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ラッコうどん【ショートショート】


1


立ち食い蕎麦屋はいい。
足早に帰路に付く人々の雑踏の中、ぽっかりと明るい小さな空間がそこにある。
格別に寒く、腹が減って、しかもくたくたな時、駅のホームの立ち食い蕎麦屋は砂漠のオアシスに見える。自分にしか見えない幻なのかと疑いたくなる程に、人々はせわしなくこのオアシスを通りすぎて行く。
ほこりっぽく冷たい冬の空気から逃げるように、安心の扉をくぐった。途端に体中がもわりとあたたかな湿気に包まれる。眼鏡がくもる。豊かなお出汁の香り。
かたまってた心がじんわりと緩むのを感じた。
調理場から立ち上る湯気。ざあと心地よい流水音。素早くて丁寧な手捌き。食器の音。美味しさに満ち足りてゆく背中、背中、背中。オアシスには三人いた。

蕎麦が好きだ。しかし今日はうどんが呼んでいる。うどんが好きだ。あのうどんが。つゆの上にふんわりとのるうぐいす色、いかにも優しい見た目から、溶ければ風味豊かに麺に絡んでゆく。
大好物のとろろ昆布のうどんを頼んだ。
……はずだった。
疲れすぎて幻覚を見ているのかもしれない。
どんぶりの中、黄金色の美しいお出汁が艶やかに光っている。そして大好きなふわふわのとろろ昆布。その柔らかな昆布にくるまれて、小さなラッコが眠っていた。
…ラッコが眠っていた?そんなことがあるだろうか。縮こまったおあげかもしれない。
慌てて周りを見渡したが、誰もが食事に夢中で、他にラッコと遭遇している人はいないようだ。
おあげならいいが、どう見ても小さなラッコにしか見えない。箸置きを一回り大きくした位の大きさだ。

いつかテレビで見たラッコの映像と、
「ラッコは流されないように昆布をお腹に巻いて眠ります。」というナレーションを思い出した。
そうか、実際こんな風に巻いているのか。
気持ち良さそうにすやすやと寝ている。
起こしては可哀想なので、水をぐいと半分程飲み、コップに慎重に移した。
手のひらが変な汗でベタベタになった。
半透明のコップの中には水と、その上にとろろ昆布、そしてくるまれたラッコがいた。プカプカ浮いている。
よく分からない状況に頭が大混乱で、お陰で寒さも疲れも何もかも吹き飛んだ。

ともかくうどんは早急に飲んだ。味はよく分からなかった。
ラッコどうしたものだろう。
そのまま店内に置いておく訳にもいかない。流れ作業でコップの水ごとポイッと排水口へ流されてしまいそうだ。
だからと言って「あのう、ラッコ入ってました」なんて言える筈もない。そもそも信じて貰えないだろうし、騒ぎになってこのお店と小さなラッコに無駄な被害を及ぼしたくない。
連れて帰ろう。そうしよう。
コートで覆うようにしてラッコ入りコップを隠し持ち、ごちそうさまですと呟いてこそこそと店を出た。
コップは後日返却することにする。




2


水がこぼれないようになるべく揺らさないようにラッコに衝撃を与えないように、なんとか家に帰った。
やはりコップの中では窮屈そうなので、そっとラッコをどんぶりに移した。
移す時に水がたぷたぷと揺れ、ラッコはくるりと一回転して寝返りを打った。まるで起きない。
お腹に巻かれていた昆布がもう一巻き増えた。

目が覚めた時に寂しくないように、とろろ昆布を追加しておく。



🦦zzZ
 


翌朝。
ラッコがうどんに入ってて焦る夢を見たな。と思いながらテーブルの上に視線を移すと、夢だった筈のどんぶりが、依然としてそこにあった。
まだ裸眼なので視界がぼんやりとはしているが、確かにどんぶりはある。眼鏡をかけて確認する勇気はまだない。
現実だったのだろうか。
いや。妄想かもしれない。
妄想が現実になったのだろうか。
でもうどんを頼んだらラッコがいたなんて、そんな妄想あるだろうか。
どうせならもっとなんか女の子が空から降ってきて空飛ぶ城を探して悪いムスカから助けるとか、実は魔法使いだったから魔法学校に入学して秘められしものすごい能力を発揮してかっこよく宿敵をやっつけるとか、人類のために巨人を駆逐する兵士として心臓を捧げて世界の真実と対峙するとか、そんなやつなら分かる。
ラッコ??
内に秘めたラッコ願望があったのだろうか。確かに石は好きだ。もしくは自分の前世はラッコだったのだろうか?それは想定外すぎる。
いや、待てよ。だから昆布うどんが好きなのか?

現実だったとしても妄想だったとしても、どうしたものか。

どんぶりの中身を絶対に見ないように慎重に移動し、歯を磨き顔を洗い、トイレで深呼吸をして、気持ちを整える。
テーブルより低い位置に身構えて、おそるおそるテーブルの端から顔を出してどんぶりの中身を覗き込んだ。





3




やっぱりいた。水を湛えたどんぶりの中にはラッコがいた。夢ではなかった。
しかも目が合っている。
ラッコは驚いている様子だ。もっともな反応だ。しかし昨日からずっと困惑し続けているこちらの身にもなって欲しい。
ラッコはパチパチと黒い目をしばたたかせて、
「あの、」
と言った。
小さいラッコが喋った。もう嫌だ。怖い。
「あの、こんにちは。」
「……あ、こんにちは。」
「助けてくれてありがとう。」
「あっ、うん。」
「……」
「……」
なんとなくもぞもぞと椅子に座った。
ラッコは足をパタパタさせてずっとこちらを見ている。
ラッコの言葉を反芻し、揺れる水の影を目で追う。するとだんだん気持ちが落ち着いてきた。



よし。と、勇気を振り絞って話しかけた。
「…お腹すいてる?」
「うん。」
「なに食べる?」
「おうどん食べたい」
「あー、分かった。」


茹でたうどんを水でしめ、そっと一本与えると、ラッコは器用に両手で持った。もっちりと白く艶めくうどんを珍しそうに眺め、匂いを嗅いだ。嬉しそうに一番端からもぐもぐと食べ、つるりと平らげた。
食べてみたかったそうな。
とろろ昆布も一緒に味わい、おいしいおいしい大好きと幸せそうにしていた。

ラッコは海で泳いでいたら群れとはぐれて、昆布に絡まったまま人間に捕まって、そのまま袋詰めにされて、ずっと不安で寂しかったらしい。
やっと出られたと思ったらうどんの上にのせられて、怖かったから目をぎゅっと瞑って、死んだふりをしていたらしい。
「だからね、ありがとう!!」
ラッコは目をキラキラさせて見上げた。
真っ直ぐな瞳は深く黒く煌めいて、親愛の光に溢れていた。
「うん。でも、ちっちゃいラッコがうどんの上にのってるなんて、本当は君のことも自分のことも信じられなくて、どうしようと思ってたんだよ。だから最初に声をかけてくれてありがとう。勇気をくれてありがとう。君を見付けられて良かった。」
ラッコは心底嬉しそうに泳ぎ出した。
体中から溢れ出る喜びは波を作り、綺麗な波紋が次から次へと浮かび上がった。水も笑って一緒に踊っているみたいだ。
楽しそうに水と戯れるラッコは、足をなめらかに搔き、しなやかにくるりと回転したり、わざと飛沫をあげてみせたり、全身で感情を表現している。
純粋で膨大なありがとうの気持ちが、小さなラッコから海の波のように止めどなくたくさんたくさん伝わってきた。
茶色い毛はツヤツヤと輝いている。
感謝と喜びはひとつなんだ。表すと周りも繋がって楽しくなるんだ。
自分の不信感はなんてちっぽけだったんだろう。全部が大きな幸せに溶けていった。
そして、ラッコはどんぶりの縁に両手をかけてぴょこんと顔を出した。
「あのね…ここにいてもいい?」
「うん。もちろんだよ。」


あとでとろろ昆布とうどんを買い足しに行こう。
今度一緒に、ラッコの気に入りそうな石を拾いに行こう。
うどんが好きなんて風変わりなラッコ、きっと世界にひとりだけなんじゃないかな。
ありがとうを受け取ってから心がずっとあたたかい。
ラッコに教えて貰ったまっすぐで大切な気持ちだ。
ラッコには安心して、望む自由のままにいて欲しい。
もう大丈夫だよ。勇気を出してそう伝えよう。
ラッコに出会えて、昆布うどんを好きでいて良かったなあと思った。





おしまい。

















後日、あとがき🦦
とっても嬉しいことがありました。
もうかわいすぎました。
お写真見ると幸せになれます。見て見て!
こんなかわいい子がいるのですね。
ガチャポンでも小さなラッコと出会えるそうです。
エトさんありがとうございます♡







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