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「人を信じる練習をしましょう」

コインランドリーの、帰り道。

あれ、「やさしさ」ってなんだっけ。

なんのことを言うんだっけ、と立ち止まって

昔、とあるカフェのお兄さんが

やさしさは「幻」だと
言ったのを思い出した。

「やさしさ」というものは存在しなくって

本当は一つ一つ、別の具体なのだと。

やさしさは幻であり

ゆえに、「やさしい人」というのは
いないのだと教えられた。

では あなたはなんなのかと尋ねると

「雨の日に、僕は傘を2本持っていたから
 持っていない人に1本あげた。
 それだけのことです」

と言われた。

「あなたもそうするでしょう?」と聞かれて

まあ、そうですねと答えた。



その頃のわたしは、
今と同じ顔で笑っていたけれど

おそらくは今よりも
もう少しかたくなで

一体どういう流れでそうなったかは
覚えていないのだけど、

「人を信じる練習をしましょう」
とお兄さんに言われて

「後ろに倒れる遊び」をした。



遊びと言っても、本当に倒れるだけだ。

机と椅子をよけてスペースをつくり、

絶対にキャッチするので、
背中から真うしろにバタンと倒れろと言う。

これが結構、むずかしい。

重心を意識的に
うしろに傾けても、

あっという間に無意識がバランスをとって
身体が動かなくなる。


「あの、本当に大丈夫ですか」

『大丈夫です』

「わたしは大丈夫として、
 わたしが倒れ込むことでお兄さんが転んだり、
 ぶつけたり、怪我をしたりしませんか」

『絶対に、大丈夫です』


できるまで何度かやりましょう、ほら

と言って

姿勢を低くして、
わたしのうしろで構えているお兄さん。

2度、3度と挑戦するもうまくいかず

4度目でやっと
よろける程度には傾いて、

5度目にとうとう
耳の奥が(フワッ)となるくらい倒れ込めた。


『できた!』

できた、と声をあげて喜んだのは、
お兄さんの方だった。



わたしは、当時はこのワークの意味が
よくわかっていなかったが

今となっては、
とんでもないショック療法だよなと思う。

たった一度うしろに倒れたからといって
何かが解決したわけではないけれど

今日、コインランドリーの帰り道に

「やさしさ」がなんなのか
わからなくなった時

ふと思い出したのは、
お兄さんの「幻」という言葉だった。

わたしは今もかたくなで

人を信じているかと言われると、
あまり自信はないのだけれど

ごくたまに 沼に落ちそうになる時

昔、「人を信じる練習」をしてくれた
風変わりなカフェのお兄さんの記憶が

わたしの手をしっかりと
引っ張っているのを感じるのです。


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