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猫の脱走から思う、愛おしさと不安について


西会津に暮らし始めてから猫を飼い始めた。
兄妹猫のキジトラ2匹である。
その猫たちが脱走して2日間帰ってこなかった。


2匹はもともと野良猫で、家の周りをうろうろしていた。痩せててかわいそうだったのもあって、ごはんをあげてみたら居ついたのでそのまま保護した。

雪国暮らしと猫の相性はなかなかいいと思う。
特に冬は寒くて曇りがちで家が薄暗く、気分もどんよりしやすいので、家に猫がいるだけで癒しになる。

うちの猫は、寝るとき寒いと布団の中に入ってくるので、ねこ湯たんぽとしても重宝している。
一緒に寝ると、自由に寝返りがうてず、ちょっと体が痛くなるのが難点だが、いないとすごく寒いので、背に腹はかえられない。

その猫たちが寒い寒い雪の日、脱走したのだ。

もともと野良猫なので、外には慣れているし、出て行ってもそのうち帰ってはくるのだが、病気や事故が心配なので基本室内で飼っている。けれどやっぱり外の世界は恋しいみたいで、ときおり遊びにでたがる。玄関や窓が開いているのを見つけては脱走してしまう。

氷点下の気温の中、2日間帰ってこなかった。

2匹が脱走すると近くにいるほかの野良猫も集まってくる。家の周りでいろんな猫がにゃーにゃーうるさく鳴いていた。きっと帰ってくると思いつつ、もしかしたら凍死しちゃうかも、他の猫と喧嘩してるかも、事故に遭ってたらどうしよう、と不安が尽きなかった。

3日目の朝にようやく帰ってきた。

帰ってくるのを待つ間、ものっすごく疲れた。
親が子を心配する気持ちもこんな感じなのかな。

前に読んだ若松英輔さんの「美しいとき」という詩集のなかに、

悲しみとは何かを愛した証だからである
若松英輔「美しいとき」

という一文があった。
愛しているからこそ、悲しみが生まれる。

それ以来、悲しみや不安や恐れという感情は、愛や大切に思う気持ちがあるからこそ、生まれるものなのだと思うようになった。

だとすると、自分にとって大切な人やものが増えれば増えるほど悲しみや不安や恐れも増えていくということ。

愛する人や大切な人や物が増えていくことは、
ある意味とても怖いことであると思った。

失ったときの悲しみ、大切な人に何かあった時の不安、どうにもできないし、考えても仕方ないので、あまり過度に考えないほうがいいのはわかっている。
わかっていても不安はふとしたときに襲ってくる。

心配性なわたしにとってはめちゃめちゃ辛いことだ。
不安すぎて病気になりそう。
だったら愛する人も大切な人も少ない方がいいとさえ思ってしまう。でもそれはとてもさみしい。

私は今、猫と暮らすようになって、
猫たちが大切な存在になったことで、
喜びや愛おしさやうれしさも増えたけど、
その分、不安になる要素も増えたのであった。

心の平安を保ちながら穏やかに暮らすには、
猫たちの脱走阻止と、自分の不安な心のコントロールが必要みたい。


若松さんの詩集はこちら。
とってもおすすめ。

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