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【旅行】2017年4月 インド旅行記 2日目 後編【海外】

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【旅行】2017年4月 インド旅行記 2日目 後編【海外】

紅き城塞”ラール・キラー”

デリーのレッドフォート(正式名称:ラール・キラー)は、ムガル帝国時代の巨大な城塞で、第5皇帝シャー・ジャハーンが、このデリーに遷都した際に居城として築きました。

毎年8月15日のインド独立記念日には、ここで首相演説が行われます。

また、レッドフォート(赤い城壁)の名の通り、城壁には赤砂岩が使われております。

堅牢たる城壁

しかしこの城塞は、19世紀のインド大反乱の際には、イギリスによって軍の駐屯地として接収され、内部に兵舎が建設されるなどして城内は大きく作り替えられてしまいました。

独立後はインド軍の軍施設として使用され、現在でも一部に軍施設が入っております。

デリーの日常光景

さて、レッドフォートの次は、クトゥブ・ミナールへ向けて出発。

デリーの街は昼になるにつれて、賑わいを見せていきました。

立派なインド門

こちらの凱旋門は「インド門」と呼ばれる建造物です。

今からちょうど100年前に、第一次世界大戦で命を落としたイギリス領インド陸軍の兵士達の慰霊碑として建てられた物で、その兵士達の名前が刻まれております(およそ7万人)。

何ができるかな?

何らかの建設現場。

商業施設でしょうか?それとも集合住宅でしょうか?
あれから5年経った今ではもう既に完成しているかと思われますが…。

行列のできるガソリンスタンド

インドは人口が多い分、車も多く、それに伴ってガソリンスタンドも混雑。

その光景はまるで、行列のできる料理店のよう。

スカイツリー?いいえ、クトゥブ・ミナールです。

さて、気が付くとクトゥブ・ミナールに到着。
ここは今から800年以上前に建てられた、モスクの遺跡です。

ヒンドゥー様式とイスラム様式が融合したこのモスクは、もともとあったヒンドゥー教やジャイナ教の寺院を取り壊し、その石材を使って建てられた物で、建築に携わった職人はヒンドゥー教徒だったそう。

レリーフが施された柱

遺跡の柱をよく見ると、細かいレリーフが施されていて確かにヒンドゥー様式を感じさせます。

何より、柱の形がそれぞれ違うのが面白い。

細マッチョなリス

遺跡にはシマリスがいました。

この遺跡はリスの天敵が少ないのでしょうか?

青天を衝け

立派に聳え立つ、高さ72.5mの尖塔「クトゥブ・ミナール」。

元々は高さ100m程あったそうですが、過去に地震や落雷などで先端が崩れてしまいました。
ちなみに中には378段もの階段があり、昔は中に入れたそうです。

しかし今から40年前、修学旅行に来ていた学生達が塔の内部で、照明が突如消えた事でパニックになって折り重なって倒れて十数名の死者を出してしまった事故以降、立ち入り禁止となっております。

そう言えば、今年は韓国のソウルで似たような事故がありましたよね。

砂ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ

こちらは、アンティキティラ島の機械やネブラディスクなどと並んで、世界で最も有名なオーパーツの一つにも数えられている、デリーの鉄柱です。

5世紀に造られた物ですが、何と純度99.72%もの純鉄で作られています。

しかし、こんなにまで純度が非常に高い鉄を、今から1600年前(当時の日本は古墳時代の真っ只中)という大昔に、一体どのような高い技術で作られたのかは未だに不明です。

ちなみに柱には、サンスクリット語の碑文が刻まれております。

デリーの牛達

その後、レストランで昼食としてタンドリーチキン料理を食べたり、土産店で民芸品を見たりなどしました。

それからは、隣国パキスタンと国境を接するラジャスタン州の州都、ジャイプルへ向けて出発。その距離は何と260km以上もありました。

がんばれ

西へ、西へと向かって果てしなく長い道程を走っている中、田舎道で一頭だけで歩く牛を見かけました。

一体どこへ向かっているのでしょうか?

夕方のマーケット

途中、ちょっとしたトラブルに見舞われたりしましたが、それも乗り越えて無事にジャイプルに到着。

ちなみにこの日、宿泊したホテルは、クラークス・アメールというモダンな大型リゾートホテルでした。
そして夕食は何と、ホテルのビュッフェ。まさに長いバス移動を乗り越えたご褒美のようでした。


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