躊躇いなく好きと言えるほど1人の人間について知ったことがないのかもしれない。
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好きなものを好きと言えないというのをちょうど1年前くらいに書いてたけど、
たとえばみんなでご飯を食べに来たとして、そこで出てきた餃子がめちゃめちゃおいしくて「この餃子めっちゃおいしい!!」って言う。
そうすると、誰かが「〇〇ちゃん、餃子好きなの?」って聞く。
好きです、と答えられるだろうか。
確かに今ここで食べている餃子を私はおいしいと感じているけれど、今まで食べてきた餃子の中には「好き」の範疇に入らなかった者たちもいたはずだ。いや仮にこれまで食べてきた餃子が全て例外なくおいしかったとしても、私がこの短い人生の中で食べてきた餃子なんてこれまで世界中のあらゆる人間が(あるいは人間じゃなくても)生み出してきた餃子のほんの一部の一部。
そんな餃子の氷山の一角しか知らないような私が、餃子好きです。と言えるのだろうか。まだ知りもしないのに好き、嫌いなど判別できない。
私は、この場において「この、私が今食べた(及び私がこれまで食べてきた)餃子はおいしいので好きです」ということしかできない。
私、歌とかダンスとか習ってきたくせに、アイドルやらアーティストやら、歌手やらダンサーやら、一度もはまったことがない。
1人あげるなら、と言われても誰も思いつかない。
まあ、歌いたいから歌って踊りたいから踊ってるだけであって、すなわち私が興味あるのは歌うこととか踊ることであって歌手とかダンサーとかではないから特にもっと知りたいという興味もそんなにないんだけど、
別にだあれも知りません、見たこともないですん、っていうわけでもなくて、見ればうまいな〜とか、いいな〜とかはなるし、この人の曲いいのいっぱいあるな〜とか、この人の踊り方好きだな〜と思う時もいっぱいあるんだけど、「この人好き?」って聞かれると「わからん」となってしまう。
そもそもアイドルとかアーティストの多くは実際に会ったこともない、ちゃんと話したこともない赤の他人なのにどうして「好き!!好き好き好き!!!」ってなるんだろう。
なんでライブ行って押し合いへし合いしながら赤の他人にサイリウム振って涙を流せるんだろう。
私も誰かに夢中になって我を忘れたりしてみたい。
冷静になっちゃうんだな、基本的に。
爆音で踊っててもジェットコースター乗ってても酒に酔ってても理性が保たれちゃうんだよな。
クレイジーになってみたい。何か、誰かをなんかすっっごい好きになって理性ぶっ飛ばして生きたい。
さて。
これは余談に続く余談ですが、
留学に来てちょうど3ヶ月が経つ頃で、同時期に来た他国の留学生たちはほとんど3ヶ月でプログラムが終了するわけで。
今日はちょうど皆でパーティーをする日だったんだけど、お腹いっぱい食べてダンスレッスンを受けた私は見事にお腹を壊して、お家でパソコンをカタカタしてます。さみしいな、、
日本人もちょくちょく来てて友達になるんだけど、旅行とかですぐ帰っちゃって、あ〜この先会うことあるのかな〜って。
皆大体インスタで繋がるんだけど、SNSで繋がってるっていうのは、現代の利点であって、同時に、会えもしないし忘れさせてもくれないっていう欠点。
お腹壊してるくせに甘いものが食べたくなって、セブンに行ってみかんゼリーを買って、ついでにチョコとタコスも。
さすが日本でもアメリカでもコンビニはコンビニエンス。
そんでその帰りになんとなくこんなことを考えてて唐突に書いてしまいました。
どうでもいいけど、久しぶりにnote書いたら文章がちぎれちぎれ(?)できもちわるいな。今までのびろびろな文章もきもちよくはないけれど。
またお腹いっぱい。
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