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【短編小説】暖炉

冬の晴れた日はなんだか落ち着く。太陽が遠い分、日が照っていても程よい暖かさが身を酔わせ、醒ます冬風の冷たさが心地良い。
「冬はいつから冬になるのだろう?じゃあ秋はいつまで?むしろ明確に線引きがなされないからこそ四季が際立つのかもしれないね」
彼はいつもそうやってにこりとシワを寄せながら私の目のガラス玉を赤色に染め上げていた。
ただただ、その情景が美しかったのだ。彼が存在し、冬空の太陽、枯れた木々、凍てつく風。パッチワーク的な美しさはこの様なものでも成り立つのか。


ただし、布地とは違い、儚く消えていったのだ。
それもまた美しかった。


私には見えない。自分の主観が自分ではない。


彼はいつから私を手綱で操るようになったのだろうか。良かったのは2年目まで。私と彼に境界線なんて無かったのに。男は厳格化したくなるものなのか。私が彼と出会ったのは、まだ私が美大で油絵を描いていた頃だった。
「布に命を宿す」
そう言い放つ彼の目は瑠璃色に輝いていたのだ。綺麗なものに惹かれてこなかった私が人生の中で唯一惹かれたのが彼の瞳だ。
今思えば、ここで間違えたのかもしれない。人は鉄格子に囲まれたとき、どう思うのだろう。私は何故か嬉しいと思えたのだ。一生この檻から出してもらえなくてもいい。むしろ出してほしくない。そこが地上100mであろうが、あるいは地下の奥深く、冷え切った地底のさらにその下であろうが私には関係ない。どんな暗闇にも輝いて見える二つの飛球があったから。青く、時にはマゼンタを思わせるような色使いもあるから不思議だ。
ただ、この飛球は黒く染まってしまった。暗闇の中で、二つの飛球は見えなくなったのよ。彼が見えなくなったら、私が光ることはない。

僕は自分に惚れていた。惚れざるを得なかった。仕方ない、そう思わずにはいられない程、僕は持て囃されていた。若くして才能を認められてしまったからこそかもしれない。
「命を宿す」
言葉は魔法。いや、僕から言わせれば絵の具のようなものだ。如何にしてこの世界の鮮やかさを思い浮かび上がらせるのか。言葉はそれに最適である。ただ、適しているからといって良いものであるとは言い難い。この一言が、僕の中の彼女を刹那的にさせてしまったのだろう。女性は単純なようで複雑だ。純粋な顔をして狡猾な真似をすることもある。また、その逆も然りだが。

レンガ造りの暖炉にはなぜか昔から男女が集まるように仕向けられているのかもしれない。彼女が暖をとろうと近づいてくると、彼もまた暖をとろうとして近づいてきたのだ。
「何か用?」
彼女は彼の目を見る
「君には僕が見えていないよね?」
彼は自分の手を見つめる。
「見えていないんじゃない、見ようとして無いの。それは、私があなたに照らされすぎていたから」
「僕はむしろ自分の中に君を見ていた。君は、僕ととても似ている。だから君を依存させたかったのだけれど、結局僕も君に依存していたよ」
「私はあなたが居ないと何もできなかったけど」
彼女はふと暖炉の火を見つめる。炎は決して消えやしない。燃えているときはそう思う。しかし、燃料がなければいずれは消えるもの。そのことに気づいたはすでに木炭になったときだった。ただ、消えてもまた足して火を起こせば良い。今はすぐに火をつけられる時代だから。
「共依存だよ」
彼は揺らめく火が写る目を見た。
「私はあなたの中に私を見た。あなたは、あなたの中に私を見た。これが全てよ。でも、どちらが正しいわけではないのかも」
「君の意見は?」

ーーーー不意に私は窓の外を見た。静かな世界に降り落ちる雪。その一つ一つに結相が折り重なって降り注ぎ、温もりに触れる。そうやって冷えきった心を瞬間に溶かしていくものなのだ。私は細い両腕で彼を優しく包み込む。そう、答えは言葉ではなく行為に現れるもの。研ぎ澄まされる耳に触れる吐息、身体の感覚が徐々に溶けていく。暖炉に火がついていることを忘れ、焦げ臭さが匂いはじめる。それでも気づかないふりをしていた。それが、この瞬間、切り取られた時間、人間としての個物、それを肯定するものなのだ。彼がいることで私は永遠のものとして存在し、私がいることで彼も永遠のものとなる。静かに触れ合うときに、人間の底にある愛を感じるのだ。

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