「僕たちはカラーボックス・ベイビーズ」とは?―玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ考察―
先日とても良い本を読みました。それが瀬戸夏子さんの「はつなつみずうみ分光器 after 2000 現代短歌クロニクル」。歌集の紹介本(ブックガイド)なんですけど文章がおもしろいですし短歌界の歴史みたいなものも分かってとても読み応えがありました。読んでみたいなって思う歌集がたくさんありました。すこしずつ読んでいけたらいいな。
この本の中に「玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ/木下龍也・岡野大嗣」も紹介されていて、魅力がそれはもうしっかり伝わる文章で読んでてうれしくなったのですが、ひとつ気になるところがありまして……。「はつなつみずうみ分光器」は紹介する歌集のタイトルのあとにその歌集の中の印象的な一文が抜き出されて書かれているのですね。それで「玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ」では印象的な一文として「僕たちはカラーボックス・ベイビーズ」が書かれているんです。
この短歌からですね。この歌、正直むずかしくてよく分かってなくて玄関~を読み解くうえでもスルーしちゃってた歌で……(すみません……)。この「僕たちはカラーボックス・ベイビーズ」が玄関~で本当に重要な部分なのかどうかは分かりませんが、少なくとも瀬戸夏子さんは重要だと思って抜き出されてるのだと思いますし、ちょっと意味を考えてみようかなと思いました。
「カラーボックス・ベイビーズ」、まず思い浮かぶのは「コインロッカー・ベイビーズ/村上龍」ですね。「カラーボックス・ベイビーズ」も響きは「コインロッカー・ベイビーズ」から来てると思います。意味はどうでしょうか?私が「コインロッカー・ベイビーズ」を読んでいないのでアレですが……。ちょっとググりますね……。
……ふむ、なるほど……(ググった)。概要はなんとなく理解しました。なるほどなるほど。ざっくり言うと、
1980年発刊当時、世間を騒がせていたコインロッカー幼児置き去り事件を題材にしている
生後間もなくコインロッカーに捨てられ、その後蘇生した二人の少年による都市への復讐の物語
という感じでしょうか。玄関~との共通点……、そうですね、まずこの「僕たちはカラーボックス・ベイビーズ」の歌は男子高校生O(岡野大嗣さんの方の男子高校生)の歌です。Oは別の記事(現時点での「玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ」の解釈)にも書きましたけど家庭環境が良くないんですよね。親からの正常な愛情を受けていない感じ。Oは親へ複雑な感情を持っているところが、「コインロッカー・ベイビーズ」と近いと言えば近いでしょうか。
「カラーボックス」という言葉を選んだ理由についても考えてみたいと思います。……カラーボックスってあの家具のカラーボックスよね……?他にカラーボックスってないもんね……?まずカラーボックスをググってみる。「カラーボックスとは」でググったらまさに、というページが見つかった。それがこちら→カラーボックスとは
TABROOMというリクルートが運営する国内最大級の家具・インテリアのポータルサイトの記事です。こちらの記事を見ながら考えていきます。
カラーボックスとは
容易に組み立る事が可能な収納家具
量販店で安価に、大量に売られている
収納スペースをより効率的に確保できる家具
様々な種類があり、色も豊富
よく置かれる場所は決まっていない
なるほど……。ちょっと見えてきましたね。「僕たち」はカラーボックスのような特徴を持った、つまり、「便利」で「替えがきく」存在というようなことが言いたいのではないでしょうか。安価で大量に売られている便利なもの、僕たちもそのうちの一つでしかない。自分自身に価値を見いだせていないようなニュアンスを感じます。
「カラーボックス・ベイビーズ」が「コインロッカー・ベイビーズ」と同じ名前のつけ方だとしたら「カラーボックス」も「場所」ということになるのですが、場所というよりはそのものって感じがしますね。「僕たちは」ですし。僕たちはカラーボックスそのもの(のようだ)というイメージ。
つまり、「僕たち」は、なんとなく親への不信感や愛情の飢えがあり、なんとなく何かに復讐したいような気持ちを持っている。すごく強い気持ちではなくて、なんとなく、くらいな気がする。それは自分自身に価値を見いだせていなくていわゆるアイデンティティの確立ができていないから、という解釈をしたいと思います。
この解釈だと「僕たちはカラーボックス・ベイビーズ」というのは仄暗さも含めた思春期らしさが存分に出てるキラーフレーズに見えてきませんでしょうか。「玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ」の印象的な一文として抜き出されたのも納得です。
さて、一段落といきたいところですがもう一歩踏み込みたいと思います。「僕たち」とは?この歌は男子高校生Oの歌です。Oは、夏の七日間に何が起こったのか? ―「玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ」感想、考察―にも書いたのですが、「きみ」が出てくる歌は1首で「僕ら」「僕たち」が出てくる歌は4首と少ないです。Kは二人称が出てくる歌が16首とかあったので……。Oの歌って自分のことや自分の家族のことが多くて「きみ」や「僕たち」が少ないだけに出てくるときは大事な意味があるのでは?と思ってしまいますね。カラーボックス・ベイビーズの歌は7/4(Sun)の歌でこの日はOの歌だけが並びます。Oは父への複雑な思いがあったあとに自室で一人で、というような順番です。「僕たち」。広くとってもいいと思います、学校のみんなを含めた僕たちとか、もっと広く、僕たち人間はみんな、みたいなニュアンスとか。でも「カラーボックス・ベイビーズ」なんですよ。「コインロッカー・ベイビーズ」は二人の少年の話なんですよ。やっぱりここは「僕たち」はOとKの二人を指していると考えたい。
だとすると、OからKへの仲間意識とか同類って感じとかなんかけっこう見えてきませんか?OからKへの想いですよ?あまりにも見えなさすぎてOってKのことどう思ってるの……?と頭抱えたりしましたけどそのOが仲間意識を持ってたら……?それは……とてもいいですね……(いいですね……)。
記事を書き始める前と見方が変わりました。考えてみて良かったなぁ。おもしろい……(解釈が合ってるかどうかはわからないですが私は私が納得できるようにこれからも解釈していきたい……)。
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