトの命

マイダン革命(親露派の大統領を追放したウクライナの市民運動。尊厳の革命、とも呼ばれている)の意味合いは、『多大に』過小評価されている

ソビエト連邦が本当に死んだのは、2014年だ。

2014年までは、ウクライナの軍、諜報、そしてより重要なのが軍事産業までもが、ロシアの同業者との以前からの縁を保っていた。

ソビエトは存続していたのだ。

ロシアはFSBにより運営されている国で、FSBは自身を公に『新しい貴族階級』だと呼んでいる。 これは文字通り受け取るべきで、彼らは真に新しい貴族なのだ。

だから彼らが洗車場で働いていたような『農民』ではなくコダロフスキーのような『貴族』に頼るのは理にかなっている。

クレムリンは、2014年以降のウクライナの変貌に純粋に、心から震え上がっている。

2014年以前までは、彼らはウクライナのエリート層を自分たちと同類だと認識していた。もしかしたら少し下に見ていたかもしれない。

そう、ソビエトの連携と存続は1991年に終わったのではない。2014年に終わったのだ。

マイダン革命、そしてクリミアとドンバスの戦争が、ソビエトを殺した。どうやって?

2014年以前、ウクライナの国防機関はほぼソビエト様式だった。 2014年以降、それらは素早く大幅に骨組みを変えた。国防においてそれは、特に大規模で大掛かりなものだったようだ。 それは真の革命だったのだ。

革命が起こす変化

革命への支持を語るとき、私たちは誰の目にも明らかなことを忘れがちだ。それは、体制の骨組みの変化である。

殆どの革命は、一般的な生活の質を何年にもわたって低下させる。 それでも革命は、骨組みの変化を通じて多くの支持者を生み出すのだ。

確かに社会の崩壊は生活レベルを下げるが、同時に『大量の』野心的な成り上がり者の成功を許す。例えば、古い体制のままで、単なるコサックの下士官だったセミョーン・ブジョーンヌイが騎兵隊の指揮官になる機会があっただろうか?

セミョーン・ブジョーンヌイ:ロシア帝国・ソ連の軍人。ロシア内戦(1918年~1922年)における赤軍の英雄、第1騎兵軍指揮官、ソ連邦元帥の最初の1人で、3度ソ連邦英雄の称号を受けた。

答えはノーだ。 しかしソビエト政府が上層部を『洗浄』したため、彼にその座が開け渡ったのだ。

ホワイトプロパガンダ(情報源が確かなプロパガンダ手法)では、(ロシアの)革命は「ユダヤ的」だったと描写されている。【革命でユダヤ人などの少数派が大きな役割を果たしたためと思われる】

しかし実際には、貴族や士官たちが抹殺され、その地位を埋めるよう訓練されたのが若いロシアの小作人たちだったのだ。彼らは全く幸せで、新しい体制のために命をかけるのをいとわなかった。

革命は、ほぼいつでも、その後何年にも渡って一般的な生活の質を下げる。そして、粛清は非常に残虐になりうる。 しかし年取ったエリート達が粛清されれば、その地位に誰か他の人間を勧誘しなければならない。骨組みを変える必要があるのだ。

社会的な可動性の加速は、大衆の支持を生み出す。

フランス革命が、いやそれ以上にロシア革命が極端な例だ。よく知られている実例なので説明に取り上げている。 重要なのは、その因果の連鎖だ。

 体制の変化
→粛清
→骨組みの変化
→成り上がり者の大量発生
→新体制に対する堅固な支持大衆

という流れだ。

マイダン革命(2014年ウクライナ)は、1789年や1914年のものほど過激なものではない。 しかし武力衝突に発展するほどには達し、ロシアを震え上がらせることになった。 そして武力衝突が骨組みの変化に繋がった。 殆どの古い軍機関はあまり頼りにならず、国防機関などは全く頼りにならなかった。

ウクライナの諜報部員が西洋の同業者よりとても若いのは非常によくある話だ。なぜか? それは古いソビエトの骨組みが洗浄されたのが大きな要因だ。それが体制の外観を変え、堅固な支持大衆を生み出したのだ。

2014年が、ソビエトを殺した。ウクライナの骨組みの変化が、ロシアとウクライナ間の国防機関の連携を壊したのだ。

古いソビエトの骨組みは徐々に洗浄され、継続性は打ち破られた。 そしてその地位に収まったものたちは、古い体制が戻ることを決して好ましく思わない。

プーチンの失敗

本音を言えば、もし2014年に大掛かりな侵攻を行なっていたとしたら、プーチンは成功していたと思う。 そもそも、多くの東ウクライナの人々は自身をソビエト/ロシア人だと認識していた。しかし2022年までに、彼らの多くは亡くなったり、影響力をもたらすには年を取りすぎたりしている。 1つの死ごとに、歴史は動いていくのだ。

それから、(当時であればプーチンは)殆どのウクライナの軍部と諜報と取引を行うことが出来たに違いない。多くは拒否しただろう。しかし素早い勝利を収めるのに十分なだけの協力者は居たはずだ。実際、ドンバスでの『市民の反乱』は、多くは付く側を変えた現地の国防関係者によるものだった。

小規模な戦争を8年間も続けてから大規模な侵攻に踏み切るというプーチンの決断は、気違い染みたものだったのである。

東ウクライナの人々のアイデンティティは年を経て変化した。古いソビエト人としての自覚を持つ人々の多くは年を取りすぎた。 そして、防衛機関にも骨組みの変化があった。

2014年であれば、プーチンは侵攻に賛同する強力な各組織からの支持を現実的に期待することが出来た。 しかし、どういうわけか彼は8年間にわたって動きを停止した。 2022年2月までに、それらの多くは解雇されたり、死んでいたり、逮捕されたりしている。メドベチュクが最もよく知られる例だ。

それでは最初の質問に戻ろう。

クレムリンは、なぜウクライナにいる自軍への『人道支援物資』の供給を厳しく制御するのか?

それは、ロシア帝国主義の行動主義ですら、『行動主義(アクティビズム、活動)』であるからだ

そして、クレムリンは決して、絶対に、どんな行動主義も許さない。

革命に繋がる自主性と連携を弾圧するロシア

もし愛国者や帝国主義者たちがロシア/ドンバス軍に価値のある支援物資を送り続けていたら、彼らはその並行的なコネを多く確立してしまうかもしれない。 前線で戦う兵士たちは、支援者たちに好感を持ち、彼らに頼ることすらし始めるかもしれない。

実はそれこそが、多くのロシア帝国主義者たちが望んだことではあった。

チャダイェフの例を見てみよう。 彼は「価値のある装備を集めてドンバスに送ることで、私たちは私たち自身の、愛国的で市民的な社会を作る」と書いている。 言葉にしていないのは、「前線の兵士たちと直接の関係を結ぶ」という点だ。

クレムリンは、決してそれを許さない。

どんな純粋な信仰者も、ロシア帝国主義者ですら疑わしい。

貴方は貴方の価値観により、皇帝と共にあるかもしれない。

だがそれは同時に、明日になれば、貴方は貴方の価値観により、皇帝に刃向かうかもしれないことを意味する。

強い個人的な意見は問題なのだ。

ウクライナのロシア兵たちへの支援を組織することで「真の市民的社会」を建設できると考えたロシア帝国主義者たちは甘かった。 それは

①『個人的な動機』

であり

②『集団的な行動』

だったのだ。 そしてクレムリンは断固としてその両方の能力を摘み取ろうと決心している。

プーチンに限らず、ロシアの政治組織は、『個人的なイニシアチブ』と『集団行動』を排除することによって成り立っている。

クレムリンを支配するのが誰であっても、彼は帝国を保持するためにこの2つを排除せざるを得ないだろう。

帝国を解体しなければ、その人々を解放することは出来ない。

Kamil Galeev


【翻訳以上】

(比較的)民主主義の社会で生きる私たちにとって、完全な支配を目標としたロシア政府の考え方を理解するのは難しかったと思います。カミルさんのおかげでその理論だけでなく、ウクライナでの革命の重要性についても良く理解できたのではないでしょうか。

カミルさんは、ロシアのそれぞれの地方がロシアの呪縛から解き放たれるのを願っています。ロシアを『解体されていない植民地国家』と呼び、その『非植民地化』を願っていると、こちらのインタビューでおっしゃっていました。

ロシアの動員の現状、内戦の可能性などの言及もありますので、よろしければご参照ください。

それでは、また次回。

翻訳者、瀬道

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