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20代が始まる日

2024年6月30日。
私、20歳を迎えました。

10代が終わってしまった…と思うと、寂しいなぁという気持ちと、長かったなという気持ちと、ここでは書ききれない気持ちが、一度にこみ上げてきます。素直に嬉しいという気持ちだけで喜びきれないのは、きっと10代が名残惜しく思えているからです。思い返せば幸せな10代ではなかったかもしれないけれど、19歳という10代最後の1年が、それまでの苦しさを忘れさせてくれるくらい、幸せで満ち溢れた時間でした。だから、寂しさがどうしたって心に残っています。後悔ではなく、終わってしまったんだな、というただただ名残惜しい気持ち。

昨日は突然、ひとりぼっちの部屋で誕生日を迎えることが悲しく思えて、久しぶりに大粒の涙がこぼれてしまいました。友達を見ていると思うことがあります。すぐ側に家族がいて、笑い合えて、一緒の時を過ごせること。これが本当に幸せなことで、羨ましいことなんだと。ひとりで東京にいることも、誰かにとっては羨ましいことで恵まれたことなのには、変わりありません。でも、私にとっては家族がすぐ近くにいてくれることが、何よりも幸せで、かけがえのない事なのだと思うのです。そんな家族が、私の誕生日にそばにいないことと、一緒に20年目の節目を迎えられないことが、とても悲しくて、寂しく感じてしまいました。20歳にもなって、みっともないことは分かっていました。それでも、我慢できなくて。今もまた、涙が溢れてきちゃいました。まだまだ、弱い私です。

1年前の私は、19歳で縋りつくことから卒業したいと書いていました。結果的に、それは叶ったようで叶わなかった、と思っています。ある程度、ひとりでやれることが増えて、親に縋ることが減りました。でもその反面、心療内科という場所と、鬱という特性から、離れることはできませんでした。鬱とか双極性障害とか迫り来る不安感を言い訳に、目の前のことから逃げたとか、そういうことはなかったけれど、縋っていると言われたら、否定はできない状況のまま20歳を迎えました。1年前の私なら、凄く落ち込んでいたと思います。でも今は、それでもいいやと思えるようになりました。たとえ、縋っていると誰かに言われたとしても生きてさえいればいいし、必要な勝負や挑戦から逃げなければ、縋りながらでもいいじゃないか。そう思うのです。これは私が19歳を全力で生きて、真面目に私と向き合ってきた結果として、得たひとつの答えだと思います。

20歳は何を頑張ろうかなぁと考えているところですが、今のところは、目の前のことから逃げずに向き合うこと、自分の真面目さを認めてあげること、この2つのことを大切にしていけたらいいと思っています。もっと具体的な目標は、この先やってくる実習とか、新たな人との出会いとか、20歳を生きる中で見つけられたらいいな、と思っています。それがたとえ来年の今頃に見つかったとしても、それでいいです。とりあえず、緩く生きていきたいし、あまり深く考えすぎない私を育てていけたら、と思います。

毎年願うのは、1日でも多く、笑顔で過ごせますように、ということ。20歳も変わらず、笑顔で満たしたいです。

よろしく、20代。
まだまだ生きるよ。

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