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小説「氷磨と王子」第一章

まえがき

 この小説の元になったのは、14歳の頃の構想です。もういいかげん表に出してやらないと、と思いつつ、10年が経ちました。なんとか、人様に読んでいただけるように整えましたので、お暇のある方、ぜひ読んでいっていただければ幸いです。今回お届けするのは、「氷磨」(ひょうま)第一章です。

序 子守歌

 母は我が子に歌う。この国の言い伝えの歌を。

月の光の満ちし時
耳を澄ませば
笛の音響く

美しき調べは善き徴
恐ろしき調べは対のこと

善きことに進め我が子よ
悪しきは改めなさい
己が身を滅ぼすその前に

第一章 王子の成人





回想一 王と悲願


 辺りは血の海であった。王は、悲願を成し遂げたのであった。
「成った。…成った。今この瞬間ここに、真の神の国が成ったのだ…。」
 王が高く差し上げた血濡れた剣が、夕焼けにギラリと光った。東の空には、盆のような月が昇ろうとしていた。
 王は気付かなかった。草陰に、小さな身体が震えていたのを。その小さな手を握りしめ、大きな黒い瞳を閉じもせず、一部始終をぢっと見つめていたのを。

第一節 王子


 王子はため息をついた。憂鬱であった。対照的に、城の中はいつになく賑わっていた。着飾った女たち、食べきれないほどのご馳走、芸人たちは笑いを提供し、王侯貴族たちは見返りに金銀をばらまいていた。王子の身体もまた飾りたてられ、さながら孔雀の雄のようであった。
 王侯貴族たちも、女たちも、芸人たちも、口を揃えて王子を称えた。なんと素晴らしい、なんと凛々しい、お美しい、ご立派だ、喜ばしい、などなど。
 しかし王子の心は逆さまで、仕方なく作る笑顔をいかに自然なものに見せるか、という努力の結果しか、王子自身をして称えるべきと思える所はないのだった。全く、王子は自分自身も、自分におべっかを使う連中も、嫌で嫌で仕方がなかった。そしてなにより、この賑わいが自分の成人を祝うためのものであることが、本当に嫌だった。
 成人、といってもたかだか十五の少年である。王子自身、顔立ち、体格、頭脳、どこをとってもこの国の王子、延いては次の王たるに相応しいものであると周りから見えることは自覚していたが、それとこれとは別の話で、もう子供のころのように、素直に王座に憧れを抱けるわけもなく、ただただ、気が重くて仕方がなかった。
 しかしこの宴で、ただ一つ王子の心を動かすものがある。
一人の姫であった。
美しい絹のような金髪に、白い肌、宝石のような目をしている。名を沙耶といい、王子の許嫁でもあった。彼女だけが、王子にとって、この場において唯一本当に美しいものであった。この度王子の成人に伴い、近々婚礼も執り行われる。しかし、自分が沙耶姫を好きなのはいいとして、沙耶姫は自分より年上だし、他に想い人の一人もいるのではあるまいか、仕方なく自分と結ばれるのではあるまいか、そもそも自分は沙耶姫に相応しい男であろうか、王子は近頃そればかり考えていた。そんな王子に、
「姫様も王子様をお好きでいらっしゃいますよ。」
と言った無責任な男がいる。丁度十歳年上の、王子の侍従である。この場にいる多くの者たちと容姿が異なる、黒髪、黒目、肌の白いこの男は、この国の土地に古くから住まう蛮族の血を引くのだという。王や王子はじめ家臣たちの多くの髪は、茶色かもっと明るい。しかしながら、王子の知る限り、こんないい男はこの城の中に二人といない。文武に秀で、忠誠心に厚い男で、今も王子の側近くで、あちらへこちらへ気を回す、器用で細やかな、非の打ちどころのない男だ。
ただ、王子の父である国王と、この侍従とは、どうも反りが合わないようであった。そもそも王は、蛮族の血を引く者でも、その優秀さによっては要職に取り立てるのだが、その割には、彼らのことが嫌いであった。





第二節 神と鬼と人の話


 突如、賑わっていた大広間がしん、と静まりかえった。そして、一人の杖を突いた老人が歩み出る。いつの間にか、王座に正対するところに、彼のための席が設けられていた。そして静かな、それでいてよく通る老人の低い声に、広間中の耳が傾けられると、老人は語り始めた。それはこの国の成り立ちの物語であった。
「・・・昔むかし、この地には鬼が棲み、この地を支配しておりました。人間は鬼を畏れ、鬼に供物を捧げ、鬼のために働いておりました。神々すら、手出し及ばなかったのです。それゆえ人々は、神を知ることもありませんでした。
 遠く海の向こうには、神々の治める国がございました。神々が人間を守り、人々は喜んで神々がために働いておりました。神々のため、鬼と戦い、多くの勝利を収めもしました。しかし、この地、海の向こうの鬼の国だけは、どんなことをしても、手出し及ばぬのでございました。それは、神を知らぬ人々が、鬼だけを信じていたからでございました。
 ある時、神の国の一人の男が、罪を犯しました。彼は、その罪のため国を追われました。共に多くの罪人たちが、国を追われました。彼らは一艘の船に乗せられ、大海原に出ました。その男は、大変賢い男でした。彼は他の罪人たちを率い、なんと鬼の国へと向かったのでした。神をも畏れぬその男は、鬼に近づき、従うふりをして、ある日とうとう鬼の弱点を見つけ出し、鬼を倒してしまいました。その時、鬼に従っていた人々の呪いが解け、それを海の向こうから見ていた神々は、男と罪人たちを許し、英雄として、その地を治めることを許したのでございました。・・・」
 老人は、ひとつ大きく息をつき、右手をすっと挙げて王子を示した。
「・・・その英雄の血を継がれた王子様が、この度めでたく成人あそばされまする。この国の成りし時より、神と鬼との間になされた約束が、これからも守られ続けますよう・・・」
 伝承によれば、英雄は鬼を殺すことかなわず、しかし鬼を降伏せしめたという。そして、鬼との間に約束を交わした。それによってもう二度と、鬼は人に手を出さないのだという。
「・・・王子さまは、次の満月より七日、東の山にある、鬼の社に籠られまする。七日の後、鬼が王子様を次の王たるに相応しいと認めるならば、王子さまはこの城へお戻りになるでしょう。王子様がお戻りにならぬ時は、再びこの地に災いの起こることになりましょう。」
 老人は退いた。入れ替わりに、王が立ち上がる。王子は前もって教えられていた通り、王座の脇の己が座より、王の前へ進み出、跪いた。王の小姓が、持っていた冠を差し出すと、王は黙ってそれを受け取り、王子の頭に据えた。
「我が王子よ、顔をあげよ。」
 王の少しかすれた、しかしそれでも強い響きを持った低い声が、広間の静寂を裂いた。王子が顔をあげると、王の黄金色の瞳が王子を射すくめる。
「そなたはこの国の次なる王となる者、神の子、国王たる者がここにそれを認める。次の満月が天頂に至る時、東の山、鬼の社にそなたは居る。鬼にその身を預け、試させよ。七日の後、鬼はそなたを見定めるであろう。神の剣をそなたに授けよう。神の加護のあらんことを。」
 王は、一振りの剣を王子に授け、自らの座に戻った。すると静かに、楽が奏ではじめられる。楽の音は少しずつ盛り上がり、いつの間にか広間は賑わいを取り戻していた。

 やがて夜も更けて宴も終わり、王子はふと我に返った。宴で人は酒を飲むが、人もまた宴に飲まれているものだ。
〈頭が、痛い〉
王子は寝所へ戻ろうとした。が、足がふらつく。それもそのはず、生まれて初めて、酒をしこたま飲まされたのだった。転びそうになったところを、力強い腕が支えた。侍従である。幾度この頼もしい双腕に支えられてきたことか。侍従は、ふらつく王子を支え、寝所へ導いた。





第三節 東の塔


「今宵の月は、美しゅうございますよ」
 侍従が窓辺に立って、王子に話しかけた。王子は揺り椅子に身体を預けていた。ふと、王子の脳裏に美しい歌声がよみがえって、自然と口ずさんだ。

月の光の満ちし時
耳を澄ませば
笛の音響く

美しき調べは善き徴
恐ろしき調べは対のこと

善きことに進め我が子よ
悪しきは改めなさい
己が身を滅ぼすその前に

「王子様、昔の歌をよく覚えておいでですね。」
侍従が感慨深げに言った。
「乳母が…そなたの母がよく歌ってくれた。あの歌は好きだ。宴の騒がしい歌とは違って。そなたとて忘れるわけもあるまい。」
侍従の母は、王子の乳母をしていた。
「ええ、もちろん。…王子様、では、もうひとつ覚えておいでですか。」
「もうひとつ?」
「・・・その笛の音を。」
王子は、ふっと笑った。
「ああ、忘れるものか。乳母どのが歌うのは、月が美しく輝く、あの調べの聞こえる夜だった。…いつから聞かなくなったのか…なあ、東の塔に登ってみないか。あの音色を、聞きに行こう。」
急に侍従の顔色が変わった。
「王子様、今はあの音色は・・・」
「つまらぬ男だな。そのようなことではすぐ老けるぞ。それにそなたが言い出したのではないか。」
しぶしぶ、という様子で侍従は微笑んだ。
「…わかりました。」
満月の明るい光は、一方で暗い影をも作る。そんな影が、侍従の目に揺れた。

東の塔は、城の東に、蛮族の動きを見張るため建てられたという。西からやってきた「神の国」の者たちが、「鬼の国」の蛮族を東の山へ追いやった、という象徴の塔でもあった。王子は父である王から、いつもそう聞かされて、育った。明かりを持ち、王子と侍従は石造りの塔の、暗いらせん階段を登った。
「幼き頃の記憶だが、私は満月の夜のあの美しい音色が好きだった。いつしかそんなことも忘れていたが。この塔にも、登らなくなっていたしな。」
「あの音色を美しいと思うのは、王子様の御心がお美しいということですよ。母が、よくそう申しておりました。」
「・・・会いたいものだな。母上たちに。」
五年前、疫病が国を襲った。その時、王子の母と、侍従の母である王子の乳母は、そのために亡くなった。二人の母は、王子と侍従を深く愛してくれていた。王子と侍従も、二人の母を深く愛していた。互いに、二人の息子がいるように。また、二人の母がいるように。
塔の上に出ると、夜風が酔い火照った体に心地良い。王子は、目を瞑り耳を澄ましてみた。幼いころのように。

大気を微かに震わせて、美しい音色が聞こえた。聞こえるはずのない、その音色。十年前に葬り去られ忘れられたはずの…
「聞こえる…聞こえるではないか。なあ、」
王子は隣の侍従の方を見て、出かかった言葉を飲み込んだ。侍従の目から、大粒の涙が、零れ落ちていた。その黒く美しい瞳は、まっすぐに東の山の方を見て。次の瞬間、侍従はその場でがくりと膝を折った。両手で顔を覆い、肩を震わせた。王子は、咄嗟に自分も膝をつき、侍従の背に自分の腕を回し、震える肩を支えた。
「…どうした。気分でも悪いか?」
侍従は首を横に振って、顔を上げた。月明かりに、涙の筋が露わになる。
「十年前のあの日も、そう仰いましたね。」
十年前・・・王子が五歳、侍従は十五歳。侍従が成人したころだ。その頃何かあったろうか、と王子は思い返した。
「・・・そなたの初陣、か?」
侍従は頷いた。

回想二 初陣の若武者


 辺りは血の海であった。王が剣を高く差し上げ、高く笑った傍らで、一人の若者が地面に膝をついていた。手には血濡れた剣を持ち、自らもまた血にまみれ、がたがたと震えていた。血の海の中、若者は激しく慟哭し、嘔吐した。そしてそのまま、意識は真っ暗な闇の中へ落ちていった。
誰一人気付かなかった。震えながら、悲しそうに、辛そうに、一対の黒い瞳が若者を見つめていたのを。

十年前のあの日、五歳だった王子は、乳母に付き添われて、王が率いる「討伐隊」を見送った。そこに、これが初陣となる侍従も従っていた。
 夜も更けた頃、討伐隊は帰ってきた。血みどろになって。にわかに城内は騒然となった。王子は侍従を探した。彼は気を失っていた。乳母が駆け寄った。王子も駆け寄ろうとしたが、誰かにつかまって自室に放り込まれた。
 明け方、王子は自室を抜け出した。侍従が心配だった。忍び足で、怪我人たちが寝かされている広間へ向かった。王子は侍従のもとへ忍び寄った。王子にとって、兄のような存在である侍従のもとへ。彼は目を覚ましていた。横で乳母が眠っていた。王子は、侍従の枕元にぺたり、と座った。そして小さな声で、侍従の名を呼んだ。侍従の目が、王子の方を向いた。
「王子様…」
 王子の顔を見た途端、侍従の目から大粒の涙が溢れだした。王子は慌てた。
「どうした?気分が悪いのか?」
 侍従は何も言わなかった。けれどその顔がとても悲しそうで、苦しそうで、王子まで泣き出してしまった。幼い王子は、声をあげて泣きじゃくった。その声に、多くの者が目を覚ました。慌てた乳母が、王子を膝へ抱き上げて、その背をさすった。
「大丈夫ですよ。王子様。だあれも、死ななかったんですよ。大丈夫。大丈夫。」
王子が疲れて眠ってしまうまで、広間の者たちは王子を見つめていた。見つめる者たちの分まで、その小さな子どもは泣いたのだった。





第四節 音色


「覚えておいででしたか。」
あれから十年が経った東の塔の上で、侍従と二人、王子は音色を聞いていた。
「勿論だ。」
「しかし、あの日以来、この音色は聞こえなくなったはずでした。」
「ああ、そうか。あれ以来か。何度ここへ来ても、この音色は聞こえなんだ。」
「でも今は…聞こえます。昔のように、美しく…」
 月に照らされた侍従の頬を、涙はとめどなく流れた。王子は、思わず侍従を抱きしめた。いったいどれだけの思いを、一人抱えてきたのだろう。いつも文句一つ、泣き言一つ言わないこの男が、今は子どものように泣き止まぬ。王子は初めて、侍従の本当の思いに触れた気がした。今までも、侍従のいない日々など想像もつかぬほど、誰より頼りにし、誰より近くにいたはずなのに、自分は何も知らなかった。

 その夜の音色は、本当に美しかった。そして大気を震わせていたのは、その音色だけではなかった。その音色に、王子と、侍従の心が、強く共鳴していた。なにゆえか。それを知るためにはまず「あの日」、王子の父たる王が、一体何を成したのか、我々は知る必要がある。





回想三 鬼の子


 たった五歳(いつつ)の子どもの目に、殺戮は鮮明に焼きつけられた。
 父の身体を貫き
 母の身体を切り裂き
 兄姉(きょうだい)の首を刎ね
 それでもなお、刃は血を欲して暴れ回った。子どもだけが一人、草陰で震えていた。いつ見つかってしまうかと恐怖に怯えた。どうせ見つかってしまうなら、今すぐに家族のもとへ駆け寄りたかった。しかし、父は自分を選んで、音色を託していったのだった。祖先の霊は、音色を託された子どもを、凶刃の主に見つけさせはしなかった。
 子どもの無垢な魂は、黒く大きな瞳を通して、ただ事実のすべてを鮮明に記憶した。
 あれは、己こそが神の子と名乗る王。高く剣を振りかざしたその姿の、なんと恐ろしい。その背に纏いし霊の、なんとおぞましい。…あれはこの国の真の王ではないのに。
 一人の若武者は気を失い、血の海に倒れこむ。あれは「絆」の少年。その身体には、二つの流れが共に生きる。土地の者と、海の向こうから来た者、二つの民族を繋ぐ者だ。父は、彼を選んで止めを刺させた。偽りの王の手にはかかるまいと。若者を守る霊とならん、と。父のこの世の苦しみを断つことが、弱冠十五の彼に取って、どれほど重かったか。

 今、十五になった「鬼の子」には、それが痛いほどわかった。

次回 第二章

 王子と侍従は、「成人の儀」のため、東の山に向かいます。そこで彼らを待つものは。「鬼の子」とはいったい誰なのか。作者は今度こそ小説を完成させられるのか…!(笑)たぶん4~5章になる予定ですが、お付き合いいただければ幸いです。ご感想などもお待ちしております!ちなみに見出しの画像は、昔書いた「王子」です。

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