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一粒の豆


№114 今回紹介するお話

2ちゃんねるをはじめ、いろいろなところでコピペされている投稿です。

ご主人を交通事故の加害者として亡くし、小学2年生と5歳の息子と一緒に貧しく暮らしていたが、これ以上頑張れなくなった女性は自殺しようと思うも、長男の手紙で思いとどまったというお話です。
※投稿時期に関して
いくどもコピペを繰り返している投稿なのですが、確認した中でもっとも古いものは2006年6月12日でした。

投稿内容の他に、元になったものをみつけましたので、YouTube動画と一緒に紹介していきます。

投稿内容

交通安全週間のある日、母から二枚のプリントを渡されました。

そのプリントには交通事故についての注意などが書いてあり、その中には実際にあった話が書いてありました。

それは交通事故で、加害者の立場で亡くなられた方の家族の話でした。

残されたのはお母さんと子供たち、上の子が小学2年生、下の子が5歳の男の子の兄弟です。

この方たちは、事故の補償などで家も無くなり、土地も無くなり、住む家もやっとのことで四畳半の狭い所に住めるようになりました。

お母さんは朝6時30分から夜の23時まで働く毎日です。

そんな日が続くある日、三人でお父さんの居る天国に行くことを考えてしまっていました。

以下、プリントから引用します。



朝、出掛ける前にお兄ちゃんへ置き手紙をした。

「お兄ちゃん、お鍋にお豆が浸してあります。それを煮て、今晩のおかずにしなさい。お豆が柔らかくなったら、お醤油を少し入れなさい」

その日も一日働き、私は本当に心身共に疲れ切ってしまった。

みんなでお父さんのところに行こう。

私はこっそりと睡眠薬を買って来た。

二人の息子は、粗末な布団で、丸く転がって眠っていた。

壁の子供たちの絵に少し目を遣りながら、枕元に近付いた。

そこにはお兄ちゃんからの手紙があった。

「お母さん、ぼくは、お母さんのてがみにあったように、お豆をにました。お豆がやわらかくなったとき、お醤油を入れました。

でも、けんちゃんにそれをだしたら、『お兄ちゃん、お豆、しょっぱくて食べられないよ』と言って、つめたいごはんに、おみずをかけて、それをたべただけでねちゃった。

お母さん、ほんとうにごめんなさい。でもお母さん、ぼくをしんじてください。ぼくのにたお豆を一つぶたべてみてください。

あしたのあさ、ぼくにもういちど、お豆のにかたをおしえてください。でかけるまえに、ぼくをおこしてください。ぼく、さきにねます。あした、かならずおこしてね。

お母さん、おやすみなさい」

目からどっと、涙が溢れた。

お兄ちゃんはあんなに小さいのに、こんなに一生懸命、生きていてくれたんだ。

私は睡眠薬を捨て、子供たちの枕元に座りました。

そしてお兄ちゃんの煮てくれたしょっぱい豆を、涙と共に一粒一粒、大事に食べました。



このお話を読み終えた時、私と母の目から、涙が出て来ました。

そうして何度も何度も、繰り返し読みました。

私は今まで、交通事故は被害者だけが悲しい思いをしていると思っていましたが、このお話を読んで、加害者も私たち以上に悲しく切ない思いをしていることが解りました。

毎日、毎日、日本のどこかで、こういう子供たちが生まれているのかと思うと、とても堪りません。

どうか、お願いです。

車を運転するみなさん、交通事故など絶対に起こさないでください…。

元になったお話

元になったものは鈴木健二氏著の「気くばりのすすめ」に収録されている「一粒の豆」だそうです。以下、確認出来た文章を下記します。


交通事故でお父さんが亡くなり、小学校三年と一年の男の子、そしてお母さんが残された。

この交通事故はどちらが被害者・加害者かの判定が難しかったが、最後には母子家庭側に加害者という決定が下された。

加害者側とされた三人の全財産は売り払って被害者の補償に当てられた。

その後見知らぬ土地を転々として暮らした。

やがて落ち着いたのは農家の納屋。親切な農家が見るに見かねて貸してくれたのである。

ムシロを敷いて、裸電球をつけ、小さなガスコンロとダンボール箱の食卓だったが、三人はとてもうれしかった。

お母さんは、生活を支えるために朝6時に家を出、ビルの清掃、それから学校給食の手伝い、夜は料理屋で皿洗いと、身を粉にして働き、家に帰るのは深夜の11時、12時。

必然的に家事をするのは長男ということになっていました。

そんな生活が半年、8ヶ月、10ヶ月と続くうちに、身も心もクタクタになってしまい、やがて限界がやってきた。

ロクに寝る時間もなく、生活は相変わらず苦しい。

子供たちも可愛そうだ………。

いつしかお母さんの頭には、いつも死ぬことばかりが思い浮かんできたのです。

「これ以上働けない! 申しわけないけどお前たちをおいてお母さんは死にます」、こう決めたお母さんは、家事のすべてを引き受けてくれる小学校三年の長男に最後の手紙を書きました。

「おにいちゃん、おなべに豆がひたしてあります。これを、今晩のおかずにしなさいね。豆がやわらかくなったら、おしょうゆを少し入れなさい。」

その日も1日、くたびれきって深夜家に帰ってきたお母さんの手には、多量の睡眠薬が握られていた。

そんなことはまったく知らない二人の子供たち……、ムシロの上に敷いた粗末な布団で枕を並べて眠っている兄弟の顔が見えました。

よく見ると長男の枕のそばに「お母さんへ」と書いた、一通の手紙が置かれていた。

「お母さん、ごめんなさい。ぼくいっしょうけんめい豆をにました。
でも、しっぱいしました。

夕食のとき、弟はしょっぱくて食べられないといって、ごはんに水をかけて食べたのです。

お母さんごめんなさい。でもぼくを信じてください。ぼくは本当にいっしょうけんめいにたのです。

お母さん、お願いです。ぼくのにた豆を一つぶだけ食べてください。
お母さん、あしたの朝、もういちどぼくに豆のにかたをおしえてください。だからお母さん、明日の朝は、どんなに早くても構わないから、出かける前に必ず、僕を起こしてください。

お母さんは今夜も疲れているでしょう。僕にはわかります。お母さんは僕たちのために働いているのですね。お母さんありがとう。でもお母さん、どうか体を大事にして下さい。ぼく先にねます。お母さん、おやすみなさい。」

このお兄ちゃんの手紙を読んだお母さんの目に、どっと涙があふれました。

「ああ、お兄ちゃんは、あんなにも小さいのに、こんなに一生懸命に生きてくれているんだ。」

お母さんはそう言って、お兄ちゃんの煮たしょっぱい豆を、涙と一緒に一つ一つ押し頂いて食べたのです。

お母さんの目から大粒の涙がとめどなく落ちました。

大声で叫びたい気持ちをおさえて、お母さんは心の底からわが子にあやまったのである。

「ああ、申しわけないことをした。お前がこんなに一生懸命生きているのに、お母さんは自殺しようとしている。申しわけない。ごめんね。お兄ちゃん。お母さん、もう一度頑張るからね」

たまたま袋の中に、煮てない豆が一粒残っていた。

お母さんはこの「一粒の豆」と長男の手紙をハンカチに包み、お守りにして肌身離さず持っていることにしたのである。

それ以来、あの時のことを思えば、どんなことだって我慢ができるという、「一粒の豆」がお母さんの宝物になり、「一粒の豆」は、今もお母さんの懐(ふところ)深く大切に持ち続けられている。

YouTube

このお話を元に作られた動画がありましたので、一部を紹介します。
※ご紹介する以外にも動画はあるようです。

(2ch)泣き笑いほっこり『LAN』

※ショートバージョン

ニコるん

【笑えるコピペ連発】2chショートまとめ

さいごに

私のnote記事は営利を目的とはしておりません。
単純に涙した話を皆さんと一緒に共有したいと思い記事にしています。

しかしながら「著作権」などの問題がある場合は削除致しますのでお知らせください。
なお、掲載している画像は いらすとや 様から頂きました。

最後までゆっくりお付き合いいただきありがとうございます。


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