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【鉄面皮日記】23/06/04.Rat Race "治験"

肘(ひじ)小僧とは云わない。
膝(ひざ)小僧とは云うけれど。
衣服などからのぞいている膝頭 (ひざがしら) を擬人化していった語。
膝のしわが小僧の顔に見えることからという説が有力らしい。
僕は30代後半に銭湯へ行き一緒に行った友人が僕をみて、背中が老人のようだと揶揄された。
すごくショックを受け、確かに背中がものを言う、とも言うし、そうか僕は既に年老いたご老体になってしまったんだと勝手に推測した。
それで今の職場にいたら、背中はむき出しではないけれど、腕の肘に関しては気温のせいだろうか半袖の人が多い。
ついつい肘を観察してしまうのだけれど、僕はまだ50代だけど他の人は60代を悠に越え、そのしわくちゃな肘に居た堪れなくなる。
僕はアトピーもあるし左手首に小さなタトゥーもあり、人目を気にし長袖を着用するのが常なので、他者には見られることはない。
小僧の顔どころか、くしゃオジサンのようなクタクタシワだらけの肘、引き伸ばされ縮まって酷使されたソレはもう象に刻まれたシワのように凝固してしまってる。
これが年輪、逃れようもない僕らの生きてきた証なのだ。

"治験"の仕事

通称"ボランティア”と呼んでいた。

青の時代pt.3(1987.8~12) 9月23日

日記にある通りたぶんこれがそのバイトを始めた最初だと思う。
87年だから18歳くらいから、20代前半くらいまでコトある毎に出掛け謝礼を頂いていた。
自分の中では、これがあるからあくせくしなくても、いざとなれば治験のバイトやれば解決さと高く括っていた節もある。
謂わばこの仕事は、身体を張っているというコトでは最も危険なバイトだった。
通常2泊3日が2セットで約6万円のコース。
これは古くなった薬がどれだけ効力を発揮するかをみるような、元々販売されている薬の投与なのであまりリスクはないと思えた。
そのクスリ自体には危険はないが、2泊3日健常者が入院するという拘束時間に賃金が支払われる。
まずその事前健診に3千円ほど貰えるので、その健診ばかりをこなしてご飯代にしていた時もあった。
とにかく十代は貧乏すぎて(いや20代もきっとそう)ご飯を食べれたらそれでよかった。
だいたい3社ばかりの治験会社を知っていたのでそれをうまくやり繰りする。
一応規定としては3ヶ月に一度しかその仕事は貰えないというコトだったが、かなりアバウトで人が足りなかればあちら側もやり繰りして人数を集めていた。
もう記憶は薄れているが、メインは神田辺りにあった古ぼけた病院だったような気がする。
もうお化けがいて当たり前のような、まさに隔離病棟が併設されてるような明治時代にできた大病院だ。
でもそこは健診で行くだけで、いろんな病院へと散らされてはそこで入院する。
何かコトが起こっても製薬会社は関せずという誓約書に捺印し、僕らはお金で人格を剥奪されていく。
一番高額だったのが、サロンパスを貼って4泊5日コース、埼玉の病院入院で10万以上貰った。
そこの看護婦さんが面白くて、片田舎の病院だから向こうも暇していて、夜みんなで怪談話して盛り上がったりした。
結局は健常者なのでお腹が減り、深夜に飯の釜を探し塩をふりかけ、廊下で貪り喰ったコトが昨日のコトのような、あの深夜の病院の匂い。
そこで知り合った人がベースを売ってくれて、グレコSGなのだけど、いまだ手許にある。
塗装を剥がしサイケにペイントしてしまったんだけれど、そっからバンドやる時のメイン楽器となった。
あと思い出深いのが、京成金町の病院。
友達2人と一緒に入院、この治験は赤坂にあった病院のヤツだったか、健診でいきなり骨髄から採血だと言われもちろん皆ブーイング、ぢゃ止めて帰るだの、さんざん文句言ってたのに、それでは謝礼もなしです、て言われて、渋々全員パンツ脱ぎお尻出して血抜かれてた。
骨髄に針刺されると、痛いのはともかくも腰がガクガク笑っちゃってかなりしんどい。
そんなのを通って入院、何度も言うようにこれはあくまでもバイトなので僕らはいたって健康体である。
病院は製薬会社のため、何らかのクスリを投薬し体温から採血まで僕らの身体に異変がないか検査する役目。
入院中はかなり時間を持て余すので、本読んだりギター弾いたりテレビみたりそれは自由、タバコとお酒はダメ。
暇過ぎるのでレンタルビデオを借りに外出が許された。(やさしい病院だった、会員証も渡された)
それで、「ギニーピッグ(1985)」とか借りてきちゃって顰蹙を買う。
人体切断などの残酷描写が売りのいわゆるゲテモノ映像、これを病院で観るというコトに若い我らは大いに刺激的だったがさすがに怒られてしまい、違うビデオを借りるために再び外へ出される。
で飲み屋に立ち寄っちゃってさ、もうベロベロっなてというね。ばか。
もちろん先生怒っちゃってね、謝礼(バイト料はこう呼ばれる)払わないぞと。
じゃあもう帰りますとか言ったら、ゴニョゴニョまぁもうお酒は飲まないでってなって謝礼はしっかり貰う。
原宿にある病院では血が売れるというコトを聞き、そんなコトはしてませんてまた叱られたり。
もうその頃はメチャクチャだね、何も考えてない。
それでよかったのか、今になってみればこうやって生きながらえたのもこのバイトが一役かっている、のかどうだか、その自暴自棄さと貧困を楽しんでいたのかも知れない。
しかし病院に入って、ずっと採血され続け(途中から血管にいちいち針を刺し採血しないでもビニール管を繋いだままにして血が採れるという方式に変わった。リューチシンと言っていたが調べたけどでてこない)
あとは寝っ転がって鼻くそほじってる仕事って最強であり気がおかしいね。
それでお金を得ていた当時の自分自身に問いたい。
時間と身体を切り売りする、それがお金になったのだ。


京成金町の病院