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お弁当

高校は進学校だったため、朝と夕方の2回、課外授業があった。学校まではバスで1時間。朝課外は8時開始で、毎朝6時20分頃の始発バスに乗る。夏はすでに明るいからいいものの、寒い季節にはまだ真っ暗ななか、素足が見えるスカートをはいた姿でバス停まで歩くのも大変だった。

とはいえ、もっと大変だったのは母だった。毎朝5時前には起きてお弁当を用意してくれた。お昼には売店でパンの販売があったけれど、ほとんどの生徒はお弁当持参で通学していた。

私が5時半頃に起きて台所に行くと、すでに台所には明かりが灯り、お弁当をつくる母の後ろ姿があった。我が家は父、母、弟もお弁当生活だったので、テーブルの上には大小さまざまなお弁当箱が並んでいた。父は保温ができるジャータイプのお弁当箱で、汁物を入れられる蓋つきの容器には、毎日味噌汁を入れる。

私が使っていたお弁当箱はアルミの楕円形のもの。ずっとバスケットボール部だった私は食欲も旺盛で、たっぷりと深みのあるお弁当箱に、ごはんを2/3ほど詰めてもらっていた。そのお弁当箱に仕切りはなかったので、母はよくアルミホイルや緑色のバランでごはんとおかずを分けていた。

母はまず、炊き立てのごはんをお弁当箱に詰め、しっかりと冷ます。温かいまま蓋をしてしまうと水分がたまり、傷んでしまうから。その間におかずを拵える。お弁当には必ず、甘めの卵焼きが入っていた。これは私のリクエスト。ほかには、ちくわの穴に大葉で巻いたきゅうりを詰めたもの、ウィンナー、ポテトサラダ、ピーマンのおかか炒め、冷凍食品のナポリタンなどが定番だった。

前日の夜がハンバーグのときには、一緒にお弁当用のミニハンバーグを用意してくれた。お弁当箱の中で、白いごはんにハンバーグのソースがぺったりとついた箇所はおいしく、そのソースだけでごはんがモリモリと食べられた。お弁当にはたいてい個包装の小さいふりかけの袋が添えられていて、のりたまや大人のふりかけなど、いろいろな味を日替わりで楽しんだ。

食べ慣れたおかずばかりだったけれど、見た目にも食欲をそそるお弁当が毎日楽しみだった。毎日、毎日、家族のために早起きしてお弁当をつくる母をすごいなと思っていた。

一方、私はお弁当をつくるのが苦手だ。大学生、社会人とお弁当をつくる機会は多かったが、母のようなおかずの種類が多いお弁当はたまにしかつくらなかった。一番よくつくったのが「ひじきご飯オムライス弁当」。ケチャップライスの代わりにひじきご飯をお弁当箱に敷き詰め、その上に大きなオムレツを乗せただけのもの。そして、隅に野菜の小さなおかずを一つだけ入れる。

やっぱりおかずの種類が多いお弁当のほうが楽しみがある。どれから食べよう、と箸をちょっと迷わせ、結局いつも卵焼きから口に入れる。大好きな卵焼きを食べ終えてしまうと、ちょっとさびしくなった。

なんの折だったか忘れてしまったけれど、3年ほど前、実家で母がお弁当を用意してくれたことがあった。包んであった大判のハンカチを広げると、そこには懐かしいあのアルミのお弁当箱。中身も高校の頃とほとんど同じ。卵焼きにブリの照り焼き、ちくわきゅうり、ポテトサラダ、梅干し。たしか車の中で食べたのだけど、それがとてもおいしく、こんなにおいしいお弁当を毎日つくってもらっていたことが、とても幸せなことだと思った。

食べる頃にはおかずやごはんは冷えてしまうけれど、手作りのお弁当は心温まるものだ。いまは自宅で仕事をするからお弁当を用意する必要はないが、たまにはあえて、自分のためにお弁当をつくってみるのもよいかもしれない。

高校の頃よりはずいぶん小ぶりの曲げわっぱのお弁当箱が、台所で出番を待っている。