自己肯定感の誤用と自己受容

今回の記事は以前他の記事でも触れた内容かもしれませんが、あらためて書きたいなと思ったので書きます。
近年本当によく「自己肯定感」という言葉をよく聞くようになったと思います。
しかし僕はこの「自己肯定感」という言葉が誤用されている事に疑問を持っています。

自己肯定感というのは、文字通りに捉えると自己を肯定できる感覚の事だと言えます。
これ自体は全く間違っていないのですが、一つ大きな認識の違いがあると思っていてそれが自分を肯定するのに理由が必要か否かという話です。
SNSなどで自己肯定感という単語を知った人の多くが「自己を肯定する事が大事なんだ!じゃあ肯定できる理由を作ろう!」と躍起になって神経症的な方向に向かう事が非常に多いなと感じています。
このような状態は逆説的に「〜ができなければ自分には価値がない」というネガティブな発想を染み付かせる事に繋がります。

しかしこれは大きな間違いです。
本来の自己肯定感の意味とは、特に理由もなく自分の存在そのものを肯定できる感覚なのではないでしょうか。
実は僕はこのような誤用を避ける為に自己肯定感という言葉は使わないようにしています。
代わりの言葉として適切な言葉は「自己受容」ではないかと認識しています。

自己受容とは言葉の通り「自分の事を受け入れる」ということです。
「自分を受け入れる」というのは悪い所も全て受け入れるという事です。
つまり、ダメなところがあってはいけないのではなく、ダメなところがあっても自分を受け入れられるという感覚を身につけられるかという話になってきます。
受け入れるのに理由が必要だと捉えてしまうと自己受容という言葉の価値はなくなるでしょう。

ここから先は

1,376字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

気に入ってくれた方はサポートお願いします。