心象的戦場と衰弱する精神
このセンテンスは以前書いた「心象的戦場からの手紙」の続編として描きたい。
以前、述べたような心理状況は私に過度な負担を与え、精神的に部分的な崩壊を促した。
結果、私は精神病院への再度の入院を勧告された。
猶予は2週間。
この間に私は自身が生存する環境の整備を行い、「自宅入院」を可能にしなければならなくなった。
序文
私は、このセンテンスをジョン・メイナード・ケインズの雇用・金利、通貨の一般理論を読みながら書き進めている。
今回、取り上げる事柄はプライベートな状況整理はさておき、私が社会と接している部分を中心に描くつもりであり、私は、その考えのサプリメントとして、ケインズの一般理論General theoryを必要とする。
私は今、触れていくもの、社会との間で直面しているモノはまさに、雇用、金利、貨幣を通して繋がっているモノを多く内包し、それと関連する社会的活動の制御と、現状の在り方との捉え直しにあるからである。
心象的戦場
2024/10/17
私は精神科の待合室にいた。
昼間にパニックの発作のような状態に陥り、心は何か乾いてザラついて、それでいて淡くて非現実的なような感覚に包まれている。
病院に1人で行く事もできなくなり、病院が終わった後は看護師さんとの面談が待っている。
ただし、私は確実に回復に向かって歩を進めているつもりになっている。
2024/10/15
私は消毒用のエタノールを被り、体に火をつけようとした。
よく着火前に取り押さえられたものだと、変に関心してしまう。
揮発中のエタノールに火がつけば、着火出来ていたであろうに。
私に、その当時に記憶はない。
俗にいう解離症状というやつらしい。
それ以外にも2階からの飛び降り未遂も目撃されていた。
実際、ここ最近の体の痛みを考えると、既に何回かは、この飛び降りに関しては成功させているようだった。
私の精神は私が自覚する以前に私の精神は壊れてしまっていたようだ。
野戦病院
「戦う」という旗を掲げるには、自分自身が既に相応しい状態から大きく逸脱してしまっている事は、流石に自覚する。
情緒面でも安定感をかなり欠いている事も、症状発覚から追って自覚するに至った。
今のままでは戦えないのだ。
私は精神病院に入院を勧められた。
あと数回の主治医との面談で改善が見られなければ、収監される。
私は私に与えられた猶予期間に自分自身が休める環境を自らのテリトリーの中に構築し、休養可能状態を確立し、それを主治医に伝える事で入院回避を狙っている。
完全に今の戦場から離脱する事なく、前線での治療を行う計画であり、いうならば、本土送還を避けるべく回復させながら自らを戦わせる野戦病院のようなものを構築しようと考えている。
前線戦況、負傷者多数
私の精神は悲鳴を上げた。
部分的に見れば、気が狂ってしまったと言われても仕方がないだろう。
私自身、そうなるリスクは元々承知の上で戦いに出ていた。
しかし、今の現状は私だけの苦しみや痛み、症状の悪化では済まない。
私が契約していたアライアンスの顧問、会計の顧問共に、精神病薬を服用している状況にあり、師事している専門工の技術者も現状待遇に悲鳴を上げている。当社の管理外注も身体不調を訴えて管理入院、という状況にある。
この世界は驚く程に残酷である。
私の管理する事業群はアベノミクスの恩恵を受けて急速に拡大した。
それは私自身の才覚でもなく、また関係リソースの極端な優位性を示すものでもなかった。
ただただ景気が良かったのである。
アベノミクスによる経済活性の効果については現在の日本では賛否両論であるだろうし、無駄に格差を拡大しただけだ、という見方もある。
これについては、景気拡大局面は格差の最大化が行われるポイントの一つであり、アベノミクスが目指した経済活性方式がトリクルダウン型であった事にも起因する。
要は量が足りなかったのである。
そして、それは予測出来る事でもあった。
プライマリーバランス神話を信じるIMFからの圧力を人事関係上、無視出来ない当国の財務省と、その財務省との連携なくして公約を実現出来ない政治体制は、財政出動に対して、マネーサプライ減少方向への圧力を常に受けている。
安倍内閣における消費増税はある意味、財政出動への見返りであり、財務省、IMF対策でもあった。
歴史の話は、この辺にしておいて、本質に戻る。
財政出動による景気拡大局面は、イレギュラーな形で更なる財政出動に繋がった。
SARS-COV-2の蔓延、つまりは新型コロナウイルスによるパンデミックである。
この辺りから、崩壊は確実に始まっていた。各国政府が大型の財政出動をした後に、必ず訪れるものが戦争であり、戦争が連れてくるのはサプライチェーンの混乱も混ざり合っての物価高、つまりはインフレーションである。
そして外性インフレ、国内の需要増に起因しないインフレーションはスタグフレーションへと帰着する。
それが現在である。経済学的に現状について話したが、現実は、その中に多量の人間を抱え込んでいる。
私は警告した。誰も取り残したくなかった。
これからくる残酷過ぎる局面に誰も取り残したくなかった。
結局、私は誰も救えなかった。
残ったのは機能を最低限に残し縮小した事業と、負債と個人ファンドと呼んでいる資産群だけだった。
多くの関係を、人間を、そこに置いてきた。
多くの会社を、関係を、そこに置いてきた。
そして繋がり続けられた人々も今、困窮の中へ飲みこまれつつある。
私は無力で無能な気が狂った障害者なだけだった。
誰も救えない、自分自身すらも救えない弱者に過ぎなかった。
戦禍
2024/10/18
東京都渋谷区。
解体工事の音が響く。
私が救えなかった人達の事、否、ただ別れた人々や会社の事を考える。
自殺や倒産は私にとってビジネス上では同じく死を意味していて、私ももうすぐ、そっちへ向かう。
私は事業を解体する。
もう私は、それを管理する力はなく、また、それが自動で回転するだけの市場の圧力もない。
取引を停止したとあるメーカーは下請けの零細企業に数千万の賠償話を押し付けたらしい。
それが払えないメーカーも下請けも、また、その訴訟話に絡んだ元請も、もう余裕らしい余裕など、何処にも残っていないだろう。
その零細企業は暫く、私のグループにいて、今は賠償支払いの為に馬車馬のように働いているようだが、きっと精神の時限爆弾はカウントダウンを始めているのだろう。
きっと私の目の届かない場所で救われている人も沢山いる筈だ。
私は無責任にそれを想像する。
私が事業を立ち上げてから10年が経過した。
沢山のモノを得た。
そして、今、それに別れを告げようとしている。
長かった。久しぶりの振り出しだ。
壊れた世界のガラクタを撤去して、私はまた新しい旗を立てる。もう少し、もう少しだけ時間が残されている。
全てが消えて無くなるまで、もう少しだけ時間がある。
終わりに
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minne
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