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【エッセイ】五感乗っ取られのススメ

確かにここにいるのに、目の前にあるはずの時間や空間から、突如、違う時間・空間に飛ばされ、視覚・聴覚などの五感すら奪われたような感覚を味わうほど、何かに集中したり、のめり込んだり、その世界観に浸ったりしたことはあるだろうか?

先日、特別講師による読み聞かせの授業を参観してきた。
その特別講師は、声の高低・抑揚・間の取り方を駆使し、老若男女の役を演じ分けることはもちろん、帽子や人形などの小道具をはじめ、雰囲気にピッタリなBGMを用い、打ち合わせなく聴客も巻きこみつつ、お芝居さながらのライブ感満載の読み聞かせ繰り広げた。

子供が幼い頃には、図書館の職員さんが行う読み聞かせに何度も足を運んだことがあり、その方達の読み聞かせも、その世界に引き込まれる感覚があった。大人になって久しく味わっていなかった、ワクワクドキドキを味わい、自分も子供にこうやって読んでやれたらなぁと思ったものだ。

しかし、今回は私の今まで見てきたどの読み聞かせとも全く違い、空間を大きく使い、目の前で繰り広げられていく物語にみるみるうちに引き込まれていった。
映画館の大音量や暗闇で視覚と聴覚を奪われるような、そんな体験を読み聞かせというものでは初めて感じた。
その場にいた子供達はもちろん、大盛り上がり。
大人の私もまたまた心の底から楽しませてもらったことは言うまでもない。

今回の絵本の読み聞かせに限らず、一人の読書時間や音楽を聴いている時、映画を観ている時などものめり込む具合によっては、似た感覚になるのではないだろうか。

今や世界に誇る日本アニメ文化の一つであるコスプレも、自分ではない誰かになれる感覚という意味では通ずるものがあるかもしれない。
もう一人の自分として、アバターやペンネームを用いて行うゲームや創作活動もそうかもしれない。

自分の中に入ってきて、五感をも乗っ取られる感覚…または、自らもう一人の何かに入り込んで五感を預ける感覚…。
言葉で聞くと気味が悪いような、自由が効かず拘束されるような状態をイメージするかもしれないが、様々な面でストレスフルなこの時代、負の感情を昇華したり、自分の中に溜まった滞りをリセットする為に、意図的に五感を手放すような映画や本などの趣味の世界へのめり込むのも良い方法かもしれない。

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