付加価値依存症

noteで散々考えを言語化している際に思い浮かんだ言葉があります。
それが付加価値依存症です。

付加価値依存症とは何かと言うと、ありのままの自分に価値がないと感じ、付加価値をつけなければいけないと強迫的な意識を持ち、必死に付加価値を身につけてそこに依存する事です。
聞き慣れた言葉で言うのであれば、承認欲求が強いという言い方もできるかもしれませんが、承認欲求が強いという表現よりもより本質に近い表現なのかなと思っています。
おそらく今後のnoteでもこの言葉を使う事になるでしょう。

付加価値依存症という言葉をnoteで書いたのは初めてですが、既に付加価値に依存する人についてはたくさん書いてきました。
過剰に容姿に気を遣う人、学歴にこだわる人、社会的地位にこだわる人、収入にこだわる人、過剰に世話を焼こうとする人などです。
容姿に気を遣う事も高学歴になる事も社会的地位を得る事も高収入になる事もそれ自体が悪ではありません。

しかしそうでなければ価値がないという強迫観念を原動力にそれを目指すという事は非常に危険だと考えています。
何故なら彼らはそこで目標を達成したところで全く満足しないのが目に見えているからです。
良い意味での貪欲さが故に満足しないというのであれば、更なる向上を目指して自己実現に向かっていくという方向性になるのでそれはとても良いです。
ところが、付加価値依存症の人の原動力はそうではありません。
無条件の愛に恵まれなかった人は慢性的に愛情飢餓を抱えます。
彼らが異常に頑張るのは、その飢えを満たす為でしかないのです。

しかし彼らが本質的に欲しているのはありのままの自分に価値があるという感覚です。
つまり付加価値なしで自分に価値を感じられるという状態が本質的には最も必要なものです。
ところが、多くの人たちはそもそも論としてそのような無条件の愛が不足しているんだという事に気づく事ができません。
何故なら親や教師や社会などによって付加価値を付けなければ価値がないという感覚を植え付けられてしまっているからです。
世の中とはそういうものであると、それが真理であると捉えてしまっている以上はそこから抜け出す事はまず難しいでしょう。

僕がこの付加価値依存症の存在に気がついたのは、自分と深い関係の人たちで付加価値依存症に該当する人がいたからです。
彼らはとにかく能力が高く非常に努力家です。
少なくとも表面に出ている情報で判断する限りはとても立派な人でしょう。
僕はその能力の高さとストイックさに感銘を受けて彼らに対して強いリスペクトの気持ちを持ち始めました。

しかし彼らは自分に価値があるとは思っていませんでした。
僕にはそれがとても悔しかった。
僕は彼らを魅力的だと心の底から感じていただけに、その現状が許せなかったのです。
いつか絶対彼らには自分自身の価値に気付いて欲しい!と躍起になっていましたし、今でもその気持ちはあります。

そして僕は素直に彼らの能力を評価して褒めました。
本心から彼らを褒める事で彼らに自信を持ってもらえるんじゃないかと期待をしていたのです。
◯◯ができるのがすごい、才能がある、僕にはあなたのようにはできない、などの言葉をたくさんかけたのです。
それはお世辞でも何でもなく本当にすごいなと思っていたからです。

ところが、彼らは僕が褒める事でむしろ心を病んでいくような印象がありました。
それが僕にはワケが分からなかったのです。
彼らは常に褒めて欲しいというサインを出していました。
褒められたくて頑張っていると言っても過言ではありません。
そんな彼らが褒めると心を病むというのは僕には全くもって理解不能だったのです。

そして悩んだ末に心理学の本をたくさん読み漁りました。
特に影響を受けたのは加藤諦三さんの「自分に気づく心理学」という本でした。
気になる方は読んでみてください。

心理学の本を読み漁った結果として自分が出した結論は、彼らにはありのままの自分に価値があるという感覚が欠落しているという事でした。
彼らは付加価値を求めてそれを褒めてもらう事で初めて自分は許されると思っています。
しかし本当に求めているのはありのままの自分を愛してくれる事、付加価値がなくても存在していい許される存在なんだという感覚なのだと気づいたのです。

つまり、僕が率先して彼らを褒めたように付加価値を褒める事は付加価値を付けないと価値がないんだという感覚を増長させてしまう可能性があるという事です。
普通に生きていてはそのような構造に気がつくのは容易ではありません。
ある種、僕は彼らからとても大切な事を教わったのかもしれません。
人間にはありのままの自分で存在していいという無条件の愛が必要でそれが何よりも大切なものであると気付かされたのです。

そしてその気づきを得た事で僕が何かできる事はないかというのが今の僕のテーマであり悩みです。
先ほども話した通り僕はとても悔しいのです。
魅力的な人間が自分に価値がないと感じながら生きている事が。
彼らの自己無価値感を覆すにはどうしたらいいのかはこれからも考え続けていきたいと思っています。

追記
付加価値依存症について続きの記事を書いたので、こちらもお読みください。


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