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ご恩報じについて

お道で「ご恩報じ」について説かれることが少なからずあると思う。

たすけていただいたご恩に報いる、という意味合いのことが多い。

確かに、信仰においてご恩を感じるというのは、その第一歩であるようにも思う。

が、しかし、である。

なぜご恩報じを説くのであろう。

そもそも、この道の信仰は、たすけていただいたら(恩に報いるのではなく)他人をたすけなさいと教えられるのであるから、むしろフォーカスは人だすけに向かうその方向にあるべきなのではないだろうか。

私どもの教会の火災に際しては、本当に多くの方が助けてくださった。そんな状況のなか、私自身、何かご恩をお返ししなければならないと考えることも多くなった。「施されたら施し返す、恩返しです」というドラマのセリフが脳裏をよぎる。

この時、私は、自分がされたように同じことを相手にもしたいという気持ちが強くなっているのだ。

私自身の良さや徳分などとは無関係に、してもらったことを相手にも同じように返すことにフォーカスがある。つまり、純粋に相手のためというよりは、自己満足の手段になってしまうのではないか。

そんな世の中を神さまは本当に望んでおられるのだろうか。

自分自身の良さや徳分を活かして、他人の役に立つ。助け合いというのは、そういった心をもった人々の間で自然と成り立つものなのではないだろうか。

しからば、自分自身の良さや徳分をしっかりと伸ばし、それを必要とする人に届ける、そこにフォーカスすべきなのではないか。おたすけとは自己満足のためにあるのではない。自分を活かすことで、他人が助かり、他人を活かすことで、自分も助かる。

そんな世の中を神さまは望んでおられるのだ、、、と思う。

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