16才とまの話6。精神神経科

六日目

 今朝は、目が覚めてすぐに恒例の動悸が始まった。それに胸が激しく焼けるのを感じた。朝食はほんの少し、米一口だけ食べた。きみが想像するように、体重はかなり落ちたね。さっきはかった時点では、三十九・四キロ。お祖母さんなんて、僕を見て開口一番、「骸骨みたいよ、あなた」だからな。
 頓服薬をもらって動悸がまだましになった頃、廊下のつきあたりの大きな窓がぼんやり白く濁っていたから、そばへ行って外を見てみた。十一階の高さからね。いつの日かきらめいて揺れていた不忍池も、今日は紺の混じった鼠色で気味悪く静止しているようだった。累積して厚ぼったくなった雲がスカイツリーの上半身を覆って、町のビルや家々やなんかがその周囲に重々しく横たわっていたよ。その時、窓に小雨の打ちつけているのにようやく気づいた。
 僕は去年の梅雨、最も鬱病が重かった時期を思い出した。そう、去年の夏に退学した美術の学校だよ。僕に美術は向いていないのかもね、ははは!‥‥‥そこは笑ってくれよ。まあ無理もないか。ひどかったからな、あの時は。皆に当たり散らしたりして悪かったよ。とにかく、課題のためにまんじりともせずに朝を迎え、朝食すら食べずに雨の中を、やけに傘の重みを感じながらふらふらと駅まで歩いた日々を思い出したんだな。「ふらふらと」とは言っても体だけで、頭は自分に不相応な薬のせいで覚醒して、緊張状態にあった。じめじめして沈鬱な電車の中で一時間揺られたその最中も、単語帳を開いて我ながら熱心に勉強をしていたよ。そんで毎朝満員電車に乗るという苦痛が吐き気となり、ついに僕は電車から降りた。仕方がなかったんだ。途中でそうしなければ、あの電車は死という終点に着いていたんだろう。
 ともかく、終ったことだ。僕は現実に戻って、このせっかちに鼓動する憎たらしい心臓を鎮めるためにナースステーションへ向かった。実はそう決心するまでには幾分か葛藤があったんだ。というのも、僕は自分の障害を憎んでいるようで、内心必要としているからだ。少なくとも、この病棟ではそうだ。ここでは僕は、「社交不安障害を持ったとま」なのであって、この障害を改善するということは、僕の存在を否定することと同じなんだ。よって僕は、動悸のする時にある小さな満足感すら覚えてしまうんだ。逆に何一つ症状が見られぬ時、社交不安障害のそれとは明らかに異なる種の不安がよぎる。医師が僕の欠陥を改善するということに対して前向きな態度を示す場合もそうだ。だから医師が希望へ向かっているとしたら、僕は絶望へ向かうどころか、それを通り越して障害に満足感さえ求めており、両者ははなから別々の方向を向いて、磁石のエス極とエス極のように、話せば話すほど間の距離を長くしているんだ。
 ああでも心配しないでよ。僕はまだ子供らしい希望を失ったわけじゃないんだから。いつでも面長先生の向かう方へ振り向いて、ジレンマから抜け出すことができるさ。だから深刻に捉えないでよね。というかそうやって捉えるわけないからこうして毎晩きみだけに電話してるんだけど。
 今、外では雪がしんしんと降っている。え、きみんとこはまだ?ところで、もともと音のしない雪に敢えて「しんしん」なんていう表現を使うのはなんだか奇妙だね。でも、まさに「しんしん」と、なんだよ。でも僕は雪の降る町の中にはいないような気がする。それはどういうことかっていうと、夕方お祖母さんと世間話をしていたこととかコーヒーを大量に飲んで酔っ払ったみたいに興奮していることのせいで、僕のいつもの厭世的な気分に浸りきっていないということだ。ガラス越しにほの白い町が見えている。スノードームを振って眺めているみたいだ。ただただ美しいよ。僕は確かにこう望んでる……あの雪の一片として静かに落ちていきたいって。

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