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母のこと

私の母は、今年68歳になる。22歳で結婚してすぐに私を産み、その翌年には弟を出産した。職人の夫と子ども2人と一緒に、小さな借家で慎ましやかに暮らしていた。

母は結婚するまで実家を出たことがなく、自動車教習所の事務の仕事にも実家からバスで通っていたという。特にこれといった苦労もしたことがなく、「普通」に生きてきたそうだ。

そんな母は、結婚して縁づいた家で親戚関係に悩むことになった。私の祖父はとても気象が荒い人で、気の弱い父はなにかにつけ怒鳴られていた(それなりに理由はあったのだけど)。子どもの前で怒られる父は、とても肩身が狭そうだった。

借金をつくる父を支えながら、母の鬱憤は溜まっていったのだろう。私が大学を卒業した頃から、体調を崩すようになった。いわゆる「鬱」だった。母は目が覚めると世界が真っ暗になるといい、この世から消えてしまいたくなるという。泣きながら電話をしてきては、父を激しく責め立てた。

母は数件の病院で診てもらったものの、どこもしっくりいかないようだった。「先生がパソコンの画面を見てばっかりで、私の顔を全然見らんとよ」と寂しそうに話した。鬱症状が出たときには、とにかく寄り添ってもらいたいのだろう。

原因が自分にあるとわかっていた父は、母の不調を受け止めることができず、母の苛立ちはさらに募っていった。そんななか、父が突然亡くなったこともあり、母の行き場のない思いは増幅し、鬱症状もひどくなっていった。

10年ほど前、私が体調不良で数年実家に戻り、母と暮らすようになってから、鬱症状はピタリとなくなった。「あんなに辛かったのが嘘のよう。朝、普通に起きられるのが、こがん幸せなんて」と話していた。

しかし、先月、10年ぶりに母の症状が再び出るようになった。今回年末に帰省した折にも、朝4時ごろ私の部屋に来て、「なんでこがん苦しかと!」と泣き叫び、自分の腕や膝を激しく叩く。そうなると、周りはどうすることもできない。話を聞くことさえ、うまくできない。

これが赤の他人だったらまだ楽だったろうと思う。いつ終わるかもわからない母の叫びを、黙ってずっと聞いていられるほど私の器も大きくない。見かねて「ずっとそんなこと言ってても仕方ないから、少しは気持ちを切り替えていこうよ」なんて言おうものなら、倍返しになって罵倒される。

しまいには「〇〇さんところの娘さんは親と一緒に暮らしているから羨ましい」「あんたは自分のことだけ考えていられるからよかよ」と、私に矛先が向いてくる。母に寄り添ってあげたいという気持ちはあるものの、こうなってくるとお手上げだ。家族だからこそ向き合えない現実もある。

「あぁ、早く自分の家に帰りたい」。そう思ってしまう自分が冷たい人間のようで悲しくなる。福祉関係の仕事についている友人に相談すると、「残酷なようだけど、家族だからこそ真正面から向き合わないほうがいい。下手すれば共倒れしてしまうから」と言われた。その言葉にどれほど救われたことか。

母は体調が良くなると、自分がどれほど人を傷つける言葉を発したのかを覚えていないという。ケロッとして趣味の手芸に時間を費やしては、出来上がった作品を写真に撮り「完成!」という文字と共に送ってくる。

なんだか私一人だけが損な役回りを引き受けてしまったように思い、母に対する苛立ちがつのって仕方ない。もちろん、母が日々を楽しく過ごせることが一番だけれど。子どもたちにもそれぞれの仕事や生活がある。いまさら実家に戻ることなんて考えられない。

とても冷たく聞こえるかもしれないけれど、母には一人でも気丈に生きてもらいたいと思う。もちろん、なにかあればいつでも電話で話したり、数日実家に戻ったりはしている。母の近くには弟夫婦が住んでいるから安心、というのもある。(実際、弟は帰り道なので、ほぼ毎日実家に顔を出している)

明日、母が私の家へやってくる。気晴らしにと、2か月に1度の頻度でやってくる。体調も良く、電話口の声から楽しみにしていることがうかがえる。ただ、年末の出来事もあり、手放しで楽しみに思えない自分がいる。断ろうか、と考えている自分がいる。