見出し画像

トラウマを言葉にするということ

 ご無沙汰しております。まだ読んでくれている人はいるのかな?今日これから書くことは、私の心の底で眠っているトラウマの話です。

私が写真嫌いな理由

 私がまだ小学生3・4年生の頃の話です。夏だったと思うのですが、暑い日だったのでお風呂上りにそのまま服を着ずに少し涼んでいました。今から思えばちゃんと服を着なかった私も私ですね…。
 扇風機の前にいたら目の前でフラッシュが光りました。父が使い捨てカメラで私の裸を撮影していたのです。その瞬間は何が起きたのか分かりませんでした。ただ、次の瞬間とてつもない不快感が私を襲いました。
 私は父に撮るのを止めるように言いました。けれど父は笑いながらシャッターを押し続けていました。あまり記憶が定かではないのですが、最終的に泣き叫びながら写真を撮るのをやめてくれと訴える私の声を母が聞きつけ、父を止めてくれました。
 けれども、「そのカメラを現像に出されたら」それが頭から離れず私は父にカメラを廃棄してくれと頼みました。けれど父は「あと数枚で現像に出せるところだったんだから、なんでそんなもったいないことしなきゃいけない」と取り合ってくれませんでした。母が私の尋常でない様子に気がつき、私を違う部屋に移した後、父と話し合いをし、何とかカメラを廃棄することでまとまったようでした。

カメラを分解する父の姿

 ほぼ半狂乱の状態になっていた私に母が服を着せて落ち着かせたのち、父の様子を見ると私を撮影したカメラを分解していました。「こういう仕組みになっているんだなぁ」とカメラを分解していた父の姿が忘れられません。「どうしてあんなことをしておいてこの人は冷静なんだろう」
「悪いことをしたと思ってないのかな」
「服を着なかった私が悪いのかな。でも普通の親は子ども裸を撮影するものなのかな」

 父を見ながらそんなことを考えていました。

写真撮影とフラッシュバック

 子どもの頃の記憶はここで途切れていて、その後、この出来事が家で話題にのぼることはありませんでした。私には姉が2名いますが、おそらくこの出来事は知りません。誰にも話していないので。
 その後、中学・高校生と写真を撮影するときになると異常に緊張したり抵抗感が生まれていることに気づきました。大学時代は極力写真に写らないようしました。飲み会などでどうしても先輩に「写れ!」と言われたときは、おしぼりで顔を少し隠したりと、自分の一部を隠して「全て」が写らないように努めていました。大学生くらいになって、はじめて幼少期の出来事が影響しているのだと気付きました。カメラを向けられると父の姿が見えるようになったからです。一気に小さい頃に戻されて、ただただ嫌悪感が沸き上がるのでした。
 そんな私でも避けて通れなかったのが就職活動。履歴書に写真ってなんで必要なんだろう。本当に嫌でした。嫌すぎてちゃんとした写真屋で撮影し、1度で撮影が済むように「100枚ください」とお願いしました。そんなに会社受ける気もなかったですが(笑)

身体はものすごく雄弁

 会社に就職して、写真を撮られる機会はぐっと減りました。飲み会にも極力行かず、職員証の写真撮影以外は極力逃げて回っているからです。
 ですが、先日どうしても写らねばならない写真撮影がありました。「部署の職員全員がそろっている必要がある」と上司に先にクギをさされ、逃げることができませんでした。撮影が予定されている2週間ほど前からイライラや動悸、不安が止まりませんでした。
 写真撮影が終わり、ちょうどカウンセリングがあったので、この出来事を話してみました。実は以前にも一度話そうとしたのですが、口が開かなかったのです。『千と千尋の神隠し』で千尋が湯婆婆に口を閉じられるシーンありますよね。まさにあの感じで、気持ちは話したいのに身体が全力で止めるのです。あとにも先にもあのような経験はありません。

トラウマと認めること

 「〇〇さん(私の本名)の中で、トラウマになっているんですね」とカウンセラーは言いました。私はその時、はじめて幼少期の経験が「トラウマ」になっているのだと理解しました。大学院で精神医学を少し勉強し、トラウマ関連の書籍を読んだにも関わらず、自分の経験がトラウマであることを認めていなかったのか、気づきたくなかったのか…。
 実は今、体調絶不調です。今まで誰にも話したことがないことを話した影響なのか、全く身体も心も正常に動いてはくれません。けれどカウンセラーが「ゆっくりと、ゆっくりと自分の過去を話してください」と言ってくれたのが救いです。定期的なカウンセリングの中で、自分の中の澱を少しずつ溶かしていきたいと思います。
 
 ここまでお読みいただきありがとうございました。 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?