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その人の”今”と出逢う~しなやかに生きるひと②~

こんにちは。明日美です。

先日、漫画『BLUE GIANT EXPLORER』の9巻を読みまして、世界一のジャズプレーヤ―を目指す主人公・大(だい)の物語にまたもや、胸を熱くして参りました。
人生で、時折、いえ度々出会う、作者、作家のみなさんの愛に溢れた物語の一コマ。そのたった一コマに出逢う度、「あぁ、生まれてきてよかった。なんて素敵なんだろう」そんなことを思います。
心打つ物語は、作者の方を通して届く愛そのものだと思っているので、本当に幸せな気持ちになります。

さてさて、前回に続きまして、『しなやかに生きるひと』と題して、これまで出逢ったしなやかに生きる人たちのことについて書いてみたいと思います。

私が初めてそのしなやかさに出逢ったのは、茶の湯の師匠。しなやかな生き様から私が何を感じて、何を学んだのか。そして何を実践してきたか。
どんな展開になるのかわかりませんが、安心して、自分の人生を歩んでいきたかった過去の自分へのメッセージと、未来への備忘録になるのかもしれません。

それでは、はじまりはじまり。

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私の茶の湯の師匠は、お稽古の最中に叱ったり、咎めたりすることがない。そのお稽古生の点前の進度や深度に合わせて、その時に必要な指導や言葉を発してくださる。まるで、その人の内側に、ポチャンと小石を投げ込んで、美しい波紋を身体全体に響き渡らせるのかのように。

その波紋は、私が私として、その時、気づくべき事に出逢わせてくれる。何かに気づいては、「あなたが自分で進んでいるのよ」と、決してその人がしたことを奪わない。私のおかげなんて響きは一切出てこない。その自分で進んだ道が自分でわかるように、いつも鏡のように、映し返してくれている。

お茶を始めた当初の私は、自信が無くて、いつも緊張していて、放っておくと二歩も三歩も下がっていくような人間だった。自分を責めたり、卑下したりすることは日常茶飯事過ぎて、それが自然体なのではと思い込むくらいのものだった。
そんな私が、ただただお点前をある程度自然にできるようになるまでに、紆余曲折あったことは言うまでもない。30代半ばで出逢った師匠に心奪われて、師匠から響いてくる「何か」を知りたくて、その道を進み始めた。

始めて数年の間、お稽古は、その時の自分の調子に随分と左右された。嫌なことがあったり、落ち込むことがあったり、身体が疲れていたりすると、お点前までガタガタになってしまう。
そんな私にも、先生はいつも通りの眼差しを向けてくださっていた。。。と気づいたのは、お稽古に通って3年以上経ってからの話だ。

先生は、その日の私と出逢ってくれる。前は良かったとか、全然よくならないとか、過去の私と比べるようなことはしない。その日の私をしっかりと観てくれていた。

今日は少しお疲れなのね。
今日は少し背中が辛そうね。
今日はなんだか晴れ晴れとしているわね。

前回できたことができなくなっていようと、忘れてしまっていようと、お点前が流れて行ってしまっても、決して、その時の私を注意したり、咎めたりするようなことはなかった。
集中力がなく、疲れたまま、お稽古をする。落ち込んだまま、お稽古をする。緊張したまま、お稽古をする。気がつくと、どんな自分のままでも、背伸びもせず、卑下もせず、その時の最善を尽くせばいいのだ、思えるようになった。

その状態で、その身体で、目の前のことに真摯に取り組めばいい。

師匠にそうしてもらってきた中で、自分自身も生活の中で、相手の人の「今」に出逢えるようになってきた。幼い頃にあった親との解消できていないわだかまりを感じていても、”今”の親を観るようになった。知り合いや友達も然り。

そうすると、その人が今、何に心を惹かれ、何に幸せを感じ、どうやって生きていこうとしているのかという輪郭が見えてくるようになった。昔はこんなこと言っていた、あんなこと言われたとか「わだかまり」というサングラスを外して、今の自分の眼で、その人と交流することができるようになった。

親だから、友達だからといった「サングラス」も外して、その人の”今”を知りたいと思うようになった。そうしたら、どんな時も懸命に生きてきたその人たちがそこにいるだけだと分かった。自分もそうだった。

そうしていくうちに、その時々の、それぞれの交わりが、ポジティブと感じるものであれ、ネガティブと感じるものであれ、みな大切なものだったと思うようになった。(許せないものはそのままにしておくこともできるよになったし、その痛みに振り回されることも格段に減った。癒せるタイミングや、許せるタイミングは訪れるかもしれないし、訪れないかもしれない。それでもいいと思えるようになった)

最近では、「一期一会」という言葉も、今というこの瞬間にちゃんとその人(自分自身も含めて)と出会うことを大切にすることを教えてくれているように思う。

しなやかに生きるひとは、”今”にいた。
その眼差しは、いつでも穏やかで、愛に満ちている。
そんな人の眼差しを身に受けながら、どんなであろうと”今”の自分を受け止める正直さや胆力みたいなものを安心して育てていけたんだろうと思う。

だからこそ、そんな眼差しを育み続ける自分でありたい。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
素敵な1日を🌈🌈

明日美


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