引きこもりは才能
昨日友人たちと引きこもりについて話をする機会があったので、引きこもりについて話してみようかなと思います。
ちなみに僕は引きこもりそうになった事はありますが、引きこもりになった事はないという立場です。
引きこもりそうになった事がある経験を踏まえての引きこもりに対しての分析になるので、正しいかどうかは保証できないのでご了承ください。
まず第一に僕は引きこもりは才能の表れであるという風に考えています。
引きこもりになるにはいくつかの条件があります。
その条件の中に才能が実は潜んでいるという事です。
引きこもりになる人というのは人間不信で無気力な状態であるというのは分かりやすい話です。
学校や職場や家族などの小さな社会の中で馴染めず信頼関係を築く事ができなかった人が陥りやすいのが引きこもりと考えています。
しかしまともな信頼関係を築けていなくても引きこもりになる人とならない人というのがいるように思うのです。
この差は何かを昨日からずっと考えていました。
そしてそこで引きこもりになる側の人が持つ一つの才能のようなものに気が付いたのです。
おそらく引きこもりの人は感性が鋭く意思が強いんじゃないかという事です。
つまり今の日本社会というものの腐り具合に気づいて違和感を感じられる鋭いセンサーを持った人間であるという事です。
そしてそんなおかしな社会に適合したくないという強い拒絶反応の表れが引きこもりなのではないでしょうか。
誰かを信じる事というのはとても大切ですが、信じるべきものを間違えてはいけないと僕はそう思っています。
彼らは信じるべきものに出会えず、そして信じてはいけないものにしか出会えていないのです。
そして彼らは信じてはいけないものを見抜く鋭いセンサーとそれに染まらない強い意思を持っているとそう考えています。
こういう考えに至ったのは僕自身が引きこもり寸前まで行くくらいに信じられるものの無さに絶望した過去があるからこそです。
学校という閉鎖的で支配的な空間に対する拒絶とそれを当たり前のものとして捉えて何の疑問も持たない周りの生徒や家族、もはや全てに絶望していました。
しかし大人になって様々な経験を積んで心理学や社会学を学んでみて、あの時僕が感じていた違和感はやはり正しかったんだと気付きました。
その経験から引きこもる事はある種必然であり、才能であるという発想に至りました。
特に学生というのは学校と家という空間以外の外の空間を知らない人が多く、その空間が全てになりがちです。
そしてその全ての中に信じられるものを見出さなければ絶望するのも無理はないのです。
イジメのような具体的な原因が引きこもりに繋がるケースもありますが、そもそもの原因は人間をそのような閉鎖的な空間に押し込めてしまう社会の構造にあると考えています。
イジメや劣悪な家庭環境や閉鎖的な学校というのも全ては社会構造によって誘発された歪みと言えるでしょう。
そこでイジめる側を責め、親を責め、教師を責めたところで何の意味も持たないというのが本質的な結論ではないでしょうか。
社会学はこのような自己責任論から解放してくれる実に人間に優しい学問であるとこの引きこもりの問題を考えている際に気付かされたように思います。
少し脱線したので引きこもりの話に戻ります。
このような引きこもりになる人たちの特性や状況を踏まえた上で引きこもりの人に対してどのようなアプローチが必要かという事について僕なりの見解を書いてみようかなと思います。
これは引きこもりの原因から踏まえて引きこもっている人が欲しているものを逆算して考えるのが最も分かりやすいような気がします。
信じるべきものがいない事の絶望とそれに伴う自尊心の低下と無気力が引きこもりの原因だと話しました。
そこでまずは彼らのようなピュアで嘘がつけない人たちが信じたいと思えるような偽善的ではない愛情が必要だと考えています。
多くの人は引きこもる人を責めたり、無理やり引っ張り出そうとすると思います。
しかしそれでは引きこもっている人間が嫌だと思っている腐った社会の都合を押し付ける形になり、さらに絶望感を深める事でしょう。
おそらく逆効果になります。
彼らが感じている社会に対しての拒絶感はむしろ非常にまともであってそこに対して理解を示す事がない限り、彼らはさらに心を閉ざしてしまう事でしょう。
社会が腐っている事に気づいて拒絶反応が湧いてくるというその感性はむしろ褒めるべき点であり、そこを認めてあげる事が第一です。
社会を通じてではなく、人間対人間の話ができる状態まで持っていく事がピュアで誰よりも人間らしい彼らにとって必要な事ではないでしょうか。人間対人間の会話をする事で「社会から逃げられない」という閉鎖感から解放する事ができると思います。
そしてできるのであれば、その閉鎖的な社会以外の小さなコミュニティに触れてもらう事が1番良いのかなと思います。
非行少年を育てたり面倒を見るようなヤンキー上がりのおじさんが一時期よくメディアで紹介されていましたが、そういうのは例として分かりやすいのかもしれません。
自分が知っている社会の外側にある自分を人間として尊重してくれる場を設ける事は彼らの自尊心を復活させるキッカケになるのではないでしょうか。
僕は最近テコンドーを始めたのですが、武道を学ぶというのも方法としてはとても良いのではないかと思っています。
身体を動かす事で得られる心身の健康は勿論のこと、武道を通じて自分と向き合うという事が学べるのでとても良いんじゃないかと思います。
また余談ですが、カルト宗教や暴力団などは先ほど話した引きこもりになるような精神状態の人に対してある種の理解を示す事でそういう人たちの受け皿になっていると言えるかもしれませんね。
カルト宗教や暴力団を肯定する気はありませんが、そういうものが存在して一定の支持をする人がいる事を踏まえるとその組織だけを叩いても意味はなく社会構造から見直す必要があると考えさせられます。
無論、カルト宗教や暴力団を野放しにする事が良いとは思いません。
しかし暴力団を排除した事で半グレが生まれたというのも結局のところ表面の問題の上澄みだけを除去して本質的には何も改善していないことの表れではないでしょうか。
もし身内が引きこもりになっていたり、似たような心理状態になっている人はまずは引きこもっているという事実を否定せず、その背景に目を向けてください。
そしてその人の受け皿になってあげてほしいなと思います。
僕自身もそうありたいと思っています。
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